カテゴリ:絶対存在論
神の存否-37
スピノザが自己の友人でもあり最大の後援者である有力政治家、映画アラン・ドロンの嵌り役「黒いチューリップ」の題材にもなったネーデルラントのヨハン・デ・ウィット(Johan de Wit/1625年 – 1672年)の虐殺に憤ったスピノザは「付録」というよりは些か情緒的だとも云い得る程に オレンジ公派の通俗信仰を「付録」の形式を借りて非難します。「ところで、ここに私が指摘しようとするすべての偏見は次の一偏見に由来している。その一偏見というのは云々〜、一般に人々はすべての自然物が自分たちと同じく目的のために働いていると想定していること、のみならず人々は神自身がすべてをある一定の目的に従って導いていると確信していること、これである。なぜなら彼らはこう言う、神はすべての物を人間のために造り、神を尊敬させるために人間を造ったと。だから私はまずこの偏見を考察しよう。それには第一に、なぜ多くの人々がこの偏見に甘んじ、またなぜすべての人が生来この偏見をいだく傾向があるかの理由を探究する。次にそれが誤っていることを示し、最後にいかにしてこの偏見から善と悪、功績と過罪、賞讃と非難、秩序と混乱、美と醜その他こうした種類の他のことどもに関する諸偏見が生じたかを示そう。」と焦点を絞って語ります。此の後の文章はスピノザの立ち位置からは「偽神」詳しく述べれば「人間の創造した神」の人間精神の在り方を述べています。スピノザは当然に現在の「量子重力理論」を知り得べきもありませんから、神存在に人間精神の介入を排撃したのには驚きを隠せません。 哲学・思想ランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年04月29日 06時10分05秒
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