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Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2021年08月18日
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カテゴリ:絶対存在論
神の存否-142
 スピノザは定理二九の証明後半部分では、時事変化するものである様態の変状に焦点を合わせます。
 さらに、神はそれらの様態が単に存在する限りにおいてばかりでなく(定理二四の系 この帰結として、神は物が存在し始める原因であるばかりでなく、物が存在することに固執する原因でもあること、あるいは、スコラ学派の用語を用いれば、神は物の「有る(注:有るとは私、記述者は常有即ち不変不朽の常住と考える)ことの原因」でもあることになる。なぜなら、物が存在していても存在していなくても、我々はその本質に注目するごとに、それが存在も持続も含まないことを発見する。したがってそれらの物の本質は、その存在なりその持続なりの原因であることができず、ただ存在することがその本性に属する唯一者たる神(定理一四の系一 これからくるきわめて明白な帰結として、第一に、神は唯一であること、言いかえれば(定義六 神とは、絶対に無限なる実有、言いかえればおのおのが永遠・無限の本質を表現する無限に多くの属性から成っている実体と解する。)により、自然のうちには一つの実体しかなく、そしてそれは絶対に無限なものであることになる。これは我々がすでに定理一〇の備考で暗示した属性の捉え方)により、神のみがこれをなしうるのである。その上またそれらが(定理二六 ある作用をするように決定された物は神から必然的にそう決定されたのである。そして神から決定されない物は自己自身を作用するように決定することができない。)により、ある作用をなすように決定されたと見られる限りにおいても、それらの原因なのである。もしそれらの様態が神から決定されなかったとすれば、それが自己自身を決定するということは不可能であって、偶然そうなるなどということはない。また反対に、神から決定されたとしたら、それが自己自身を決定されていないようにすることは不可能であって、やはり偶然そうなるなどいうことはない(定理二七 神からある作用をするように決定された物は自己自身を決定されないようにすることができない。)により。ゆえに一切は、単に存在するようにだけではなく、さらにまた一定の仕方で存在し・作用するように神の本性の必然性から決定されているのであり、そして一として偶然なものはないのである。Q・E・D・=此れが証明されるべきことだったと示します。
 以上、定理二九の証明後半部分は、神が物質や時間や変化からは自己自らが生成した由縁の世界にしろ、そのものの世界の影響は受けないとも取れます。神とは物質存在ではなく量子重力論の物質的存在を持たない情報の源の「因」と捉えるべきなのでしょうか。



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最終更新日  2021年08月18日 06時10分06秒
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