カテゴリ:絶対存在論
神の存否-146
スピノザの云う「真の観念」は西田幾多郎の「真の直観」に近似します。密教における直観更には仏教哲学が説く「正覚」、釈迦の「覚り」が其れに該当するようにも覚えます。 定理三〇の証明 真の観念はその対象と一致しなければならぬ(公理六 真の観念はその対象(観念されたもの)と一致しなければならぬ。)により。言いかえれば、それ自体で明らかなように、知性のうちに想念的(オブエクティヴェ)に、すなわち観念として含まれているものは必然的に自然のうちに存在しなければならぬ。ところが自然のうちには(定理一四の系一 これからくるきわめて明白な帰結として、第一に、神は唯一であること、言いかえれば(定義六により)自然のうちには一つの実体しかなく、そしてそれは絶対に無限なものであることになる。これは我々がすでに定理一〇の備考で暗示したことである。)により、一つの実体しか、すなわち神しか存在しない。また神のうちに在りかつ神なしには在ることも考えられることもできないもの(定理一五 すべて在るものは神のうちに在る、そして神なしには何物も在りえずまた考えられえない。)により、それ以外のいかなる変状も存在しない。すべて在るものは神のうちに在る同定理により。ゆえに現実に有限な知性も、現実に無限な知性も、神の属性と神の変状を把握しなければならぬ。そして他の何ものをも把握することがない。Q・E・D・此れが証明すべきことであった。 スピノザの云う「真の観念」とは神のうちにある観念の概念だとも云えます。神の属性と神の変状に観念を捉え把握すれば、それから遡及すれば神そのものの観念に到達可能だとするのです。量子重力理論の究極の情報因子、其れが有り得ないとは云えず、神の絶対的本性が見つかる術(すべ)、AI量子コンピューターに期待が高まる所以です。 哲学・思想ランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年08月22日 06時10分04秒
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