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Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2021年09月03日
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カテゴリ:絶対存在論
神の存否-158
 スピノザ著「エチカ」の世界の仕様である宇宙の理「秩序・法則」が語られます。
 定理三三 物は現に産出されているのと異なったいかなる他の仕方、いかなる他の秩序でも神から産出されることができなかった。
 証明 なぜなら、すべての物は与えられた神の本性から必然的に生起し(定理一六 神の本性の必然性から無限に多くのものが無限に多くの仕方で(言いかえれば無限の知性によって把握されうるすべてのものが)生じなければならぬ。)により、且つ、神の本性の必然性によって一定の仕方で存在し・作用するように(定理二九 自然のうちには一として偶然なものがなく、すべては一定の仕方で存在し・作用するように神の本性の必然性から決定されている。)により決定されている。だから仮に、物が異なった本性を持ち或いは異なった仕方で作用するように決定されて、その結果自然の秩序が今と異なったものになるということがあり得るとしたら、神の本性もまた現に在るのとは異なったものになりうるであろう。そこで(定理一一 神、あるいはおのおのが永遠・無限の本質を表現する無限に多くの属性から成っている実体、は必然的に存在する。)により、この異なった神の本性もまた同様に存在しなければならぬであろう。したがって二つまたは多数の神が存在しうることになるであろう。これは(定理一四の系一 これからくるきわめて明白な帰結として、第一に、神は唯一であること、言いかえれば(定義六 一の実体は他の実体から産出されることができない。)により、自然のうちには一つの実体しかなく、そしてそれは絶対に無限なものであることになる。これは我々がすでに定理一〇の備考たとえ二つの属性が実在的(レアリテル)に区別されて考えられても、言いかえれば一が他の助けを借りずに考えられても、我々はそのゆえにその両属性が二つの実有あるいは二つの異なる実体を構成するとは結論しえないことである。事実その属性のおのおのがそれ自身によって考えられるというのは実体の本性なのである。なぜなら、実体の有するすべての属性は常に同時に実体の中に存し、かつ一が他から産出されえず、おのおのは実体の実在性あるいは有を表現するからである。ゆえに一実体に多数の属性を帰することは少しも不条理でない。それどころか、おのおのの実有がある属性のもとで考えられなければならぬこと、そしてそれはより多くの実在性あるいは有をもつに従って必然性(すなわち永遠性)と無限性とを表現するそれだけ多くの属性をもつこと、そうしたことほど自然において明瞭なことはないのである。したがってまた、絶対に無限な実有を、おのおのが永遠・無限な一定の本質を表現する無限に多くの属性から成っている実有(我々が定義六で述べたように)と定義しなければならぬことほど明瞭なこともないのであるで暗示したことである。だが今もしある人が、ではいかなる標識によって我々は諸実体の相違を識別しうるかと問うならば、その人は次の諸定理を読むがよい。その諸定理によって、自然のうちにはただ一つの実体しか存在しないこと、またその実体は絶対に無限なものであること、したがってそうした標識を求めることは無用であることが判明するであろう。)により不条理である。それゆえに物は他のいかなる仕方、他のいかなる秩序においても云々。Q・E・D・此れが証明すべきことであったとします。
 此の視点を最先端を走る現代の先端論理物理論から見れば、幼稚な思想とさえ捉えかねんません。然し乍ら、其の思考の論理の筋立ては現代に於いても再見すべき思考論法であり、スピノザを矮小化するべきでないことは今日の現状です。



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最終更新日  2021年09月03日 06時14分16秒
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