カテゴリ:絶対存在論
神の存否-185
エチカ第二部序文 精神の本性および起源について 今や私は、神すなわち永遠・無限な実有、その本質から必然的に生起しなければならぬことどもの説明に移る。しかしそのすべてについてではない。なぜなら、第一部定理二六 ある作用をするように決定された物は神から必然的にそう決定されたのである。そして神から決定されない物は自己自身を作用するように決定することができない。証明 物がある作用をするように決定されていると言われるのは、それ自体で明らかなように必然的に積極的なあるもののためである。したがって神は自己の本性の必然性からそうしたものの本質ならびに存在の起成原因である(第一部 定理二五 神は物の存在の起成原因であるばかりでなく、また物の本質の起成原因でもある。および定理一六 神の本性の必然性から無限に多くのものが無限に多くの仕方で、言いかえれば無限の知性によって把握されうるすべてのものが生じなければならぬ。)。これが第一の点であった。これからまたこの定理の第二の部分がきわめて明瞭に帰結される。なぜなら、神から決定されない物が自己自身を決定し得るとしたら、この定理の第一の部分が誤りとなるであろう。しかしそれが不条理であることは我々の示した通りである。)で証明したように、神の本質からは無限に多くのものが無限に多くの仕方で生起しなければならぬからである。ここではただ、人間精神とその最高の幸福との認識へ我々をいわば手を執って導きうるものだけにとどめる。 哲学・思想ランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年09月30日 06時10分04秒
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