カテゴリ:絶対存在論
神の存否-222
スピノザは第二部の「精神の本性および起源について」の定理一三の系の備考にてこれによって我々は、人間精神が身体と合一していることを知るのみならず、精神と身体の合一をいかに解すべきかをを知ると共に実践をも問うているのでしょうか。此の後に公理を配材するのは、何が彼に衝動を突き起こしたのかは難解ですが此の項の公理から読み解すことが可能となるかも知れないと敢えて置いたのでしょう。定理一三の系の備考だけで哲学小論文が出来上がります。 公理一 ある物体が他の物体から動かされる一切の様式は、動かされる物体の本性からと同時に動かす物体の本性から生ずる。したがって、同一の物体が、動かす物体の本性の異なるにつれてさまざまな様式で動かされ、また反対に、異なった物体が、同一の物体からさまざまな様式で動かされることになる。 公理二 運動している物体が静止している他の物体に衝突してこれを動かすことができない場合には、それは酔ね返って自己の運動を継続する。そして弾ね返る運動の線がその衝突した静止物体の面となす角度は、打ち当る運動の線が同じ面となす角度に等しいであろう。 以上は最も単純な物体について、すなわち単に運動および静止、迅速および遅緩によって相互に区別される物体についてである。これから我々は複合した物体に移ろう。 定義 同じあるいは異なった大いさのいくつかの物体が、他の諸物体から圧力を受けて、相互に接合するようにされている時、あるいは(これはそれらいくつかの物体が同じあるいは異なった速度で運動する場合である)自己の運動をある一定の割合で相互に伝達するようにされている時、我々はそれらの物体がたがいに合一していると言い、またすべてが一緒になって一物体あるいは一個体を組織していると言う。そしてこの物体あるいは個体は、構成諸物体のこうした合一によって他の諸物体と区別される。 公理三 個体の、あるいは複合した物体の、各部分がより大なるあるいはより小なる表面をもって相互に接合するにつれて、それらの部分は自己の位置を変えるように強制されることがそれだけ困難にあるいはそれだけ容易になる。したがってまたその個体自身も他の形状をとるようにされることがそれだけ困難にあるいはそれだけ容易になる。そこで私は、その部分が大なる表面をもって相互に接合する物体を硬、その部分が小なる表面をもって接合する物体を軟、最後にまたその部分が相互に運動する物体を流動的と呼ぶであろう。 さすがに、物理科学思考が専門ではなく認識科学は受け入れても理論物理学の思索には躊躇が見られるスピノザですが、此処では自己の物理学思考を吐露しています。 哲学・思想ランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年11月07日 06時10分04秒
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