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Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2021年12月07日
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カテゴリ:絶対存在論
神の存否-252
 スピノザは人間身体の持続の観念の認識は極めて非妥当なものとします。原因→作用→決定の繰り返しを無限とする認識、勿論のこと、個々の人間としての認識は肉体の滅びが認識の終焉とも捉えられますが、宗教論における永久不滅の天上世界(Heaven)や仏教哲学の輪廻の否定は原因→作用→決定の繰り返しを無限とする認識を否定します。人間が観相する時間とは人間の持続性の観想から浮上するものであり、世界の側には其の秩序が絶対かといえば甚だ覚束なくなります。
 定理三〇 我々は我々の身体の持続についてはきわめて非妥当な認識しかもつことができない。
 証明 我々の身体の持続は身体の本質に依存しないし (この部第二部の公理一 ある物体が他の物体から動かされる一切の様式は、動かされる物体の本性からと同時に動かす物体の本性から生ずる。したがって、同一の物体が、動かす物体の本性の異なるにつれてさまざまな様式で動かされ、また反対に、異なった物体が、同一の物体からさまざまな様式で動かされることになる。により)、また神の絶対的本性にも依存しない(第一部定理二一 神のある属性の絶対的本性から生ずるすべてのものは常にかつ無限に存在しなければならぬ、言いかえればそれはこの属性によって永遠かつ無限であるにより、更には、第一部定理二八 あらゆる個物、すなわち有限で定まった存在を有するおのおのの物は、同様に有限で定まった存在を有する他の原因から存在または作用に決定されるのでなくては存在することも作用に決定されることもできない。そしてこの原因たるものもまた、同様に有限で定まった存在を有する他の原因から存在または作用に決定されるのでなくては存在することも作用に決定されることもできない。このようにして無限に進む。)を参考。むしろ身体は他)原因から存在し、作用するように決定され、この原因がまた他の原因からある一定の仕方で存在し、作用するように決定され、さらにこの後者も他から決定され、このようにして無限に進む。したがって我々の身体の持続は自然の共通の秩序および諸物の排列状態に依存する。しかし諸物がいかなる仕方で排列されているかについての妥当な認識は、神がすべての物の観念を有する限りにおいて神の中に在り、神が単に人間身体の観念を有する限りにおいては神の中にはない(この部の第二部定理九の系 おのおのの観念の個々の対象の中に起こるすべてのことは、神がまさにその対象の観念をもつ限りにおいてのみ、神のうちにその認識がある。により)。ゆえに我々の身体の持続の認識は、神が単に我々の精神の本性を構成すると見られる限りにおいては神の中においてきわめて非妥当なものである。言いかえれば(この部第二部の定理一一の系 この帰結として、人間精神は神の無限な知性の一部である、ということになる。したがって我々が「人間精神がこのことあるいはかのことを知覚する」と言う時、それは、「神が無限である限りにおいてでなく、神が人間精神の本性によって説明される限りにおいて、あるいは神が人間精神の本質を構成する限りにおいて、神がこのあるいはかの観念をもつ」と言うのにほかならない。また我々が「神が人間精神の本性を構成する限りにおいてのみでなく、神が人間精神と同時に他の物の観念をも有する限りにおいて、神がこのあるいはかの観念をもつ」と言う時に、それは「人間精神が物を部分的にあるいは非妥当的に知覚する」と言う意味である。により)この認識は我々の精神の中においてはきわめて非妥当なものである。Q・E・D・=これが証明すべきことであった。



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最終更新日  2021年12月07日 06時10分05秒
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