カテゴリ:絶対存在論
神の存否-301
人間は日本の真言宗の祖「空海」の如くに、自己の死期を年月日を持って予期は出来ない。重篤の人でもなく活発旺盛な人間も隕石落下で頭蓋骨が粉砕されることもあろう。人間誰しもがいくら医療が発達したとしても体内贓物の移植は可能になるにしても、寿命が長いとされる脳の寿命(480年)は免れえません。だとしても、日々其れを自覚している人間がいるとも思えません。人間精神は身体がなくなれば居所を失います。即ち、人間とは常時絶えずに「自己の生と死」が共存しています。 定理八 おのおのの物が自己の有に固執しようと努める努力は、限定された時間ではなく無限定な時間を含んでいる。 証明 なぜなら、もしこの努力が物の持続を決定する限定された時間を含むとしたら、その物が存在する能力そのものだけからして、その物がその限定された時間のあとには存在しえずして滅びなければならぬということが帰結されるであろう。ところがこれは(この部第三部の定理四 いかなる物も、外部の原因によってでなくては滅ぼされることができない。により)不条理である。ゆえに物を存在せしめる努力は何ら限定された時間を含まない。むしろ反対に、おのおのの物は外部の原因によって滅ぼされなければ、それが現に存在している同じ能力をもって常に存在しつづけるのであるから(同じくこの部第三部の定理四同上 いかなる物も、外部の原因によってでなくては滅ぼされることができない。により)、したがってこの努力は無限定な時間を含んでいる。Q・E・D・=これが証明すべきことであった。 哲学・思想ランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年01月25日 06時10分04秒
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