カテゴリ:絶対存在論
神の存否-378
付録:感情の諸定義 四八:情欲 四八 情欲とは性交に対する欲望および愛である。 説明 性交に対するこの欲望は適度であっても適度でなくても情欲と呼ばれるのが常である。 なおこれら五つの感情、名誉欲・美味欲・飲酒欲・貪欲・情欲は(この部第三部の定理五六の備考(抜粋:きわめて多様であるべき感情の種類の中でも特に著しいのは美味欲、飲酒欲、情欲、食欲および名誉欲である。これらは愛もしくは欲望の感情の本性をその関係する対象によって説明する概念にほかならない。なぜなら、我々は美味欲、飲酒欲、情欲、食欲および名誉欲を美食、飲酒、性交、富および名誉への過度の愛もしくは欲望としか解しないからである。なおこれらの感情は、単にその関係する対象のみによって相互に区別される限り、反対感情を有しない。なぜなら、通常我々が美味欲に対立させる節制、飲酒欲に対立させる禁酒、最後に情欲に対立させる貞操は、感情あるいは受動ではなくて、それらの感情を制御する精神の能力を表示するものだからである。)で注意したように反対感情を有しない。なぜなら礼譲≒鄭重は名誉欲の一種であるし、また節制、禁酒および貞操が精神の能力を示すものであって受動を示すものでないことはこれまたすでに注意したところである。もちろん貪欲な人間、名誉欲の強い人間、あるいは臆病な人間が、食事、飲酒および性交の過度を供しむということは有りうるにしても、それだからといって食欲、名誉欲および臆病が美味欲、飲酒欲、もしくは情欲の反対ではない。なぜなら食欲者は一般に、他人のところでなら飲食をむさぼることを願っている。また名誉欲の強い者、すなわち人々に賞讃されようとのみしている者は露見しないという望みさえあればどんなことにも節制を守らないであろうし、またもし彼が飲酒家たちや好色家たちの間に生活するならば、まさに人の気に入ろうとのみするその性情のゆえに、ますます多くこの同じ悪行に傾くであろう。最後に臆病者は、もともと自らの欲しないことをなすものである。たとえ彼が死を逃れるために自己の財宝を海中に投じようとも、彼の食欲家たることには変りがないし、また好色家としての彼がその情欲をほしいままにすることができないのを悲しむとしても、彼はそのゆえに好色家たることを失いはしないのである。一般的に言えば、これらの感情は美味、飲酒などに対する個々の行為に関係するよりはそれへの衝動そのもの、それへの愛そのものに関係する。したがってこれらの感情に対置されうるものは、我々が其ののちに述べるであろう寛仁と勇気のみである。 嫉妬およびその他の心情の動揺の定義はここでは省略する。なぜならそれらの感情は、これまで定義した諸感情の合成から生ずるものであるし、またその多くは特に名称をもっていないからである。このことは、実生活のためにはこれらのものをただ種類として知るだけで十分であることを物語っている。 なおまた我々が説明した諸感情の定義からして、そのすべての感情は欲望、喜びあるいは悲しみの三者から生ずること、あるいは寧ろすべての感情はこの三者以外の何ものでもないこと、そしてこれら三者のおのおのはその異なった関係およびその異なった外的特徴に応じて、それぞれ異なった名称で呼ばれる償いになっていることが明らかになる。 哲学・思想ランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年04月13日 06時10分04秒
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