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Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2022年05月08日
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カテゴリ:絶対存在論
神の存否-403
 定理一七 善および悪の真の認識が偶然的な物に関係する限り、その認識から生ずる欲望は、現在の物に対する欲望によってさらにいっそう抑制されうる。
 証明 この定理は前定理と同じ仕方でこの部の定理一二の系(現在に存在しないことが知られているがなお偶然的として表象される物に対する感情は、我々がその物を現在我々の前に在ると表象する場合よりもはるかに弱い。)から証明される。 
 備考 これでもって私は、なぜ人間が真の理性によってよりもむしろ意見(オビニオ)によって動かされるか、またなぜ善および悪の真の認識が心情の動揺を惹き起こしかつしばしばあらゆる種類の官能欲に征服されるかの原因を示したと信ずる。かの詩人の言葉はここから来ている、「我はより善きものを見てこれを可とす、されど我はより悪しきものに従う」。伝道者ソロモンが「知識を増す者は憂患を増す」と言っているのも同じことを念頭に置いたものと思われる。  (オヴィディウス、ソロモン) 記:エチオピアの故ハイレ・セラシエ皇帝がソロモン王とシバの女王の子孫と主張していたのは興味深いことす。
 しかし私がこうしたことを言うのは、それから無知が知にまさるとか、感情の制御において愚者と智者の間に差別がないとかいうようなことを結論しようと思ってではない。むしろ、理性が感情の制御において何をなしえ、また何をなしえざるかを決定しうるには、我々の本性の能力とともにその無能力をも知ることが必要だからである。それに私はこの部では単に人間の無能力のみについて論ずることにすると言っておいた。なぜなら、感情に対する理性の能力については、別に論ずる予定なのであるから。



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最終更新日  2022年05月08日 06時10分05秒
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