カテゴリ:絶対存在論
神の存否-416
定理二七 我々は、真に認識に役立つものあるいは我々の認識を妨害しうるもののみが善あるいは悪であることを確知する。 証明 精神は理性的に思惟する限り認識以外のことを追求せずまた認識に役立つものしか自己に有益であると判断しない(前定理二六 我々が理性に基づいてなすすべての努力は認識することにのみ向けられる。そして精神は、理性を用いる限り、認識に役立つものしか自己に有益であると判断しない。により)。ところが精神は妥当な観念を有する限りにおいてのみ、言いかえれば(第二部定理四〇の備考 抜粋:我々が事物の特質について共通概念あるいは妥当な観念を有する)ことから。そしてこれを私は理性(ラティオ)あるいは第二種の認識と呼ぶであろう。これら二種の認識のほかに、私があとで示すだろうように、第三種のものがある。我々はこれを直観知(スキエンティア・イントゥイティヴァ)と呼ぶであろう。そしてこの種の認識は神のいくつかの属性の形相的本質(エッセンティア・フォルマリス)の妥当な観念から事物の本質の妥当な認識へ進むものである。によって同じことだが理性的に思惟する限りにおいてのみ物について確実でありうる(第二部定理四一 第一種の認識は虚偽〔誤謬〕の唯一の原因である。これに反して第二種および第三種の認識は必然的に真である。および、第二部定理四三 真の観念を有する者は、同時に、自分が真の観念を有することを知り、かつそのことの真理を疑うことができない。)による。なお、後者第二部定理四三の(備考 要項:精神の有する明瞭判然たる観念が神の有する観念と同様に真であることは必然である。も見よ)。ゆえに我々は真に認識に役立つもののみが善であることを確知し、また反対に我々の認識を妨害しうるもののみが悪であることを確知する。Q・E・D・=此れが証明すべきことであった。(*確知:真の認識効能=善 真の認識の妨害=悪、であることのの知悉) 哲学・思想ランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年05月21日 06時02分46秒
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