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Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2022年08月12日
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カテゴリ:絶対存在論
神の存否-498
 定理二三 人間精神は身体とともに完全には破壊されえずに、その中の永遠なるあるものが残存する。
 証明 神の中には人間身体の本質を表現する概念ないし観念が必然的に存する(前定理二二 しかし神の中にはこのまたはかの人間身体の本質を永遠の相のもとに表現する観念が必然的に存する。により)。この概念ないし観念は、それゆえ必然的に、人間精神の本質に属するあるものである(第二部定理一三 人間精神を構成する観念の対象は身体である、あるいは現実に存在するある延長の様態である、そしてそれ以外の何ものでもない。により)。ところが我々は人間精神に対して、人間精神が身体の現実的存在、それは持続によって説明され、時間によって規定されうるものであるを表現する限りにおいてしか持続、すなわち、時間によって規定されうるようなものを賦与しない。言いかえれば我々は人間精神に対して(第二部定理八の系 抜粋:個物がただ神の属性の中に包容されている限りにおいてのみ存在する間は、個物の想念的有(エッセ・オブエクティヴム)すなわち個物の観念は神の無限な観念が存在する限りにおいてのみ存在する。しかし個物が神の属性の中に包容されている限りにおいて存在するばかりでなく、さらにまた時間的に持続すると言われる限りにおいても存在すると言われるようになると、個物の観念もまた持続すると言われる存在を含むようになる。により)身体の持続する間だけしか持続を賦与しない。しかしそれにもかかわらず今言ったあるものは神の本質そのものを通してある永遠なる必然性によって考えられるものなのであるから(前定理二二 しかし神の中にはこのまたはかの人間身体の本質を永遠の相のもとに表現する観念が必然的に存する。により)、精神の本質に属するこのあるものは必然的に永遠であるであろう。Q・E・D・=これが証明すべきことであった。
 備考 身体の本質を永遠の相のもとに表現するこの観念は、今言ったように、精神の本質に属する必然的に永遠なる一定の思惟様態である。しかし我々は、我々が身体以前にすでに存在していたことを想起することはできない。というのは身体の中にそれについての痕跡は何も存しえないし、また永遠性は時間によって規定されえず、時間とは何の関係も有しえないからである。しかしそれにもかかわらず我々は我々の永遠であることを感じかつ経験する。なぜなら精神は、知性によって理解する事柄を、想起する事柄と同等に感ずるからである。つまり物を視、かつ観察する精神の眼がとりもなおさず[我々が永遠である]ことの証明なのである。      (精神の眼)
 このように、我々が身体以前に存在したということを我々は想起しないけれども、しかし我々の精神が身体の本質を永遠の相のもとに含む限りにおいてそれ「我々の精神は永遠」であるということ、そして精神のこの存在は時間によって規定されえず持続によって説明されえないということ、そうしたことを我々は感ずる。ゆえに我々の精神は、身体の現実的存在を含む限りにおいてのみ持続すると言われうるし、またその限りにおいてのみ我々の精神の存在は一定の時間によって規定されうるのである。そしてその限りにおいてのみ我々の精神は物の存在を時間によって決定する能力、物を持続のもとに把握する能力を有するのである。          (永遠の瞬間)



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最終更新日  2022年08月12日 06時03分28秒
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