000000 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

CAPTAINの航海日記

CAPTAINの一筆書き旅行記 その7

<CAPTAINの一筆書き旅行記 その7 ~中国・四国編~>

◎はじめに
一筆書き旅行も、北海道を皮切りに、今回で7回目となりました。
行き先は、中国・四国です。
前回の中部・関西編(後編)でも説明したとおり、この一筆書き旅行での四国の扱いは、「瀬戸大橋線を列車で入ってしまなみ海道を走るバスで本州に戻る」ことに致します。途中で鉄道じゃないものが混じるので多少気が引けますが、できるだけ多くの地域を一筆書きで回りたいという筆者の思いゆえですので、ご理解いただきたいと思います。
また、これも前回と同様になりますが、この旅行で利用した鉄道のダイヤは、すべて2004年3月13日改正のものを使用しております。現行のダイヤ(2004年10月16日改正)とは時刻が異なりますので、ご了承ください。


1・中国・四国編・初日(桑折~宍道~三次)
◎本日のルート
桑折 6:28 ~ (東北本線) ~ 館腰 7:22
館腰 7:25 ~ (バス) ~ 仙台空港 7:37
仙台空港 8:40 ~ (飛行機) ~ 伊丹空港10:00
伊丹空港10:35 ~ (飛行機) ~ 出雲空港11:35
出雲空港 ~ (タクシー) ~ 宍道
宍道 12:39 ~ (山陰本線) ~ 出雲市 12:55
出雲市 13:08 ~ (山陰本線・特急スーパーまつかぜ3号) ~ 江津 13:55
江津 15:07 ~ (三江線) ~ 三次 17:50(泊)
※一筆書きルート=宍道~(山陰本線)~江津~(三江線)~三次。距離=本日193.5キロ、通算9,954.5キロ。

◎あらすじ
仙台空港から伊丹空港へと向かう飛行機の中で、私は、前回の旅行の終了地点を出雲にしたことを、少し悔いていました。
前回の帰りは勢いだけで出雲から福島まで帰れたけれど、いざ行くとなるとこれほど遠いところもないように思われます。できることなら前日から電車を乗り継いで出雲に着き、出雲大社の門前にある老舗旅館「竹野屋」(竹内まりやの実家)にでも泊まってから一筆書きに臨もうかな… と妄想していたんですが、今回のルートは非電化区間が多いせいかスケジュールを立てるのが難しく、結果、初日から飛行機を乗り継いで出雲へ。更にその足で一筆書き再開となってしまいました。
それにしても、飛行機は、何度乗っても慣れません。早く着陸してくれよ~~

北海道編以来の飛行機乗り継ぎでややグロッキー状態になって出雲空港着。ここで昼食を摂って身体を落ち着かせてから、一筆書きを再開すべく、宍道駅へとタクシーで向かいます。
再開第1号の列車は、宍道発12時39分の出雲市行普通列車。この列車の始発駅は伯備線の生山で、今乗っている山陰本線が伯耆大山~西出雲の電化区間に関しては伯備線の延長であることが伺えます。右手から一畑電鉄が合流し、ダイワボウの大工場が見えてくると出雲市で12時55分着。ここで13時08分発のスーパーまつかぜ3号に乗り換え、一気に江津へと向かいます。
西出雲の先の車両基地を過ぎると山陰本線は非電化になります。歩調をあわせるかのように出雲平野も尽き、線路も道路も海沿いを走ります。海の見える車窓は好きですが、ここのは淋しく、そして荒っぽい風景です。
海に寄っていた山が後方に引き、足場を確かめるかのようにソロソロと内陸に入っていくと大田市で、13時29分着。出発すると再び山が迫ってきて、仁万から先はまたもや海沿いに追いこまれます。
そんな風景がしばらく続くと、突然鉄橋に差し掛かり、江津駅の構内へ。渡った川は江の川。高校野球を通じて名前の知られる川ですが、意外に川幅が広く、面食らいました。でもその割には、河口の街・江津には、平野らしいものはあまり広がっていません。
江津では1時間ほど待ち時間があるので、タウンウォッチング。でも小さな街なので、30分もしないうちに引き返し、江津駅の3番線ホームで1両だけでポツンと待っていた車両にそそくさと乗り込みます。
その行動は、結果的に成功だったようです。その後山陰本線から上り下り各1本ずつ列車が到着したんですが、その度に高校生が降りてきて、三江線の車両に乗り込んでくるんです。もし発車ギリギリまで街で粘っていたら、確実に立ちんぼになるところでした。
高校生でほぼ満員となった列車は、15時07分に発車。最初の駅・江津本町から先は、江の川に延々と沿って進みます。江津の風景を見て覚悟していたことですが、いきなり谷の風景になるので、この先どんなところに連れて行かれるのか、ちょっと不安になります。江津を出たときはあれほど乗っていた高校生も、川戸、石見川本、粕淵と主要駅で大概吐き出されてしまい、ガラガラの状態に。加えて1975年まで三江北線の終点だった浜原を過ぎると新線区間に入り線形が良くなったせいか急にスピードを上げるので、不安はますます増幅。江の川などもはや関係ないかというようにトンネルや鉄橋が連続し、宇都井という小駅などは地上からかなり離れたところにホームがあったりするので、逆に浜原以北の古色蒼然とした三江線が懐かしく感じられます。
宇都井を出ると何度目かの江の川渡河で広島県へ入り、伊賀和志に停車。ところがまたまた江の川を渡って島根県に逆戻り。このあたりは江の川が県境になっているため駅の帰属が広島と島根を行ったり来たりしています。島根県の最南端に作木口という駅がありますが、駅名の由来となった作木は江の川の対岸にある広島県の地名だったりするから、ややこしいものがあります。なお、この辺になると旧三江南線の区間に入るので、スピードは落ち、再び可愛川と名を変えた江の川の沿岸をひたすら進みます。
広島県に入っても島根県と大差ない山間の風景が続いているんですが、実は行政区画上は「市」。東岸が三次市、西岸が安芸高田市です。いずれも2004年の合併によって成立したものですが、こんな山奥まで市となるとちょっと節操がないな思う反面、このあたりの地方財政は合併なしには立ち行かないのかな… と複雑な心境にもなります。
桜の名所・尾関山をトンネルで抜けると、三次の旧市街地に入ります。これまで山の中ばかり走ってきたから、やけに大きな街に見えます。可愛川の支流で鵜飼が行われることで知られる馬洗川を渡ると芸備線が合流し、終点の三次。17時50分の到着です。
この先は芸備線、福塩線と乗り継ぐ予定ですが、沿線に適当な街がないので、三次で泊まることにします。ホテルは街外れ、しかもすぐ近くにはマツダの自動車試験場があるという、ちょっと変わったロケーションでした。


2・中国・四国編・2日目(三次~高松)
◎本日のルート
三次 7:50 ~ (芸備線、福塩線) ~ 府中 9:42
府中 10:15 ~ (福塩線) ~ 神辺 10:45
神辺 11:09 ~ (井原鉄道) ~ 清音 11:56
清音 12:01 ~ (伯備線) ~ 新見 13:10
新見 13:22 ~ (姫新線) ~ 津山 15:05
津山 15:52 ~ (津山線・急行つやま) ~ 岡山 16:52
岡山 17:04 ~ (宇野線、瀬戸大橋線、予讃線・快速マリンライナー47号) ~ 高松 17:58(泊)
※一筆書きルート=三次~(芸備線)~塩町~(福塩線)~神辺~(井原鉄道)~清音~(伯備線)~新見~(姫新線)~津山~(津山線)~岡山~(宇野線)~茶屋町~(瀬戸大橋線)~宇多津~(予讃線)~高松。距離=本日374.4キロ、通算10,328.9キロ。

◎あらすじ
今日は、いつもより少し早く6時半に起床。荷物をまとめると、朝食も摂らずに三次駅へと向かいます。
理由はただ一つ。次に乗るべき福塩線の列車がこれから乗るべき三次発7時50分を逃すと11時22分までないから。福塩線の列車が全列車三次発着なのはありがたいんですが、1日8往復しかないので、乗るには若干の執念を要します。
駅の売店でパンを買いこみ、三次への通勤通学客を降ろしたばかりの列車に乗車。最初のうちは空いていたんですが、徐々に高校生で込み出します。前回の旅行から中国山地のローカル線と長い付き合いを続けていますが、いつも高校生と乗り合わせているような気がします。
定刻7時50分に三次を出発。3駅目が塩町で、ここで芸備線と福塩線が分岐します。福「塩」線と線名の一部になるぐらいだからそれなりに構えの大きい駅かなと思ってましたが、島式ホーム1面だけの小さな無人駅でした。
福塩線という名前だけ聞いてもどんなところを走るのかちょっと想像がつきませんでしたが、芸備線や木次線、三江線に比べて周囲の山稜がなだらかになり、人家が多少増えたかな、と思う程度。列車交換が行われた吉舎で高校生が一人残らず降りてしまうと、これまた昨日までと同じ淋しい車内と成り果てます。
しかし面白いことに、このあたりもまた、三次市の市域内。塩町から23.3キロ、そして三次からは30.4キロも離れた甲奴が、三次市の南端になります。合併によって広がった三次市の面積は約780平方キロメートルで、県都の政令指定都市・広島市をも上回っています。
甲奴の次の駅が、福塩線の非電化区間の要の駅となる上下。ところがなんと、この駅も既に府中市の市域内。甲奴郡上下町は2004年4月1日をもって府中市に編入されてしまったんです。この上下までが可愛川の水系に入っており、府中からは峠を越える形になっているので、地図で見る限りではちょいと不自然な合併に感じます。
上下の先の短いトンネルを抜けると、福山で瀬戸内海に注ぐ芦田川の水系へと出ます。が、ほどなく全長6,123メートルの八田原トンネルに突入。計算上ではちょうどこのあたりが一筆書き開始から10,000キロの地点になるんですが、外の景色も何もあったものではなく、区切り感もあまり湧いてきません。
八田原トンネルを出た後は芦田川にひたすら沿って、9時42分、この列車の終点・府中に到着。府中以南の福塩線は電化されているので、ここで10時15分発の電車に乗り換えます。
府中以南の福塩線は私鉄の両備鉄道を買収した路線です。そのせいか、駅間距離は約1キロに1駅と、非常に短くなっています。ちょっと走っては停まり… の繰り返し。その間、周囲の谷は開け、久々に平野らしい景観となります。10時45分に到着した神辺で下車。ここで井原鉄道に乗り換えます。
井原鉄道は1999年に開業した第三セクター鉄道で、福山への通勤通学路線としての需要が高いのか、列車の本数も意外に多いです。次の神辺発の列車も11時09分発とさほど待たずに、乗ることができます。
神辺を出発すると、すぐに岡山県へと入ります。最初の駅の名前が、「子守唄の里高屋」。この路線には他にも「早雲の里荏原」という駅があります。個人的にはこの手の駅名だかキャッチフレーズだか紛らわしいのは好きになれないんですが、沿線人口も少なく観光的にも地味な地域をなんとか盛り上げていこうとの意気込みは、伝わってきます。
井原から先は、高梁川の支流の小田川に沿って進みます。それほど大きくはないですが、南北にまっすぐ瀬戸内海を目指すのではなく東西方向に流れているところに、妙な矜持を感じます。その小田川が高梁川に合流するのを見届ける前にこちらが高梁川の鉄橋を渡ってしまい、伯備線と接続する清音に到着。井原鉄道は岡山と総社とを結ぶ吉備線の延長として建設された経緯があるため大半の列車は総社まで乗り入れるんですが、この列車は清音止まりなので、一旦下車し、伯備線の列車を待ちます。次に乗るのは、12時01分発の新見行普通列車です。
清音から総社までは岡山平野を快適に進む伯備線ですが、総社から先は平野が尽きてしまい、これが宿命であるかのように高梁川に延々と沿います。昨日は江の川、今日は高梁川… 大河に沿うといえば聞こえがいいですが、要はずっと山間を走っているだけの話。どういう訳か、中国地方随一の大幹線・山陽本線に乗せてもらう機会は、今回の旅行ではまだ訪れていません。
谷間に突然現れた城下町・備中高梁を過ぎると伯備線は単線となり、いよいよローカル色を増します。が、それも束の間。井倉峡をチラッとかすめて井倉を過ぎると、1982年の電化にあわせて掘られた新線トンネルに入ってしまいます。トンネルと鉄橋の連続で次の石蟹、さらには終点の新見へと進みます。
新見での待ち時間は10分ほどしかありませんが、ここで少しでもお腹に何か詰めておかないと後がきついので、売店にダッシュします。そういえば、前回の旅行でも新見に立ち寄ったときに、同じ行動をとったように記憶しています。
13時22分発の姫新線の普通列車で、新見を出発。新見から中国勝山までの姫新線は1日8往復の閑散区間ということもあってか、車内はガラ空き。高校生の騒々しさが、少し恋しくなります。
丹治部の少し手前までは中国自動車道と絡み合うように進み、次の刑部を過ぎると峠越えで備中国から美作国へ。河川水系も、高梁川から岡山市内へと注ぐ旭川の水系へと変わります。
これまでとさほど変わり映えしない山中を走り、14時10分、中国勝山に到着。津山方面への区間列車が発着し、また湯原温泉や蒜山高原へのバスも出る拠点駅ですが、どうにも気になるのが、その駅名。駅名に旧国名や地域名、あるいは県名や社名を冠するケースは数限りなくありますが、中国地方という地方名を冠しているのは、全国広しといえどもこの駅だけでしょう。
中国勝山の少し先の美作落合で、旭川とはいったんお別れ。その代わり先ほど別れた中国自動車道が再び接近して、津山までほぼ並走します。河川水系も、旭川から吉井川へと何時の間にやら変わっています。
院庄の手前で津山盆地に入ると、周囲の景観にはロードサイドショップが目立つようになります。さすがは岡山の内陸部では最大の都市だけあります。次に乗る津山線が合流して、15時05分、津山に到着。ディーゼルカーの車両基地もあって、久々に「駅」らしい駅です。
今日はずっと駅から出ていなかったので、津山の街を少し散策します。駅前に架けられた吉井川の橋を渡ると、津山の繁華街。ですが、この街も他の地方都市と同様に中心市街地の衰退が進んでいるらしく、かつてデパートがあったビルに場外車券売場が入居したりしてました。
津山駅に戻り、15時52分発の急行つやまに乗車。よくよく考えて見ると、一筆書きの旅行を通算しても、急行に乗るのは、今回が初めてです。最近の優等列車は特急か快速かの2極分化が進んでおり、津山線も岡山と津山を結ぶ快速ことぶきが走っていますが、なぜか1往復だけ急行が残っています。もっとも、この急行はかつて岡山と鳥取を結んでいた急行砂丘のなれの果てらしいので、廃止は時間の問題かもしれません。
そんな先行き不安な急行は、中国山地をしばらく行くと、津山と岡山とのほぼ中間にあたる福渡の手前から、旭川と絡み合うように南下します。進んでも進んでも、景色は旭川とその両側にそびえる山稜だけ。岡山に近づくほどその傾向が強くなるので、本当に岡山に向かっているんだろうか? とちょっと不安になります。
でもその不安は、岡山の手前の法界院で、一気に解消します。旭川の谷が開けると同時に岡山の市街地に入り、山陽新幹線と山陽本線とがまとめて合流すると終点の岡山。6路線の列車が発着するだけあって、島式ホーム4面を有する、かなり大きな駅です。
ただし、我が津山線のホームは、駅の表玄関からもっとも離れたところ。しかも同じく非電化の吉備線との共用です。路線図を見ればそうなってしまう理由は理解できますが、「非電化のローカル線は隅っこに引っ込んでろということかい!」と毒づきたくもなります。
岡山からは、17時04分発の快速マリンライナー47号で、一気に四国の高松へと向かいます。岡山駅での接続時間が短かったせいもあり既に通勤通学客で車内が込み合っていて立ちんぼになりましたが、いよいよ四国だと思うと嬉しくなります。
宇野線と瀬戸大橋線とが分岐する茶屋町でようやく席が空き、着席。ここからは瀬戸大橋の開業と同時に開通した複線の新線に入るので、スピードが一気に上がります。
児島半島の丘陵地をトンネルで一気に抜けると、児島。競艇場の脇を通り、鷲羽山をトンネルで抜けると、瀬戸大橋に差し掛かります。
瀬戸大橋は途中にある島々を基点にいくつかの橋に分かれています。その最初の島が、櫃石島。児島の南端にある下津井の港からは4キロほどしか離れていませんが、ここはすでに香川県。本州と四国の中間点に県境があるのかな~と漠然に考えていたんですが、どういう経緯でこのようになってしまったんでしょう。
その後も橋・島・橋・島…と交互に景色が展開します。橋からは瀬戸内海の景色が見渡せるので面白いな~と思う半面、高所恐怖症のキライがある私としては、「まさか落っこちたりしないだろうな?」とちょっと不安に。高速道路のパーキングのある与島から先は四国本土まで3キロほどほぼ海上を走るので、特にその気持ちが強かったです。
だから、四国本土に差し掛かったときは、本当にホッとしました。石油タンクが建ち並ぶ味気ない風景でしたが、やっぱり人間、土の上の方が居心地がいいです。
ここから高松へと向かうんですが、実はひとつ問題が。瀬戸大橋線は宇多津で予讃線と合流するんですが、松山方面へと直通する接続となっており、高松方面へは、宇多津の手前にある連絡線で直接坂出へと抜けるようになっているんです。この連絡線は宇多津駅の構内にあることになっているのでとりあえずはOKとはしますが、宇多津駅のホームを拝めないのはちょっと残念です。
予讃線に入り坂出を過ぎると、周囲は田園風景に。でもそれも束の間。高松の市街地に何時の間にか入るともう減速を始めており、程なく高松駅のホームへと滑り込んでいました。17時58分の到着。岡山を出てからまだ1時間経ってません。
全面ガラス張りの近代的な駅舎を出、宿に荷物を置くと、まずはうどん屋を探します。その土地土地の名物を食べるのは、やっぱりお約束ですからね(笑)


3・中国・四国編・3日目(高松~高知)
◎本日のルート
高松 9:50 ~ (高徳線) ~ 徳島 11:58
徳島 13:06 ~ (徳島線) ~ 阿波池田15:04
阿波池田15:30 ~ (土讃線) ~ 高知 17:59(泊)
※一筆書きルート=高松~(高徳線)~佐古~(徳島線)~佃~(土讃線)~高知。距離=本日228.4キロ、通算10,557.3キロ。

◎あらすじ
今日乗る列車は、たったの3本です。しかもいずれも普通列車。
JR四国は他社に比べて駅間距離が短い傾向にあるので所要時間もかさみ、結果、走行距離も通常より100キロほど短くなってしまいます。
でもまあ、こういうのも一筆書きならではのものでしょう。まずは9時50分発徳島行の普通列車で、高松を出発。高松の中心街を半時計回りに半周し、東へと向かいます。ほどなく見えてくるのが、屋島。源平合戦で有名なところですが、見る限りでは島ではなく陸続きの山です。
この屋島付近より、左手に一条の線路が沿います。琴電の志度線で、この先国道11号線を挟んで仲良く志度まで進みます。
志度を過ぎると、海がチラチラと見えてくるようになります。瀬戸内海だと漠然と思っていたんですが、地図で見ると「播磨灘」の表記。この辺でも播磨灘なんて呼ぶのかなぁ?と、首をひねります。
またこの辺りでは、山側にも、気になるものが、高速道路なんですが、名前が高松自動車道。鉄道にのっている身からすると高松が起点になるから多少違和感を覚える名前なんですが、この高速道路は鳴門、明石の両海峡を渡って関西に直結しているから、関西側から見たネーミングなんでしょう。
讃岐相生を過ぎると低いながらも山登りにかかり、徳島県へ。山を下るとそこはもう広々とした徳島平野です。鳴門線の接続する池谷を過ぎると、旧吉野川、吉野川、鮎喰川の順で渡ります。いずれも広々としており、徳島と川との縁の深さを感じます。
鮎喰川を渡ったすぐ先にある佐古で、次に乗る徳島線と接続。でもここで乗り換えず、終点の徳島まで行きます。佐古~徳島間は、徳島県で唯一の複線区間。ただし、通常の複線が左側通行なのに対し、こちらの複線は「単線並列」。つまり高徳線と徳島線とが1本ずつ線路を有しているんです。今乗っている列車は左側通行になるのでさほどの違和感を感じませんが、逆に徳島から高松へと向かう列車に乗ったら、一瞬ギョッとしたかもしれません。
11時58分、徳島に到着。ちょうどいい時間ですので、ここでお昼休憩をとることにします。
眉山の麓までタウンウォッチングしてから徳島駅に戻り、13時06分発阿波池田行の普通列車に乗車。吉野川に沿って西へと進みます。はじめのうちは広々とした徳島平野だったんですが鴨島を過ぎるとだんだん両側の山が迫ってきます。
いや、山が迫っていたのは、厳密には線路のある南岸だけ。北岸は相変わらず平野が続いており、遠方には徳島自動車道が走っているという構図。町の規模なんかも、徳島線では主要駅の位置付けである穴吹よりも対岸の脇の方が、ずっと大きな町に見えます。
そんな風景もやがて尽きて北岸にも山が迫ってくると、徳島自動車道、そして猪ノ鼻トンネルを抜け山を駆け下りてきた土讃線が、まとめて南岸に合流。そして池田の町へと入ります。かつて高校野球で有名になった池田町は、元々はタバコの生産で栄えた町。ところが近年ではJTの工場閉鎖、更には池田高校も甲子園に出ることがなくなって、町全体が沈んだ雰囲気なんだとか。地方都市をめぐる情勢は厳しいですが、何とか頑張って欲しいものです。
その池田町の阿波池田で、徳島線から土讃線に乗り換えて、15時30分発。徳島平野は完全に尽き、列車は吉野川の谷にへばりつくように進みます。だから小歩危、大歩危と景勝地が続く訳なんですが、並行して走る国道32号線の護岸コンクリートが、若干目障りです。
さすがに四国三郎と形容されるだけあって、県境を越えて高知県に入っても、吉野川とのつきあいは続きます。風情ある駅舎が特徴的な大杉の先でようやく別れますが、吉野川の本流は更に西へと分け入っています。いったいどこまで続いているんだろう?
繁藤で峠越えとなり、次のスイッチバック駅・新改を過ぎると、一気に高知平野へと駆け下ります。新改の次が高知平野の東端にあたる土佐山田ですが、繁藤との標高差は実に300メートル以上に及びます。
土佐山田から先は田園地帯ですが、土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線が分岐する御免あたりからは、久々に住宅街が登場。駅間距離も短くなり、郊外電車に乗っているような錯覚にとらわれます。高架化工事なども行われていてなかなか賑やかなところをしばらく走ると終点の高知。今日はここで打ち止めとします。17時59分の到着ですが、外はまだ明るいです。日没前には、はりまや橋まで歩いて往復できるでしょう。


4・中国・四国編・4日目(高知~三原)
◎本日のルート
高知 8:19 ~ (土讃線・特急しまんと1号) ~ 窪川 9:23
窪川 10:03 ~ (土佐くろしお鉄道中村線、予土線、予讃線) ~ 宇和島 12:05
宇和島 12:47 ~ (予讃線・特急しおかぜ22号) ~ 伊予大洲13:29
伊予大洲14:02 ~ (予讃線) ~ 伊予市 15:18
伊予市 15:29 ~ (予讃線) ~ 松山 15:46
松山 16:21 ~ (予讃線・しおかぜ26号) ~ 今治 16:55
今治 17:14 ~ (高速バス・しまなみライナー) ~ 新尾道 18:37
新尾道 18:47 ~ (山陽新幹線・こだま672号) ~ 福山 18:56
福山 19:29 ~ (山陽本線) ~ 三原 20:03(泊)
※一筆書きルート=高知~(土讃線)~窪川~(土佐くろしお鉄道中村線)~若井~(予土線)~北宇和島~(予讃線)~今治~(高速バス)~新尾道~(山陽新幹線)~福山~(山陽本線)~三原。距離=本日355.7キロ、通算10,913.0キロ(いずれも鉄道のみの数字)。

◎あらすじ
たった3本の普通列車にしか乗らなかった昨日とは打って変わって、今日の行程は多趣多彩です。特急あり、新幹線あり。そして何より、しまなみ海道を走るバスに乗車します。いろいろと乗り継いで、19時過ぎには、宿泊地の呉に着く予定です。
駅前の宿で朝食を摂り、ラッシュアワーの高知駅にてまずは8時19分発の特急しまんと1号宿毛行に乗車。もっとも、特急と言っても停車駅的には快速同然の列車で、伊野までの11.4キロの間に旭、朝倉と細かく停車します。そしてこれらの駅の間には小さな駅がいくつか挟まっており、幹線ながら身延線や飯田線を彷彿とさせる区間となっています。
朝倉から伊野まで土佐電気鉄道の軌道線と並走。そして伊野の先で仁淀川を渡ると、これまでの平野の風景から一変して山間へと分け入ります。佐川の先で峠を越えるとまたまた一転して海沿いに出、天然の良港・須崎に停車。更に低い峠を越えて再び沿岸部の土佐久礼に停車と、地形がだんだん複雑になっていきます。
そして極めつけは、土佐久礼から影野の間。トンネルをいくつか潜りながら海沿いの丘陵を登り詰めるんですが、標高差200メートル以上。影野は海岸から直線距離で10キロも離れていないんですが、近くに沿う川はなんと中村に注ぐ四万十川の支流です。
その支流に沿って下ると窪川で、9時23分着。ここで予土線に乗り換えます。次の列車は10時03分発の宇和島行で少し待ちますが、この路線は1日7往復しかない閑散区間なので、40分の待ち時間は短い部類に入ります。予土線の列車は単行のディーゼルカー。この列車の前の列車は6時28分発(!)だからもう少しお客さんが溜まっていても良さそうなものですが、車内はガラガラでした。
ところで、先ほど「予土線」と表現しましたが、厳密に言うと窪川と次の駅若井の間の4.4キロは土佐くろしお鉄道中村線で、更に言えば線路の分岐点は若井から更に3.6キロ先の川奥信号場です。だから予土線の沿線から窪川に出るためには土佐くろしお鉄道に片道200円の運賃を支払わなければなりません。旧JR中村線を転換した区間だからとはいえ杓子定規と言うか理不尽な扱いのように感じますが、転換していなかったら中村から宿毛まで鉄道が延伸(1997年開業)されていたかどうかは微妙な情勢だったので、思いは更に複雑になります。
そんなことを考えながら川奥信号場に差し掛かると、土佐くろしお鉄道中村線が右手に分岐し、トンネルの中へと消えていきます。この線路はトンネルの中をループ線で下っていきます。
で、我が予土線の方はというと四万十川の上流沿いを下っていくんですが、この区間は1974年開通と比較的新しい路線なので、W型ないしはオメガ型に曲流する川の存在は無視して、トンネルと鉄橋の連続でスイスイと走ります。こんな閑散区間にといっては失礼ですが、勿体無い線路の敷き方ではあります。
線の中心にあたる江川崎を過ぎると、一転してカーブの連続になり、スピードが落ちます。その代わり周辺の地形は徐々になだらかになり、宇和島への区間列車が発着する近永付近では、久々の田園風景も展開。
が、それも束の間。宇和島に近づくにつれ、だんだんと高度が上がっていきます。宇和島からわずか7.8キロしか離れていない務田がサミットになるんですが、何とここまでが四万十川の水系に属しています。
峠を越えるとあとは宇和島まで下るだけ。微妙に制動を利かせながら勾配を降りると予讃線と接続する北宇和島。既に宇和島の市街地に入っており、ちょっと走ると、終点の宇和島です。小ぢんまりとした駅舎を想像していたんですが、意外にもホテルが併設された大きな駅舎だったので、驚きます。
かまぼこぐらいしか名物料理がない宇和島では昼食のチョイスに迷い、結局駅構内のコンビニで買ったただの弁当。でもまぁいいでしょう。宇和島からは12時47分発のしおかぜ22号で一気に今治まで行き、高速バスで本州へと戻る算段を立てています。
ミカン畑が広がる丘陵を列車は卯之町、八幡浜と順調に進みます。昼食直後で腹もくちくなって眠気も出てくる頃合いでしたが、次の伊予大洲への到着を知らせるアナウンスで、眠気は完全に吹っ飛んでしまいます。
「伊予長浜方面は、お乗り換えです。」
あ~! 忘れてた~!! 伊予大洲から伊予市の手前の向井原までの予讃線は2本に分かれており、しおかぜ22号は距離の短い内子経由。でも最長距離を全うするならば、伊予長浜経由で行かなければならなかったんです。…完全に見落としてました。自分のミスとはいえ、これで今日の予定はメチャクチャです。
大慌てで荷物をまとめ、伊予大洲で下車。ホームに降りるやいなや、時刻表を開きます。調べてみると今日中に呉に着くことは可能ですが、日没どころか完全に真っ暗な状況。呉線の東半分は瀬戸内海に延々と沿うので、やはり陽のあるうちに乗りたい。だから私は、呉での宿泊を、諦めることにしました。明日の予定を考えると宿泊地は三原にせざるを得ませんが、観光地ではない三原でアポなし宿泊が可能なのかどうか、ちょっと心配になります。
伊予大洲発14時02分の伊予長浜行普通列車で、一筆書きを再開。肱川とともに河口の伊予長浜まで下ります。愛媛県最大の河川で大洲付近では盆地を形成している肱川ですが、大洲から伊予長浜の間は大きな湾曲もなく流れている割には両岸が切り立った丘陵という図。これが伊予長浜まで続きます。
伊予長浜から先は、伊予灘に沿って海岸線を進みます。これまた右手に丘陵、左手に伊予灘という図が延々と続きます。紀州で似たような風景を見たかな?と一瞬デジャビュに浸りますが、波は紀州よりもずっと穏やかです。
予讃線は伊予市で電化非電化の境目となっているので、ここで乗り換え。下校途中の高校生が車内に目立ちます。しばらく走ると松山の市街地に入り、15時46分、松山着。
松山では30分ほど待ち時間があるので、駅周辺を見物。正岡子規の句碑ぐらいしか見るべき物がなく県庁所在地の駅前としてはやや淋しいですが、松山の繁華街はここよりもっと東側の伊予鉄道松山市駅近辺にあるので、仕方ありません。もっとも、伊予長浜経由見逃しのポカをしなければここは通過するだけだったので、逆に見れて良かったという気持ちもあります。
松山からは、松山始発の特急しおかぜ26号で、今度こそ一気に今治へ。電車特急は海岸線に沿って快調に進み、わずか34分後の16時55分に、今治に到着。
今治から尾道までのバスは本数が少なくポカをやらかした時には冗談抜きで目の前が真っ暗になりましたが、不幸中の幸いで、今治駅前を17時14分に発つバスがあります。切符を買い、バス乗り場へ。ほどなくバスがやってきます。
街外れにあるインターチェンジで高速に入ると、いよいよしまなみ海道。今治桟橋の真上を跨いで橋を渡ると村上水軍で知られる大島、次が製塩の伯方島、その次が大三島と、まさにしまなみを結んで進みます。このあたりの風景を歌ったのかどうかは知りませんが、思わず、「瀬戸の花嫁」の歌詞がオーバーラップします。正味2日しか滞在できませんでしたが、四国とサヨナラするのはちょっと淋しいです。
広島県に入り、造船の島・因島などを経由して、本州に再突入。山陽本線も国道2号線も大跨ぎして、丘陵の中にある西瀬戸尾道インターで、一般道に入ります。このインターからは、海沿いにある尾道駅よりも内陸にある新尾道駅の方が近いので、バスも新尾道→尾道というルートをとります。従って、新尾道でバスを降り、山陽新幹線に乗り換えとなります。時刻は既に18時半を回っており外など殆ど見えません。後の行程を考えるとこの先も乗らざるを得ませんが、消化試合のような割り切れなさが残ります。
新尾道18時47分発のこだま672号で福山へ行き、福山19時29分発の普通列車で再び尾道方面へ折り返し。今回の旅行では初めて、一筆書き旅行を通算しても5日ぶりの山陽本線でしたが、岡山発柳井行の長距離列車でしかも通勤帰りの時間帯にかかってしまったため、車内では立ちんぼに。夜景だけでも拝みたいと思っていた尾道ですが、満足に眺めることすらできませんでした。
20時03分、三原着。お腹も空いてますが、まずは宿を確保しなければなりません。改札を出た私は、一目散に公衆電話へと駆け込みました。


5・中国・四国編・5日目(三原~新下関~特急富士車内)
◎本日のルート
三原 6:48 ~ (呉線) ~ 広 8:07
広 8:23 ~ (呉線、山陽本線・快速安芸路ライナー) ~ 岩国 9:51
岩国 10:08 ~ (山陽本線・快速シティライナー) ~ 新山口 12:22
新山口 12:26 ~ (山口線・特急スーパーおき4号) ~ 益田 13:55
益田 14:50 ~ (山陰本線・特急いそかぜ) ~ 長門市 16:10
長門市 16:12 ~ (美祢線) ~ 厚狭 17:18
厚狭 17:41 ~ (山陽本線) ~ 下関 18:14
下関 19:27 ~ (山陽本線、東海道本線・寝台特急富士) ~ (車中泊)
※一筆書きルート=三原~(呉線)~海田市~(山陽本線)~新山口~(山口線)~益田~(山陰本線)~長門市~(美祢線)~厚狭~(山陽本線)~新下関。距離=本日498.5キロ、通算11,411.5キロ(鉄道のみの数字)。

◎あらすじ
山陽の朝は、遅いです。今午前5時半ですが、外は真っ暗です。
幸運にも三原駅近くの宿が取れたのでホッとしたせいもあり早目に就寝したんですが、遅れを取り戻すためには、陽が昇る前に起きて身支度しなければなりません。眠い目をこすりながらシャワーを浴び、着替えているとようやく東の空が白み始めました。
今日最初に乗るのは、三原発6時48分の広島行普通列車。この列車は糸崎始発なので、ホームにて到着を待ちます。それにしても眠い。大アクビを連発します。
ようやく列車が到着。いざ乗り込むと、なんと全車両ロングシート。これから瀬戸内海の風景をゆっくり見ようと思っていたんですが、これでは外を眺めるどころではありません。ちょっとガッカリです。
しかも、ガッカリはこれだけではありませんでした。車両には、トイレがついていなかったのです。安芸長浜の手前で尿意を覚えると、あとはひたすらガマンの子。こんな時、コドモだったら車両の継ぎ目に陣取ってこっそり済ませる手もあるようですが、私はオトナ。しかも呉、そして広島への通勤通学客でだんだん込みつつある車内ではやはりやりかねます。ガマンできないなら列車を降りて駅で済ませるしかありませんが、後のスケジュールを考えると、それもできません。まさに地獄の責め苦で、車内を過ごします。8時07分着の広で、ようやく開放御免。トイレに駆け込んで事無きを得ましたが、この状況を解消するためにどうにかして欲しいと思います。
広からは、8時23分発の快速安芸路ライナーで、一気に岩国へと向かいます。トイレを終えて座席に座ると、ほどなく出発。各駅に停車しながら呉の市街地を縫うように走ります。ところが呉から先は一転して、広島までなんとノンストップ。所要時間わずか25分で駆け抜けてしまいます。
が、ここで終わらないのが安芸路ライナーの面白いところで、広島から岩国までは、再び各駅停車へと変身してしまいます。各停~ノンストップ~再び各停と、これほどまでに極端にスタンスを変える列車は、あまりないような気がします。
広島電鉄と並走しながら宮島口まで向かうと瀬戸内海の対岸に厳島が見えてきます。天橋立では結構な時間を過ごしたので宮島でも相応の時間を割きたかったんですが、スケジュールの都合で泣く泣く諦めました。列車から海が見えること、そして厳島が長々と横たわっていることがせめてもの慰みです。
厳島が途絶えるともう大竹で、その次が終点の岩国。いよいよ、本州最後の1県・山口県に入ります。次に乗る列車は10時08分発の快速シティライナー新山口行。これも安芸路ライナー同様妙な走り方をする列車で、始発駅の東広島市白市から広島市の東端にある瀬野までは各停、瀬野から広島まではノンストップ、広島から広島市西端の五日市までは再び各停、そして五日市から岩国までは宮島口のみに停車とずいぶんムラッ気のある快速です。そしてこの列車、岩国から先は三度各停になります。まどろっこしいですが、安芸灘をじっくり見れそうなので、まぁよしとしましょう。
岩国を出てからの安芸灘はどこか焦点のない風景ですが、やがて前方に周防大島が見えてきます。その大島がグッと接近し、本土との連絡橋が上を跨ぐと大畠。だいたいこのあたりまでが海を堪能できる区間で、ここから先は少し内陸に入ります。
ですが、逆に周囲の景観は都市めいてきて、しかも各都市には大きな工場が鎮座する、という風景が目立つようになります。光には新日鉄の大工場があるし、櫛ヶ浜の先にも石油タンクが沢山並んでいます。
そうそう、櫛ヶ浜といえば、実は今回の旅行で私がいちばん心を痛めていることがありました。結論から言えば諦めざるを得なかったのですが、この辺の一筆書きのルートをどうするか、ちょっと迷っていたんです。
岩国の街から少し奥に入ったところに、山陽新幹線の新岩国駅があります。この駅は線路図上では接続路線はありませんが、実は錦川鉄道(旧国鉄岩日線)の御庄駅がすぐ近くにあり、両駅間は徒歩連絡が可能です。時刻表によれば徒歩7分となっているから東北新幹線の新花巻のような状況と推察されますが、何故か駅名が別。こうなった事情については接続駅として扱ってしまうと岩日線が廃止しにくくなるからではないかとの揶揄がありましたが、第三セクター化されて廃止の危機が一応は去った後でも未だ駅名の統合はなされぬままです。
前置きが長くなりましたが、新岩国=御庄を活用することによって、一筆書きのルートは、(山陽本線)~櫛ヶ浜~(岩徳線)~川西~(錦川鉄道)~新岩国=御庄~(山陽新幹線)~徳山と、更なる延伸が可能になります。ですが、新岩国駅が開設して30年近くたった今でも御庄駅との駅名統合がなされぬ現状に鑑みると、接続駅として利用するには躊躇してしまいます。結果、このルートの利用は、諦めることにしました。従って、私は櫛ヶ浜で下車せず、まっすぐ徳山、そして新山口へと向かいます。
12時22分、新山口着。わずか4分の接続待ちで、12時26分発のスーパーおき4号鳥取行に乗り換えます。お昼時なのに、この乗り継ぎ。次の乗換駅である益田に到着するのは13時55分でそこまで食事なしというのはちときついですが、ガマンするしかありません。幸い車内販売のワゴン車はあったので、真っ昼間なのに缶ビールを買って、喉と胃袋を慰めます。
湯田温泉、山口と停車し、山口県立大学のキャンパスが近くに見える宮野を通過すると山中へと分け入ります。周辺の風景も鄙びてきます。山口線は県庁所在地の中心駅を経由地に抱える路線としては唯一の「地方交通線」なんですが、そうなってしまう理由が何となく理解できます。
徳佐を過ぎると峠越えで、4日ぶりの島根県入り。眼下には小京都・津和野の町が見えます。この津和野でかなりの客が降りてしまい、車内はガラガラになります。次の日原では、降りる人も乗る人も殆どいません。駅舎の中を覗くと、駅員すらいません。どうも無人駅のようです。
でもこの日原は、将来は陰陽連絡の拠点駅としてそれなりに重要な役割を果すはずの駅でした。錦川鉄道の旧称である岩日線は、岩国とこの日原の頭文字をとったもの。全線開通の見込みはもうないでしょうが、仮に開通していたら山口県近辺の一筆書きのルートも大幅に変わっていただけに、ちょっと悔やまれます。
定刻13時55分に到着した益田で下車し、遅いお昼休憩。次に乗る列車は14時50分に益田から発つ小倉行の特急いそかぜです。適度な休憩を挟んで連続の特急乗車なのでスケジュールの出来としてはいい方なんでしょうが、実はこれは結果論で、益田から西進する列車はこれを含めてもわずか10本しかなく、特急を選ばざるを得なかったというのが、正直なところです。
特急は、山陰の海岸に沿って、淡々と走ります。4日前に見た時よりも、寂しさ、厳しさが一段と増しています。ひとつの原因としては、出雲、石見では並行していた国道9号線がここではいない、ということなんでしょうか? 鉄道旅行をしていると何かと目障りだったりする幹線道路ですが、なければないで、寂しさを覚えます。
阿武川の河口の三角州に位置する萩の市街地を避けるように周囲を半周する他は常に海岸線づたいに走り、16時10分、長門市に到着。わずか2分の接続待ちで、美祢線の普通列車に乗り換えます。単行のディーゼルカーの車内は高校生で既に満員で、久々に立ちんぼを余儀なくされます。
この美祢線は、かつては美祢からの石灰石輸送で栄えた路線でした。JRの路線分類でも「幹線」とされているほどなんですが、旅客列車の車両や本数を見る限りでは現状は地方交通線。ただし、かつて幹線として栄えた名残は「遺跡」に近い形で今も貨物列車が発着する重安あたりから、見ることができます。まず目につくのは、駅の構内の広さ。そしてホームの長さ。周辺に内臓をむき出しにされた石灰岩の山がいくつか見られることも相俟って、あと20年前に乗れてたらな… と思います。石灰石ばかりではなく、厚保付近のいかにも谷内六郎的な風景も、個人的には気に入りました。
その厚保を過ぎると太平洋に向かっているはずなのに厚狭川沿いの谷に入り、その谷が開けたかと思ったらもう厚狭で、17時18分着。これで、今回の旅行は、最後の1線、山陽本線を残すのみとなりました。
で、その山陽本線にて乗るべき列車なんですが、なんと岡山を11時43分に出発してから約6時間、330キロを延々と走り続けているという超長距離列車で、厚狭発が17時41分というもの。この列車は下関まで行くんですが、切符だけで乗れる列車でこんな長距離を走るのは、本当に貴重になりました。
そんな列車に乗ると、ほどなく本州最西端の下関市に入ります。山口県最大の都市だけあって市街地が広がる界隈を抜けると、新下関。新下関~小倉間は在来線よりも新幹線の方が2.0キロ長いのでここで乗り換えなければなりませんが、その機会は次回の旅行に譲ることにし、下関まで行くことにします。
まだ明るさが残る18時14分、構内にEF30がたむろする終点の下関に到着。改札を出てしばしタウンウォッチング。海峡ゆめタワーの近くにあるレストランで食事を済ませると、再び下関駅まで戻ります。
さて、ここから「帰宅」です。ここから今日中に自宅に帰れるはずもなく、帰宅すら立派な「旅行」になってしまいます。私が旅行手段として選んだのは、下関を19時27分に出発する寝台特急富士。今でこそ大分というやや中途半端な場所を始発にしている富士ですが、関門トンネルが開通する前はこの下関が始発駅。一応敬意を払ってのチョイスだったんです。
今日の出発時間が早かったせいもあるのか、車内に入るやいなや、急に眠気が襲ってきました。寝るにはまだ早い時間でしたが、下関の売店で買った缶ビールを煽ると、そそくさとベッドに横になるのでした。


6・中国・四国編・6日目(特急富士車内~桑折)
◎本日のルート
(車中泊) ~ (山陽本線、東海道本線・寝台特急富士) ~ 東京 9:58
東京 10:16 ~ (東北新幹線・MAXやまびこ49号) ~ 福島 11:33
福島 12:00 ~ (東北本線) ~ 桑折 12:13(帰宅)
※一筆書きルート=なし。距離=本日0.0キロ、通算11,411.5キロ(鉄道のみの数字)。


© Rakuten Group, Inc.