CAPTAINの航海日記

2004/09/12(日)14:53

もしも福島県がこんなだったら…

16日の日記で「福島市がタナボタ式に県庁所在地の座をGET」と書きました。ちょっと書き過ぎたかなとも思ったんですが、明治初頭の都市の規模としては福島よりも(会津)若松の方が大きかったから、やっぱり「会津外し」的な意図を感じずにはいられません。 というか、福島県って、県にしては異常に広いような気がします。隣の新潟県やそのまた隣の長野県も広いですが、これらはもともと越後や信濃といったひとつの国だった(ただし、佐渡島は佐渡国という独立した国だった)から歴史的な連帯感は多少なりともあったはず。ですが福島県は、西部は岩代国、東部は磐城国だったから、事情がかなり異なります。 仮に岩代、磐城の枠組みがそのまま県になったとしたら、岩代側の県庁所在地は間違いなく若松だったろうし、磐城側の県庁所在地は恐らくいわき市の平。仮に県庁所在地だったら平の街は今以上に力を貯えていたでしょうから、いわき市なんて大規模な市町村合併は起こらなかったかもわかりません。 鉄道の敷設状況も、ずいぶんと変わっていたような気がします。若松を通る現在のJR磐越西線はもっと早くに完成をみていたでしょうし、あるいは、上越線が開通する前の段階ならば東京と新潟とを結ぶメインルートのひとつとして脚光を浴びていたかもわかりません。また、平の発展具合によっては、JR常磐線が「東北本線」として東京と東北とを結ぶ大動脈となり、更には東北新幹線も浜通りルートで建設されちゃったりとか… いやぁ~、仮定の話でここまで書けるとは思いませんでした(笑)

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