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CAPTAINの航海日記

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2007.10.26
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テーマ:鉄道(21842)
カテゴリ:鉄道忌避伝説
先日、ウィキペディアの阿武隈急行の項を見ていたら、「阿武隈急行線(丸森線)と東北本線」とのタイトルで、以下の文章が挿入されているのを見つけました。

「地元には、以下のような話が伝わっている。
東北本線を開発していた明治時代、本来東北本線は勾配が少ない阿武隈川沿い(現在の阿武隈急行線のルート)を通るはずだった。しかし、当時伊達郡の保原、梁川地域は養蚕で栄えており、蒸気機関車が吐き出す煙や火の粉の桑畑への被害や火災を恐れて反対した。その結果、東北本線の計画は、大きな反対運動がなかった桑折、国見方面に変更され、急勾配のある現在の東北本線ルートとなった。
というものである。しかし、この話は都市伝説であり真実ではない。現在の阿武隈急行線をみても福島県と宮城県の県境(阿武隈峡谷)付近の約15kmは、トンネルや高架などを駆使した難工事であり、明治時代の土木技術では阿武隈川沿いのルートを通すのは困難であった。阿武隈川沿いのルートよりは、急勾配であっても国見町、白石市を通る現在の東北本線のルートの方が現実的だったのである。」

この文章の趣旨には概ね同意しますね。ついでに言えば、明治時代の土木技術について述べた部分に「橋梁」も加えて欲しかったなぁ。現在の阿武隈急行は阿武隈川を2回渡っていますが、当時はそれだけでも建設上のリスクとなったはずですからね。
ところで、文中に「都市伝説」の文字が出てきますけど、阿武隈急行沿線地域の鉄道忌避伝説という都市(?)伝説はいつごろ発生したのでしょう? 個人的には、そっちの方にも興味があります。多分、1960~70年代に阿武隈急行の前身である国鉄丸森線の建設促進運動が盛り上がりを見せた際に、地元の有力者あたりが他地域(それこそ三多摩の甲州街道沿いとか愛知県岡崎市とか)の鉄道忌避伝説を持ち出して「わが地域でもそういう歴史があったに違いない!」なんて口走っちゃったのかな?と推察しますけど。
暇ができたら、福島県歴史資料館あたりに出かけて、ちょっと調べてみようかな。





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Last updated  2007.10.26 21:24:32
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