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テーマ:たわごと(26656)
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って言葉が、若者の間で流行りつつあるようですね。自分の両親や生まれた家庭環境は選べず完全な運任せであることを、ソーシャルゲームなどのガチャ(クジ引き)になぞらえた表現のようです。
このフレーズを見てふと思ったのですが、我々の世代がそんなフレーズを口にしようものなら、親世代から容赦ない批判を受けていたんだろうな… 昔に比べて親の威厳が弱くなったからこそ、こんなフレーズが出てきたように感じます。 あと、今は昔に比べると、下剋上的な雰囲気に欠けるというか、いわゆる「成り上がり」を目にする機会が減ったようにも思います。スポーツや芸能で成り上がろうにもそれなりの投資が必要だし、結局元々の能力や財力が人生を左右する…という構図ですね。今の若者にある種の諦観が生まれるのは、ある程度致し方ないかもしれません。 ただ、この傾向、若者自体が「戦わずして負ける」選択を選びがちというのと表裏一体かも。どちらが先なのかわかりませんが、今後の日本の活力にも影響しかねない問題だとも思うので、打破していかなければならないんじゃないでしょうかねぇ… 【中古】 親子関係学 / 稲村 博 / 講談社 [新書]【宅配便出荷】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
身分社会というのは、すべてを親や生まれのせいにして、諦めることができるから安定するのかもしれません。今の社会で重要なのは能力とか実力とかですが、実はそれも天賦のものによるのが大きい。親ガチャも、単に親自身がどうこうではなく、能力や才能も入れての言葉であれば間違ってはいないでしょう。人生を生きていくうえで「自分には能力がない、才能がない」と思って見てもよいことは一つもないのですけどね。
(2021.09.22 10:04:27)
>七詩さんへ
生まれ育った環境は確かに致し方ない「ガチャ」の部分はあると思いますが、諦観だけはどうにかならないかな~と確かに思いますね。 自分の「身の程」を把握するのは良いとして、だとしたら伸びしろがどの程度あるのかも、同時に把握、認識して欲しいところではあります。理想論ではありますが… (2021.09.22 14:43:34) |