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テーマ:★大学受験★(853)
カテゴリ:企画モノ
先月下旬に、福島県内における福島大の合格者数の推移について、進学校データ名鑑のデータを引用しつつ数回のエントリにわたって書きました。 ただ、執筆後に、これよりももっと詳細に調べたいな…という変な欲が出てしまい(苦笑)今回1965年まで遡ったうえでより詳細なデータをとってみたいと思った次第。なお、データのとり方は以下の通り。 ・1965年から2020年にかけて、各高校の合格者数を「7年単位」でランキング形式で 上位15位まで紹介 ・また、福島県内を「県北」「県中・県南」「会津」「浜通り」の4地域に分けた上で、 それぞれの地域の合格者数および県内における比率も紹介 調べてみた結果、なかなか興味深いデータとなりました。まずは1965~1971年の7年間のデータを紹介しましょう。 (学校別ランキング) 1位 福島 504人(男子校) 2位 福島女 288人(女子校) 3位 安積女 249人(女子校) 4位 安積 179人(男子校) 5位 会津女 170人(女子校) 6位 会津 155人(男子校) 7位 磐城 124人(男子校) 8位 磐城女 95人(女子校) 9位 安達 76人(共学校)※ 10位 原町 75人(共学校)※ 11位 喜多方 56人(共学校)※ 12位 保原 53人(共学校)※ 13位 双葉 51人(共学校)※ 14位 白河 44人(男子校)※ 田村 (共学校)※ 末尾に※がついている高校は、1970年の合格者数データが存在せず (地域別詳細) 県北 967人(40.7%) 県中・県南 599人(25.2%) 会津 419人(17.6%) 浜通り 392人(16.5%) 県合計 2,377人 上位8位までは、福島、郡山、会津若松、いわきの主要4都市の男女トップ校がズラリと並ぶ形になります。9位以下は1970年の合格者数データが存在しないので6年間での累計となりますが、旧制中学校をルーツとする高校が目立ちます(原町以外はすべて旧制中学校がルーツ)。しかも共学校が多く、須賀川、白河、相馬といった別学校を維持していた都市の高校がなかなか顔を出していないのも特徴です。なお、これらの都市における男女両校の合格者を足し上げると、 須賀川市…須賀川21人 須賀川女12人 計33人 白河市……白河44人 白河女29人 計73人 相馬市……相馬24人 相馬女12人 計36人 となり、共学校がある二本松(安達)、原町の両市に及びません。従って、当時の福島県内の高校生には、都市部の別学伝統校への憧れはあったものの、共学志向もそれなりに強かったのではないかと推察されます。浜通り北部の相馬地域に関しては、明らかに共学校>別学校の気風が感じられますね。 地域別に見ると、ほぼ県北一強の結果となります。1965年国勢調査当時の人口は、 県北 457,208人(23.0%) 県中・県南 610,254人(30.8%) 会津 380,372人(19.2%) 浜通り 535,920人(27.0%) 県合計 1,983,754人 でしたから、福島大のキャンパスがあった福島市中心部から遠い地域ほど人口あたりの合格率は低くなる傾向が明白です。当時の交通事情を振り返ると、東北新幹線は開通前、東北本線は優等列車や貨物列車がひしめいていたので普通列車が駅での通過待ちなどで割を食う形になり、恐らく郡山~福島間の所要時間も普通列車利用では1時間を軽く超えていたはずで、郡山市から福島大への通学すらちょっと厳しかったのではないかと推察されます。交通が不便であったことで県北の地の利が生かされた形かもしれませんね。 ![]() 【中古】 団塊の世代とは何だったのか 新書y/由紀草一(著者) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.11.09 09:27:07
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