2004/08/06(金)00:22
別れの予感
俺はチカチカと眩く光をジッと見つめていた。
しばらくすると光は消え、再び辺りは静かな暗闇に包まれる。
体が鉛のように重かった。まるで寝転がっているベッドに塗り込まれてしまったかのようだ。
またチカチカとカラフルな光が、暗い部屋でノイズのように入り込んできた。
俺はため息と共に枕元に転がった携帯を持ち上げた。
着信 さゆり
見る前から分かっていた事だが、予測どおりの名前を確認し、俺は再び携帯を放り投げた。
さゆりとは去年知り合い、もうすぐ1年が経とうとしていた。
特に可愛い訳でもなく、特にプロポーションがいい訳でもなく、特に性格がいい訳でもない。
かといってとんでもない悪癖があるのでもなく、要するに平凡な女だ。
俺は正直、最近さゆりに愛情を感じなくなってきていた。
日に何度も届く、さゆりの他愛無いメールを見るのもうざかった。週末にはわざと仕事を入れたり、予定を入れてなるべくさゆりと過ごす時間を減らした。
さすがにさゆりも近頃は俺の態度を不審に思っているらしく、しきりにメールや電話をしてきては探りを入れてきた。
そんなさゆりの行動が全てわずらわしかった。何て鬱陶しい女だと、内心辟易していた。
俺はいつからか、どうするとさゆりとサッパリと別れられるかを考えるようになっていた。
別れたいが、ドロドロした別れは避けたかった。さゆりのこの執拗な態度から、下手をするとストーカーまがいな事をしそうで怖い。
どうやって別れを切り出せばいいのか。それを決めるまで、さゆりからの電話には出ない事にした。
「さゆり、別れないか」
『なんで?!』
「お前をもう好きじゃないから」
『・・・・・・・・・・』
後にはさゆりの泣声を延々聞くことになるに違いない。
他には、
「さゆり、俺、コスタリカに転勤になった」
『どこそこ?』
無理がある。
作文の課題はいつもやり直させられていた俺の乏しい想像力では、完璧な別れのシナリオなんて考えられる訳がないのだ。
もうこうなったら、直球勝負しかない。ズバリ、冷めたことを告げるんだ。
丁度、タイミングよく携帯が光り始めた。
俺は生唾を飲み込み、恐る恐る電話に出た。
『もしもし、アキヒト?』
「うん」
『何で電話とらなかったの?』
俺は必死に言い訳を考えた。別れ話をしようと思ってるのに、取り繕う必要はないハズだ。
「あ、ちょっと・・・風呂入ってた」
勝手に口がそう言っていた。
『そうだったの。・・・あの、私、話があって』
「なに?」
携帯の向こうで、さゆりがため息のような声を出す気配がした。
『あのね・・・別れて欲しいの』
一瞬、頭が真っ白になった。
「へっ?」
我ながら間抜けな声だった。
『勝手な事言って、ごめんね・・・』
「な、なんで?」
自分でも驚いたが、俺はかなり動揺していた。
『私が悪いの・・・最近、アキヒト仕事忙しくて、ずっと一緒にいられなかったでしょ?』
「うん・・・」
本当は仕事は全く忙しくなかったが、俺はとりあえず頷いておいた。
『私・・・寂しくなっちゃって・・・それで、よく連絡くれてたユウジ君と遊んだりしてて』
「ユウジ?!」
『・・・うん』
ユウジは俺の友達だ。いつの間に、さゆりと一緒に遊ぶような関係になってたんだ?
『それで・・・私・・・ユウジ君を好きになっちゃったみたいなの』
『ごめんなさい・・・』
さゆりは俺が沈黙している間も、申し訳無さそうに何度も謝罪を口にした。
俺はといえば、別れ話を切り出すつもりが、先に切り出され大パニックに陥っていた。
「ユウジと、付き合ってるの?」
やっと出せた言葉は上ずっていた。
『付き合ってない・・・告白したけど、ユウジ君がアキヒトと付き合ってるんだから俺は付き合えないよって・・・』
それでさゆりは俺と別れたくて、必死に何度も電話かけてきていたのだ。
『アキヒト、ごめんね。今でもアキヒトの事好きだけど、ユウジ君の事がもっと好きになっちゃったの』
「・・・いきなりで驚いたけど・・・さゆりの気持ちが決まってるなら・・・どうしようもないだろ」
俺は、それだけ言うのが精一杯だった。
さゆりが、今までありがとうとか、元気でね、とか色々言っていたが、俺は上の空で返事をして電話を切った。
俺はぼんやりと携帯を見つめたまま、放心していた。
一時前は、振る男だったハズが、今は振られた男になってしまった。
さっきまではあんなにやかましく鳴っていた携帯が、まるで屍のように静かになった。
何故だか、さゆりと一緒に遊園地に行った事や、旅行に行った時の事が蘇ってきた。思い出の中のさゆりはいつも笑っていて、アキヒト大好きと言っては腕にしがみついてきたり、キスをねだったりした。
俺はまるで大事なものを失くしたかのような喪失感に襲われていた。
もう2度と、さゆりがメールや電話をかけてくることはないだろう。この部屋に手料理を作りにくることもない。大好きだよと言って微笑んでくれる事もない。
別れたいと思っていた時には、そんな事は覚悟済みで、むしろ解放されたいんだと思っていた。
そしてそれが現実となった今、この喪失感は何なんだろうか。
今きっと想いを告げられているユウジが、どうしてこうも羨ましいのか。
さゆりの存在はいつの間にか日常の一部になっていた。毎日の暮らしの様々なところにさゆりの存在があった。
特に気に入っていた訳でもないのに毎日使っていたコップを不注意で割ってしまった時、想像以上にショックだったのを覚えている。
さゆりも、あのコップと同じように俺の生活に溶け込んでいたのだ。
俺はもう鳴らなくなった携帯をしばらく凝視し、ベッドに倒れ込んで大泣きした。
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別れを決意するときはご注意を。
相手を試す時に別れるとは言わない方がいいですよ。本当に別れちゃいますからね。