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2010/05/20(木)15:58

乗禅寺(じょうぜんじ) 今治

仏閣(472)

正式名称は、普門山 瑞鷹院 乗禅寺で、真言宗豊山派の寺院ですが、四国八十八箇所の巡礼寺院には入っていませんので、地元の人に支えられている静かな境内でした。まず、松山から今治に行く途中、瀬戸内海を見渡せる波方沖の峠に上がりました。ここから、菊間の太陽石油の基地が見えました。アップでみると、巨大なタンカー(VLCC)も見えます。そこから、乗禅寺に向かうと「えんぎ観音」の大きな石塔とこれも大きな魚籃観音(ぎょらんかんのん)さんが立っていました。まず、正面の仁王門から入ります。立派な彫刻もあり、古いものです。「観世音」と書かれた扁額阿吽の金剛力士  色彩も鮮やか!こちらは、正面の金剛力士の裏側にそれぞれ置かれていました。きっと、彼らも1度は表舞台に立っていたのでしょう。石段を上がってゆくと、山門になる。この山門は、今治城の武家通用門を移築したものだということです。本堂 本堂の彫刻こちらも エンギ(延喜)観音と扁額があります。内陣  御本尊の如意輪観世音菩薩様は33年に一度しか開扉されません。御前立ち 良縁成就の「魚籃観音」さまです。 中国の古典によれば、昔ある漁村で村の若衆に観音信仰をさせようと思い、観音様が絶世の美人娘に姿を変え魚を売っておりました。村の青年は、この美人娘を見逃す筈はなく皆が結婚を申し込みました。娘は、一夜の内に「観音経」を覚えた人と結婚しましょうと返事をしました。青年達は一心に「観音経」を唱えて頑張ったのです。翌朝、魚売りの娘さんに結婚を申し込んだ青年が実に二十人にもおよんだのです。その娘さんは、「お約束を守りたいのですが、二十人もの方と結婚する事は出来ません。その代り、皆が、きっと良縁に恵まれる様にお約束します」と言って元の観音様のお姿に戻られたそうです。護摩堂護摩堂 内陣どなたなのか遠くて見えませんでした。外には、何の意味か分かりませんが、大きな甕がありました。(水の仏様?)薬師堂 こちらが、以前は本堂であったそうです。こちらの彫刻も立派なものでした。その薬師堂の左隣には、神社があるお寺の裏の墓地の一角には、重文に指定されている石塔群がある。鎌倉末期の石造物とされ、宝筐印塔五基  五輪塔四基  宝塔二基がある。以上 

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