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カテゴリ:仏閣
當麻寺の「奥院」は、境内の場所の名前ではなく、塔頭の1つで「奥院」という名前が付けられている。 浄土宗総本山知恩院の「奥之院」として建立された寺で、最初は往生院と呼ばれ、大和本山となっていた。 當麻寺の奥に上って行く なだらかな坂道です。 宝物館には、色々な文化財があります。 その1つ 「二十五菩薩来迎像」 パンフレットより 當麻曼荼羅 パンフレットより 御影堂(重文)と後方は、二上山 高台にある「奥院」から2つの三重塔を眺める 牡丹園としても有名ですが、もう、時期が過ぎていました。 本来の奥院の正門 「鐘楼門」 重文 楼門から奥には、浄土庭園が広がっている 楼門脇の枝垂れ桜 楼門の鬼瓦 浄土庭園 三尊石? 不動明王みたいだが・・・ 説明がないので分かりません。 池には、綺麗なピンクの睡蓮が咲き始めていました。 ちょっと写真の順序が逆になったが、こちらが、御影堂(本堂) 阿弥陀堂の本尊 阿弥陀如来 阿弥陀堂 御影堂(本堂) 扁額 知恩院系列と分かる? 御影堂の壁絵 現代風と感じるのは私だけか? 宝冠釈迦如来 中将姫像 當麻寺内には、大小、新古の多くの中将姫の像がありますが、どれも、美形でリアルなのです。 中将姫は、奈良時代の右大臣藤原豊成公の娘で、幼くして母を失い、継母に育てられました。しかし、継母から嫌われ、ひばり山に捨てられてしまいました。その後、父と再会し一度は都に戻りましたが、姫の願いにより当麻寺に入り、称讃浄土経の一千巻の写経を達成し、十七歳で中将法如として仏門に入り曼荼羅(諸仏の悟りの境地を描いた絵図)を織ることを決意し、百駄の蓮茎を集めて蓮糸を繰り、これを井戸に浸すと糸は五色に染まりました。そしてその蓮糸を、一夜にして一丈五尺(約4m四方)もの蓮糸曼荼羅を織り上げました。姫が二十九歳の春、雲間から一丈の光明とともに、阿弥陀如来を始めとする二十五菩薩が来迎され、姫は、西方極楽浄土へ向かわれたと伝えられています。 パンフレットより 奥の院 書院大玄関 飾り瓦 玄関内の大衝立 帰り道に見た鬼瓦 鐘楼門全景 ある塔頭の門 以上 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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703さん
浄土宗の寺院では、天女が良く描かれていますが、ここの絵は、ちょっと現代的というか、確かに、色っぽいかも・・・ お寺さんで、色っぽいのを見てもねー、色っぽいのは、祇園あたりで見たいものです。(笑) 中将姫の像は、宝物館や本堂の中やここでも、いくつもの像がありますが、それぞれ特徴があるようです。 ここの中将姫は、現代風というか、特に、リアルな感じがします。 ネッカチーフをしているから、余計に、想像を掻き立て、女性っぽく見えるのかも・・・・ 悲劇のヒロインですから、やっぱり寂しそうですか・・・! (2011.07.16 17:24:51) |