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2022.05.03
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カテゴリ:独り言

もう、50年以上前のことになるが、その頃の経済や社会情勢等、子供にも話して聞かせた事もないので、この機会に書いてみようと思います。

別に知っていてもどうって事はないのですが、知識として持っていても損はしないと思います。

 

1970年(昭和45年) 私が、20歳で社会人となり働き始めた年です。

大阪では万国博覧会が開催された年でもありますが、日本は、1964年の東京オリンピック、新幹線開通、東名高速道路開通したこともあり、高度成長路線を走っていました。

 

一日16時間位労働する会社はざらにあったし、土曜は平日で、日曜も仕事があれば、働くのが当たり前でした。

環境問題でいえば、日本中の人が住んでいる近くの河川や沿岸の海水も茶色に汚れ、コンビナートのあった港湾では、茶色の海水とともに、悪臭があった時代です。

 

こんな生活環境や習慣の中でも、国民は、夫婦も子供も、家庭や働く場はこんなに大変で厳しくても、戦後のみじめで、貧乏な時期を考えると、この成長は明るく活気に満ちた時代で、将来の夢(生活向上)を見て、日本の為になると信じて、頑張っていたと思う。

 

経済の事は専門家ではないので、自分の解釈違いや判断などあるかもしれないので、参考にして頂く程度にして欲しいが、2022年の今の状況と1970年当時、1989年バブル当時、その後の日本の経済の舵取り等 その時々の私の知っていた事を暇を見ながら書いてみたいと思います。

 

 

1970年頃は、大卒でも月給は4万円位で、銀行の預金利子は3.5%くらいでした。

1972年には、月給6万円位、銀行利子は6%位になり、郵便局の養老教育保険は子供が出来たら必ず入っておくように、流行になっていました。

ある会社では、社内定期預金の利子は9%あるときもあった。(会社も銀行から借りる金利は12%位だったらしいので、少しでも社員からのお金を活用していたのだろう。)

 

 

当時の国際的な経済状況は、東南アジアでは日本が少し突出しており、韓国、中国、台湾、シンガポール等も非常に貧しい国でした。バングラディッシュは、東パキスタンと言っていた時代でしたし、世界中で至る所で内戦が行われていたし、スエズ運河も中東戦争で閉鎖中でした。

原油価格は、1バレル当たり2ドル以下で、サウジアラビア等では、飲料水の方が高価でした。

 

 

当時、日本は、1us$360円の固定相場であり、使用できる外貨は1カ月に30ドル迄とか、一回の海外旅行(海外への新婚旅行も少なかったが)では1000ドル迄とか制限がありました。

 

USAに行くと、日曜日等には、教会のサルベーションとかファーマーズマーケット(今の蚤の市かメルカリみたいだが、利益を考えない、ボランティアの市)があり、僅かなお金で、中古のリーバイスのGパンや運動靴等を山ほど買っていた思い出がある。(何でも11ドルであった。 Gパンは、どんなにハードに使ってもくたびれず、この時代までは、日本製は安いけど品質の悪いものという意識があった。)

 

 

1972年に佐藤内閣が田中内閣に変わったが、列島改造論もあり、高度成長は続いていた。

 

1973年為替が固定相場制より変動相場制に変わり、73年~75年は1ドル265~300円であったが、78年には152円まであがった。

 

給与水準は、労組の強い時期でもあり、ベースアップや定期昇給は毎年10-15%あり、為替で円の価値が倍以上になったこともあり、対外的な円の力、円の活力を実感し始めていた。

1973年には第4次中東戦争が原因で第一次オイルショックがあり、原油の値段が70%上げられ、(1バレル12-15ドルへ)、日本の消費者物価が25%上昇し(狂乱物価といわれた)、インフレ対策含め日銀金利が9%となり、庶民は買いだめに走り、町からトイレットペーパーがなくなったりする混乱もあった。

当時の労組は強くても、長期の展望をもっていなかったから、色々な業種で意味不明な長期ストライキ(第一義はベースアップだが)をやり、益々混乱と不況への道を歩き始めた。

 

1973-1978年頃は、物価上昇に耐え、生活を現状に合わせて、収支を整え、大人しくて賢い日本人のお蔭で、不況は小さく短いものに抑え込み、日本の国力を整えていたと思う。

 

1979年のイラン革命(翌年には、イラン・イラク戦争)を発端とした第二次オイルショックでは、原油価格は38ドルまで上がったが、日本の消費者物価は例年通りの5%程度の上昇で済み、大きな混乱も起きなかった。従って、原油価格は、20ドル―25ドルに下がり、落ち着いた。

 

 

1970年頃は、都市部の住宅の建設ラッシュで、2LDKの団地サイズがリッチなサラリーマン家庭の住居であり、風呂はない家も多かったが、有っても人一人がやっと入れる程度の浴槽のある1畳の浴室であった。(公衆浴場はどの町にもあった。)

3種の神器とも言えたカラーテレビ、クーラー、自動車も、一般サラリーマンでも手が届く時代になってきた。

 

私も1975年 これまでに稼いで貯金してきたお金を注ぎ込んで、初めてのマイカーを購入した。1年落ちの中古車 三菱自動車 ランサー SL1400   当時、65万円であった。

本当に欲しかったもので、時間があれば、ずっと触って、磨いて、整備していた。()

 

1978年には、この車に乗って、広島から島根、鳥取、福井、石川、富山、岐阜、長野、群馬、栃木、福島、宮城、岩手。青森を走って、北海道を一周した後、小樽からフェリーに乗って帰った。

所要時間2週間、費用12万円(ガソリン代、高速道路代、フェリー代が10万円、北海道旅行期間中の平均運転時間16-18時間、睡眠時間5時間程度、フェリーに乗る前の北海道では、7kg位体重が減っていた。)

 

あんな無茶な旅、二度とできないけど、今頃になって「若いって素晴らしいかったなー!」と思う。

 

 

2022年 現状の経済状況は、コロナパンデミックの後遺症、ロシアのウクライナ侵攻の影響で物価高騰(エネルギー、食糧他)があるが、1970年頃と比較しても別に大きな問題だとは思わない。(ロシアが核を使用するとか、他国を侵略する問題は絶対にあってはならない大問題だが、物価高騰や世の中の落ち着きを取り戻す手段は、現在の方が取り易いのではないかとも思う。私見)

 

現在の日銀や政府の為替の政策は「良い円安」という間違った為替誘導の方法を使っているとしか思えない。

為替は実態に応じて変わるものであるが、急激に変わると、どちらに触れても良い結果は生まないし、展望のない(根拠のない)政策では、悪い方向にしか進まない。

 

近年約10年で、東南アジア諸国は飛躍的な経済成長を続けており、シンガポールや韓国さえ国民一人当たりのGDPは日本を超えた。

2019年のように、諸外国から観光客が集まるのは、名所旧跡やおもてなしを探求しに来るのでなく、物価の安い日本を翻弄させたいのではないかとも思う。

都会でも田舎でも、土地を中国に買い占められている所も多いと聞くが、こんなので良いのでしょうか?

 

日本に住んでいれば、円安が進んでも問題ないという政治家が居たし、現状分析も出来ていないから将来の展望を開けない政治家も多い。

 

1970年当時の日本は、貿易立国で輸出から輸入を差し引いた資金(黒字)が、殆ど、純粋に日本の収益になっていた。経済界も活力があったので、世界で一番の特許登録件数もあった。国民に低賃金の低条件下でも労働を強いてきたという面もある。

ただ、一番違うのは、この頃の労働者にも家庭にも夢があったから頑張れたのだと思う。

 

 

現在は日本大企業の多くは、外国に工場を作り、生産販売をし、金融会社系は、外国債券や株式に投資している。円安がそのまま輸出企業の業績に単純に付加されることはなくなってきている。

為替は、国民の生活バロメーター(国力やGDP等)になっているのではないだろうか?

良く国際比較で、マクドナルドのビッグマックの価格だが2010年頃まで日米の価格はほとんど同じだったが、現在は、USA700円、日本で390円、韓国でも450円。尚、個人収入はUSAは約倍になっており、日本は0倍で変わらず(比較の仕方によってはマイナス)。

 

日銀や政府は、インフレ目標を掲げ、金融緩和、円安誘導ばかりを何かの一つ覚えのようにやっているが、1970年頃と違うのは、インフレにするには、賃金を上げるのが先であり、欲しいものを作り、需要を喚起する(国内は勿論だが、国際的にも)。その後は、単価を上げて行けば、自ずとインフレになるのではないだろうか!

 

そうなれば、現在の大きな国の赤字国債も減らせるだろうし、将来への投資もより多くすることができる。 子供達、孫達の時代には、夢を見られる、希望を実現できる未来を作りたいですね!

 

以上 個人的意見と感想でした。 

 

 







Last updated  2022.05.03 18:00:27
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