2010.01.13

阿波の法隆寺 丈六寺

カテゴリ:仏閣
正式名は、瑞麟山 慈雲院 丈六寺という 曹洞宗のお寺で、徳島県では最も古く、文化財の多い寺院なので、通称 「阿波の法隆寺」とも云われています。

禅宗では、お馴染みの石碑
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三門 重要文化財
室町時代末期のもの、 徳島県最古の建築物だそうです。
和様・禅宗様折衷の二重門(2階建で、初層・上層境にも軒をもつもの)

寺の興りは 奈良時代、関東から来た尼僧がこの地で庵を結んだといわれています。
室町時代中期、守護の細川成之(ほそかわしげゆき)によって禅宗の寺院になったという。
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内側から撮影
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本堂 重要文化財
入母屋造単層、本瓦葺き。寛永6年(1629年)蜂須賀家政が娘・辰姫(戸田忠光の妻)供養のために方丈を再建し寄進したという。
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本堂の額
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本堂に向かって左側にある僧堂(座禅堂) 
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徳雲院
元々は細川持隆が瑠璃殿として寄進し、永禄6年(1563年)に細川真之が改築し自身の法名である徳雲院に改称した。
手前の藤も、今はきれいに刈り込んであるが、春には立派な花葉を咲かせる。
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鐘楼
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血天井の一部 血天井といえば、京都伏見城のものが有名だが、阿波にもあった。

戦国時代、土佐の戦国大名長宗我部元親は阿波国に攻め込んだが、牛岐城主 新開入道道善(新開遠江守忠之)は勇猛で知られており攻めあぐねた。
元親は一計を案じ、和議を申し入れ、道善を丈六寺に呼び出し酒宴を開いた。
和議の条件として、道善に対し四国統一の後に富岡城主の地位の確保し勝浦郡を与えるという案を示した。
好条件に道善主従は大いに満足し、酒宴は盛り上がった。

道善主従が、夕刻、宴を辞して帰ろうと縁側に出たところを、隠れていた元親の家臣に襲撃され、道善主従も応戦したが、多勢に無勢で全員殺害された。この時の手形や足形の血痕は、拭っても消えなかったと言われる。
(住民の気持ちも、この歴史と同様になかなか消えないものらしい!)

現在、この縁の板は寺内徳雲院の天井板として用いられており、手形・足形の血痕らしき赤い形が認められる。
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細川氏?
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大黒さま
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観音堂方向に向かう
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経蔵 重要文化財
永禄10年(1567年)、細川真之により僧堂(座禅堂)として建立された。
現存する建物は寛永21年(1644年)の再建で、江戸時代中期の享保12年(1727年)奥行きを一間(約1.8m)縮小し、二間(約3.6m)後方に移動した。この時に経蔵に改められた。
中には八角の輪蔵が安置され、径山版大蔵経が納められており、これを1回転回すと、このお経をすべて読んだのと同じ効果があるという。(知識習得がこんなに簡単なら良いのだが!)
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観音堂へ
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観音堂 重要文化財
普門閣とも呼ばれる。寄棟造二重仏堂(上層・下層の2つの屋根をもつ仏堂)。戦国時代の永禄10年(1567年)、細川真之により建立された。
現存する建物は江戸時代前期に阿波藩主、蜂須賀忠英(はちすかただてる)が建立したものです。
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木造聖観音坐像 重要文化財
平安時代末期の作とされる。定朝様式の仏像で、像高3.1m。
立ち上がれば身の丈がおよそ4.8メートルの一丈六尺(いちじょうろくしゃく)になり、この大きさの仏像は一般に丈六仏と呼ばれ、寺の名の由来ともなっている。
旧来からのこの寺院の本尊である。
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観音像がもつ 蓮のつぼみは悟りをまだ得られない、人間を表しています。
観音菩薩はかざした右手で、いままさにつぼみを開かせ極楽浄土への悟りに導こう(説法印)としています。 このようなお姿は、日本唯一だそうです。
観音像は完成当時、全身を金箔でおおわれ神々しいばかりの光を放っていました。

光背は飛天光背、天辺の化仏は極楽浄土ができるまえの阿弥陀で観自在王如来と呼ぶ。
(観音様も如来なんだ・・ 知らないことが多過ぎる。笑)
何百億年も考え頭が大きくなり、悟りに達した・・・・ (それで、頭が大きかったんだ!)

長く見つめていると、少し愛着も出てきます??
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三門方向に帰る途中、三猿(ミザル、イワザル、キカザル)が居ました。
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宝物館前にあった古墳時代の石棺
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丈六寺の鬼瓦
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ここのお寺には、「空、風、火、水、地」の文字が書かれた五輪塔が多い。
宮本武蔵の「五輪書」で有名になった。
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開祖 金岡用兼廟、細川家墓地の入口
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訪問を終わって感じたこと

先に廻った四国霊場八十八カ寺では、観光バスで大挙して参拝者があるのに引き替え、こちらは、歴史的な財産が残されているのにも関わらず、三連休の中日でも、私が訪れたときに来ていた人は三人だけ・・・ 淋しい。

そんな状態だから、お寺の人も留守で、境内のみの散策で、本堂や宝物館等は見ることが出来ませんでした。

平安時代からの貴重な文化財、 もっと大事に、大切に、将来に伝えてゆきたいものだと思いました。






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Last updated  2010.01.13 09:41:48
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