障害者マジシャンの未確かな記憶 ~可能性を広げるために~

2014/12/17(水)00:00

自由になる

哲学(84)

「自由になりたい」そう思っている人はたくさんいると思います。ただ、ここで言われる自由とは一体どういうものなのか?学校で勉強をせざるを得ない人にとってはその義務から開放されたいということになるでしょう。会社で働いてる人にとっては仕事から開放されたいということになるでしょう。 では、勉強をすることとは本当に不自由なことなのでしょうか?そして、仕事というのも不自由なことでしょうか?いや、そもそも勉強や仕事というのはなんのためにするものでしょう?私は自由になるための行為だと思います。・・・もし私の考えが正しかったなら仕事だろうと勉強だろうと自由の為にすることであってそれは自由と関係ないわけ(少なくとも無関係)ではないということになります。さて、私がこのようなことを考えたのは、前回の記事で紹介しました本を読んでいてこんなことを思ったんです。・・・勉強とは哲学を構成するための基礎を築くものだと思います。今まで色々学んできて哲学とは私達を自由にするためのものだと思います。というのも自由とは全くの拘束なしに成立しないものだからです。この世界にある概念は全て相対的なものです。ということは自由を手に入れる(経験する)ためには一度縛られた状態を理解しなければならないということです。私達の世界は本来はなんの束縛もなく過ごしていたはずです(それは勿論、全くの非文明社会のころでしょうが)ということはこうも考えられるのではないでしょうか?「私達は不自由を経験するために世界に公式を見つける」・・・そう、私達が勉強することは先人達が築いた公式だと言えるでしょう。そして、公式とは世界を固めて見ることにほかならないと思います。しかし、義務教育を経て世の中を見回してみたりすると世界の見方はもっと自由なものだと思ったのです。こんな感覚を持たれた方は結構いらっしゃるんじゃないでしょうか?更に本を読んだりいろいろな経験に触れることによって違った見方があるんじゃないかと思ったのです。・・・そして仕事というのも同じ理由と考えることが出来るのではないか?ということです。ただ仕事の場合、お金がもらえるという対価があるのでもっと自由と直結しているのではないかと思います。 経済的余裕というのは一つの自由だからです。この世界は元々自由なものだと思います。だからこそ、束縛を作るために先人はこの世界を定義しようと思ったんじゃないかと、そんなことを考えました。 

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