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2021/08/23(月)05:00

◎WMC-177.ソフィア(ブルガリア)

旅行専科(1445)

ソフィア市 位置 都市名:ソフィア(ブルガリア) 人口:109(万) 順位(人口ランキング):177位 ソフィア(Sofia)は、ブルガリアの首都。ヴィトシャ山のふもとに位置し、ブルガリアの政治・経済・文化・教育の中心地である。2008年の人口は1,346,665人である。 ヨーロッパ最古の都市の一つであり、セルディカ 、スレデツ 、トリアディツァと呼ばれた。その歴史は7千年以上に及ぶとされる。有史以前の集落跡が現在のソフィアの中心や王宮の付近、オベリャ、スラティナなどで見つかっている。トラキア人が最も重要視していた、鉱泉の周囲に町を築いた紀元前7世紀にさかのぼる城壁は良いコンディションで保存されている。鉱泉は現在も湧水がある。時代の変遷とともに幾つかの異なる名前で呼ばれてきたソフィアの数千年にわたる歴史の痕跡は、今日でもその一部を見ることができる。 ソフィアの気候はケッペンの気候区分では湿潤大陸性気候と温暖湿潤気候が接しており、年間の平均気温は11.4℃である。寒い日には特に1月は気温が-15℃ 以下かさらに低下することもある。霧の発生は特に季節の始まりに見られる。年間平均のソフィアの降雪量は90cmで、降雪日は60日である。 夏は日が良く照り、やや暑い。 ソフィアは露土戦争のさなかの1878年1月4日にロシア帝国によって征服され、1879年には新たに誕生した自治公国である大ブルガリア公国の首都となった。 ブルガリア=オスマン戦争によって1382年にソフィアはオスマン帝国に包囲され、長期間にわたる攻城戦の末に町はオスマン帝国に制圧された。1878年にソフィアがオスマン帝国の支配から解放された後、ブルガリア人の革命委員会からは古い呼称であるスレデツを維持したいという強い願望が出されていたが、ロシア人の支配者は呼称をソフィアと決定した。 第二次世界大戦の間、ソフィアは連合国による爆撃を受けた。後に町はソビエト連邦に征服された。アメリカ合衆国、イギリス、フランスの支援の下でのソ連による征服に続いて、ドイツと同盟を結んでいたブルガリアの政府は共産主義者に取って代わられた。プラハ、ワルシャワ、ブカレストなどと同様に、ソフィアは社会主義国家であるブルガリア人民共和国の首都となった。ブルガリアはこの戦争で領土を失うことは無かったが、多くの人命が失われ、また、ブルガリア国外のブルガリア人との結びつきは大きく損なわれた。この間、ソフィアの人口は急速に拡大し、工業発展が重視され、多くの新しい工場や製作所が町とその周囲に建造された。これによって郊外に多くの新しい町が生まれ、交通ネットワークが拡大した。 ソフィアには多くの博物館・ギャラリーがある。 ソフィアには聖キリル・メトディイ国立図書館などの図書館、多くの英国・ロシア文化・ポーランド文化・ハンガリー協会など多くの協会がある。 ブルガリアの首都ソフィアを散策 参考:世界の主要都市 Wikipedia

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