ベル姉の鯉する日常ときどき妄想

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決意


食堂に入る前、ふぅ~~っと息を吐いた。
まるで初めてプロのマウンドに立ったときのようだ。
あわてるな、落ちつけ、ちゃんとやれる、大丈夫だ。
テーブルの前に置かれている大盛りのメシや魚や味噌汁や卵やサラダや納豆や、、見ているだけで吐き気がしてきた。
胃液がこみ上げてくるようだ。
それと同時にまだそんな感覚がオレの体に残っていると気がつき驚いた。
とにかくちゃんと食わないと変に思われる。
タカヤは大丈夫だろうか?
オレは隣に座り同じように緊張している、いや、気分が悪くなっているかもしれないタカヤを見た。


                            ☆

タカヤの目覚めはオレと同じだった。
太陽を恐がり寒さに震えた。
しかし、そんな自分に半ばうろたえながらも半ば(否応なくではあっても)納得していた。
オレはシーツにくるまり部屋の隅で子供のようにうずくまっているタカヤの手をとった。
オレを見上げた目は少し濡れていた。
「自分が昨日とは違うものに変わったのがわかるね?」
オレは子供を諭すように言った。
タカヤはこっくりと頷いた。
「そして、ひとりじゃないってことも。なにも心配することはないんだ」
それに対してもタカヤはなにも言わずただ頷いた。
あの時、自分を変化させた男を見上げたオレと同じすがるような目をしていた。

「おい!」
オレは後ろに向かって叫んだ。
「これからどうしたらいいのか教えてくれ、おっさん」
その声に季節はずれの黒いマントを羽織った男は音もたてず進み出た。
「おっさんとはわたしのことかね」
「アンタしかいないだろ」
「やれやれ、わたしはもともと貴族なのだが、まぁこのご時世だ。仕方ない。
かれこれ300年も生きていれば、郷に入れば郷に従えという処世術も身についた」
「そりゃまた時間がかかったもんだな」
「キミはクチが悪いな」男は苦笑した。
「アンタがオレを選んだんだぜ。とにかく時間がないんだ。昨日みたいに1日中寝てるってわけにはいかない。
オレたちはこれから山のてっぺんの球場まで行って練習だ。試合もある。炎天下の中でだ。死んじまわないようにするにはどうしてらいいか教えてくれ」
オレがタカヤを仲間に引き込んだのだ。責任がある。

「そうか」と男は言い、オレの首筋に手をあてた。
「わたしの血は濃い。直系の由緒正しい血だ。誰も彼にも分けてやることはできない貴重な血だ。ソレをキミに注ぎ込む。
今日一日は耐えられるパワーがある。ほんとはもっと与えてやりたいのだが、急に大量の血を送り込むと拒絶反応を起こすことがあるからな」

男の手がぴたっとオレの喉に吸いついた。
あぁ、そこから伝わってくる。
そこから流れてくる。
どくどくと溢れ出す甘い蜜だ。
禁断の赤い蜜だ。
オレのもう人間とは異質なモノになった体のすみずみにゆきわたっていく。
オレの変化した細胞のひとつひとつに沁みこんでいく。
「テツト、これをタカヤに分けなさい。ただしキミたちはまだひよっこだからこんな洗練されたやり方はできない。
まだダイレクトなやり方でないと。アレはちょっと品がないのでわたしは好かんのだが、まぁ仕方ない。だから心配だ。他人には知られないようにくれぐれも」
「あぁ、わかった」
と返事をしたがオレは半分酔っていた。
さっきはあんな悪態をついたがオレはこの男のコレがないと生きていけないとわかってしまった。
悔しいが仕方ない。
「独り立ち」できるのはいつだろう。


                                   ☆


「タカヤ、昨日はどうしたんだ?」とケンタがオレたちの向かいの席につきながら聞いた。
オレたちと同期のヤツで仲がいい。
「テツトの様子を見にいくって言ったきり帰ってこなくてさ、ひょっとしてお泊まりかぁ?オマエら怪しいからなぁ」
はっはっはと笑うケンタをタカヤはうつろな目で見ていた。
その視線の先はケンタの首筋だ。
「おい」
オレはタカヤに声をかけた。
このままじゃヤバイ。
「ちょっと、、、」と言ってオレはタカヤをうながした。
「どこ行くんだ?まだ半分も食ってないぜ」
(このままだとオマエが食われることになるんだぞ)とオレはケンタに言いそうになったがもちろん言うわけにいかない。
ともかくタカヤをここから離さないと、こんなところでコトが起こったら一大事だ。

「どうしたんだ?食堂に行く前にオレからちゃんと飲んだじゃないか」
タカヤの部屋でオレは少し怒った。
気持はわかる。オレだって目覚めてすぐ無性に欲しかったんだ。
だからオレは男が言ったようにタカヤに分けてやったんだ。
オレの飲む?というとタカヤはそれが合図ででもあったかのようにオレの首筋にくらいついてきた。
オレは押し倒された。
首筋に食い込むタカヤの歯。そこから生ぬるいものがオレの首に一筋這っていく感触にめまいがした。
オレの耳元で「ごくごく」とむさぼる音がする。タカヤの息がかかる。
おれは目を閉じてされるがままになっていた。
そしてその心地よさにオレは正直少しあわてたのだった。

その直後だっていうのにタカヤはもうケンタを欲しがった。
気に食わない。
と思ってすぐわけのわからないこの感情にうろたえた。
「仲間を増やしたいと思うのは本能だ」
男が言った。
「あんたさぁ、なんでここにいるんだ?」
「わたしはどこにでも入れる。まぁタカヤを責めるな。こんどは自分自身で仲間を選びたい、と思うのは我々の本能だ。
そしてそれがすぐ現れるのはなかなか優秀だということの証しだ」と男は講釈をタレた。
それはそうだろう。おれたちが生きるためには仲間を増やさなければならない。
新しい血が必要なのだ。
でも、、ケンタを見るタカヤの目にオレのこころは穏やかではなかった。
なんだ、クソ、どうかしてる。

「オレ、なんだか浅ましいな」
タカヤがぽつっと言った。
自己嫌悪に陥っているらしい。
「そんなつもりはなかったんだ。でもケンタのあの首筋のくぼみがどうしても気になって」
気になってしかたなかったんだ。
そう言ってタカヤは涙をこぼした。

オレはいったい、どうして、どういう悪意がこういう状況に落とし入れたのか考えたがどうしてもわからなかった。
オレが、、いや、オレたちが人間だったのはもうずっとずっと遠い昔のことだったような気がする。
今生きてるこの世界は現実の世界なんだろうか。
時空の歪みがどこかにあり、その裂け目からすぽっと落ちたのに違いない。
そこを探せば元に戻れないだろうか。
オレは探した。
この部屋の空間が渦を巻いて動き出す。
そこだ、そこにある。そこだ。
オレは手を突き出し掴もうとした。
帰るんだ、元居た場所へ。


「テツト?」
不意に呼ぶ声がしてオレはびくっとした。
「だいじょうぶか?タカヤは」ケンタだった。
「あ、あぁ」


やっぱり。
今居るココは現実の世界だった。
オレは絶望したが、それは一瞬だった。
自分の前に居るこの男。
必要なんだ。
オレたちが生きてゆくために。
それは理屈ではなかった。
仲間なんだ。
最初から決まっていた。
そう、何を迷うことがあったのだろう。
今はまだ明るい光に覆われているこの世界をこれから黒い闇で侵食していくのだ。
今はまだ片隅に追いやられこころもとなくとも今にきっと支配してやる。
タカヤ、オレたちは選ばれたんだ。泣くことはない、胸をはってろ。


「首、どうしたんだ?アザが、、、」
ケンタの声だ。
オレはすっと一歩前に進んで言った。
「なんでもないさ、虫に食われたんだろ」
次はコイツだ。
でも今じゃない。

「さぁ支度しろよ、タカヤ、ケンタ。バスが待ってる」

つづく



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