ベル姉の鯉する日常ときどき妄想

10

10 月夜の城

そこは深い霧に包まれていた。
いつもオレたちがランニングをしているあのグランドと同じところとはとても思えない。
こいつらは自然の力も操ることができるとモノの本に書かれていたのを思い出した。
そこは異次元の世界に変わっていた。
異界だ。魔界だ。
そこでは六つの赤い目だけがオレを迎えていた。
「ご招待したよ」
と男は言った。
オレは地上に降ろされた。
悪い夢をみているのだ。これはまだ夢の続きだ。
目覚めたらなにもかも終わっているのだ。
オレは自分にいいきかせた。

男の黒い翼から放たれたとき思わず自分の両腕を抱きしめた。
イヤな冷気がする。真夏だというのに。

「ようこそ」
と声がした。
「ケンタ」
赤い目が近づいてくる。姿がだんだんはっきりしてくる。
テツトだ。
異形の目の持ち主。
あ~、ほんとにオマエは人間ではなくなったんだな。
真昼の太陽のもとオレたちと汗をながし笑いあったオマエの面影はない。
すっかりこの魔界の住人になってしまったんだな。

あとの四つの赤い目も近づいてくる。
「待ってたんだよ」
タカヤの声だ。
オレが杭を打ちこみ殺そうとしたタカヤ。
だが彼は穏やかな顔をして近づいてくる。
「ボクは悲しかった」
タカヤがぽつりと言う。
「キミがボクを憎んでいることが悲しかった」
「キミはボクを殺そうとした。でも許すよ。キミだって苦しんだ。とても苦しんだんだよね」
タカヤがやさしく微笑む。
それは慈愛といってもいいものに包まれているような気さえした。
オレは思わず彼にすがりそうになった。
「オマエが」
こんどはテツトの声だ。
「必要なんだ、ケンタ」
霧の中からテツトの手が伸びる。
オレはここでコイツらに血を吸われるのだろうか。
その時は痛いのだろうか。苦痛だろうか。それともそれは心地いいのだろうか。

ナニを考えてるんだ。
どうかしている。
催眠だ。
こいつらの術中にはまってはいけない。

「ケンタ」
タカヤの隣のもうひとりの赤い目が言う。
「楽になれるよ。もう苦しまなくていいんだ。オレたち憎みあわなくていいんだよ」

マサフミ。。

憎みあわなくてもいい。
そうか。
憎みあうのは辛かった。
これで楽になれるのか。

「ケンタ」
オレに呼びかける声。
「なにも心配することはないんだよ。なにも怖いことはないんだよ」
「おいでよ」
三人が囁く。
ダメだ。いけない。オレがあとのみんなを裏切ってはいけない。
できない。。
ついこのあいだだ、コイツらを葬るために協力してくれとオレが言ったんだ。
ここを守るんだ、とみんなと話したじゃないか。
みんなオレを信頼してくれている。裏切ることはできない。

「ここにいるみんなのためだ」
テツトが言う。
「みんなのためだよ。いいことなんだ。すべて解決するんだ」
解決する?
「もう苦しまなくていいんだよ、ケンタ」
解決するのか、もう苦しまなくていいのか。
「おいでよ」

オレは一歩足を踏み出した。
三人が微笑んでいる。
なんて優しい微笑みだろう。
オレはコイツらにひどいことをしたのに。あんなに残酷なことをしたのに。
オレはいつのまにか涙を流していた。

「マサフミ」
テツトが小さな声で言った。
マサフミの顔が近づいてくる。
目が光った。
オレを欲しがっている目だ。
あ~ダメだやっぱり、間違った、オレは間違った。
気がついたがもう遅かった。
頭とはうらはらにこころはもう彼らに魅入られ体は投げだされていた。
マサフミの歯がオレの首筋に食い込んだ。

マサフミのオレをむさぼる音が聞こえる。
あ~。。
涙があとからあとから溢れてくる。
オレは悲しいのだろうか。
違う気がした。
悔しいのだろうか。
それも違う気がした。
いや、どちらも合っているような気もした。
そうだ、悲しくそして悔しいのだ。
オレは、、、、。
こうなることは初めから約束されていることだと悟っていたのだ。
そしてソレに対して嫌悪どころか悦びを感じることに違いないと知っていたのだ。
悔しい。
そしてそんな自分が悲しい。
そしてそれ以上にこの悦びが嬉しい。


「ケンタ」
テツトが呼ぶ。
「ケンタ」
タカヤとマサフミがオレの名前を呼ぶ。
オレの「仲間」が、、。
オレは頷きながらそのまま睡魔のなかに引きずりこまれた。

                         ☆

ケンタは翌朝目覚めてすぐ自分の変化に対応できた。
これで本格的に狩りを始めることができる。
ケンタを使うことができればここはオレたちの素晴らしい城になる。
それはその夜すぐ実行に移された。
かつての「リーダー」に召集をかけられて選手たちは次々とやってきた。
そこでオレたちは待ち伏せをした。
みんなはケンタの「裏切り」に愕然とした。
寮のロビーは修羅場と化した。
オレたちは叫び声をあげる者のクチを塞ぎ、逃げようとする者の体をねじ伏せた。
ロビーの中を、いや寮全体を霧が包みこむ。
霧はまるで強固なバリアのように逃げ惑う彼らの体をとどめ、そして押し戻した。
オレとタカヤとマサフミとケンタは獲物を次々と捕え首筋に魔の刻印を押していった。
あ~、興奮が体中を包みこみ暴発してゆく。もう止められない。
甘く狂暴な血の饗宴の始まりだ。

首筋から赤い糸を引きながらふらふらとさまよう者。泣き出す者。叫ぶ者。椅子をぶち投げて抵抗するもの。
なにやらぶつぶつと呟いているもの。ただただ呆然としているもの。
オレはそいつらの腕を掴み引き寄せ柔らかいソコに食いつき、啜った。
くちびるからしたたるものを拭いもせず次の獲物を狙うオレたちの姿はおぞましい鬼そのものだろう。
テーブルやソファや本棚や植木鉢が散乱する中仕留められた獲物たちが次々と倒れていった。

              
                         ☆


オレとケンタは狂喜の嵐が吹き荒れた後の倦怠感に身を任せている。
「あの夜は・・」とケンタが言った。
「え?」
「真っ赤な月だった」
視線が定まらずひとり言のように言う。
「きっとそのせいだったんだ。全部あの月が悪いんだ」
「後悔してるのか?」
オレが聞くとケンタは頷きもしなかったが首を横にも振らなかった。
自分でもわからないのだろう。
今夜の月は黄色味が強くなんだかヤケにきらきらと輝いている。
月の雫、、。
手をかざすと指にこぼれおちてきそうだ。
「きれいだな」
とオレが言うと
「あの時の水晶のようだ」とケンタが言った。
「え?」
「男が窓を破って入ってきたとき上から水晶の欠片が降ってきたんだ。きれいだった」
オレはもうあの時からヘンだったんだ。
とケンタは言う。
その物憂い横顔は月に照らされ青白い。
オレたちはしばらく何も言わずその月をみつめていた。


                       ☆


「もうおなかいっぱいだよ。かえって気持悪い。ゲップが出そうだ」
マサフミがそう言いながらオレたちのところへやって来た。
まったくこんなときになんて間延びしたヤツだ。
ケンタも思わず笑っている。よかった。オレは少しマサフミに感謝した。
「当分食料事情は良好ってわけだよね。もうハクシャクがテツトに注入したのを分けて貰う順番を待たなくていいんだ」
タカヤはあの男のことを「ハクシャク」と呼び始めた。
「オマエらの分をみんなに分けてやってくれよ。とにかく食い扶持が増えたんだから、明日からたいへんだぞ」
オレがそう言うと三人の顔は急に緊張した。
オレもジョークのつもりで言ったその言葉の重さに一瞬呆然としてしまった。
明日。
全員が目覚める。
どんなことになるのか想像もできない。
だから、。
考えるのはやめた。
なるようになる。
神の思し召しどおりに。
、、神?
オレは思わず笑った。
「あはははははははは」
急に腹を抱えて笑い出したオレを見て三人は呆気にとられていた。

なんてすてきな皮肉だ。
神に背く悪鬼が今勝利した。
月も祝福している。
きっとうまくやれる。オレたちの世界が今始まる。この「城」から異形のものが放たれるのだ。
窓からこぼれるきらめきに両手を掲げながらオレはまだ笑い続けた。


第1部 終了

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