ベル姉の鯉する日常ときどき妄想

ホテル・カリフォルニア

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ホテル・カリフォルニア


空がインディゴブルーに染まった。
パームツリーのシルエットがその色に映える。
夏の夕暮れのけだるさが眠気を誘う。
頭の上のラジカセからは名前も知らない歌手のしゃがれた歌声が聞こえている。


半分居候のように居着いている店の前においてある古ぼけたベンチに寝そべったまま、ヒロキは通りを歩く少女に向かって口笛を吹いた。
少女と呼んで何ら差し支えない年頃だろうがその化粧や身なりは差支えがありそうだった。
ミニスカートからすらりと伸びた足は男の気をひくための装置だろうが機能を果たしているかというと多いに疑問だった。
少年のようなそれには血管が浮いている。
ヒロキはむっくり起きあがると少女を手招きした。
彼女はまるで機会仕掛けの人形のように歩きヒロキに近づいた。
「メシ食うか?」
ヒロキの問いかけに少女は反応しなかった。
青白い顔にのっかっている濃いアイシャドーとル-ジュがむしろ彼女の子供っぽさをひきたたせ痛々しかった。
ここのところ夕暮れになると街角を徘徊している。これで客をとろうっていうのか。
ヒロキは少女の手をとると店のドアを押した。
木製のそれはかろんころんと時代遅れの音を響かせた。
二人を迎えたマスターは眉をひそめた。
「ちょっとばかり招かざる客だな」
「まさか追い出すことはしないだろ?狼の群れにさ」
「薬でやられてるようだ。オマエもやばいことになるぞ」
ふ~っとヒロキはため息をついた。
「意外におせっかいだな」
マスターはそれでも少し笑ったようだった。
まったくだ。自分の身も持て余してるというのに。
ヒロキが自嘲気味に笑うと後ろから、からんころんと音がした。
「いい加減このドアも変えたらどうさ、今時ないぜこんなの」
70年代の遺物だ。もっともマスター自身が化石のような人間なのだが。
レコードプレイヤーが回っている。イーグルスのホテルカリフォルニアがかかっている。
マスターの後ろには当時流行った歌手やバンドの「LP」が百枚以上並んでいる。
今では思わず笑ってしまうほどバカでかいジャケットに収められて。
ニール・ヤング、リトル・フィート、トム・ウエイツ、、。そうだ、さっきラジオから流れていたしゃがれた声の持ち主はトム・ウエイツだ。
そんなヒロキの思考をさえぎるように目の前にぬっと男が現れた。
「よう、ケンさん」
ヒロキが呼ぶと男はわずかに微笑んだ。いつもサングラスをかけている。
ヒロキは知っている。そのサングラスをとると呆気にとられるほど優しい目をしていることを。
そんな目をしているとこんな町では生きてはゆけないと思わせるような目だ。
だから彼はここで生き延びる手段としてそれを隠している、と誰もが思うだろう。
だがその目こそ彼の武器だった。
ひと月前この街で出会ったばかりのケンをヒロキは絶好のウサ晴らしの餌食として選んだ。
だがその数秒後不様に露地に転がったのはヒロキのほうだった。
一瞬の衝撃に息が止まるかと恐怖を覚えたことだけはっきり覚えている。

この町は昔「日本のウエストコースト」というコピーで観光誘致をしようとした。
海沿いの温暖な気候。夏はサーフィンに興じる若者で賑わう。
「カリフォルニアの青い空」の日本版だ。それはけっこう当たった。
これといって産業のないこの町はその後ご多分にもれずバブル期、「地上げ」と「ハコもの建築」の狂乱の渦に巻き込まれ、
そしてご多分にもれず、熱が冷めたあとは誰にも振り向かれずうち捨てられた。
町の空気はそれと同じ人間を呼ぶものだ。生ぬるい南国の気候は歯車が狂うと文字通り鈍重な狂気を生み出した。怠惰と快楽。
ヒロキもその重力に導かれたひとりだった。
青い空は闇の力に支配された。そしてヒロキが拾った少女もその生贄のようだった。

ケンが少女を店には不釣合いなピアノの椅子に座らせた。古い、もう長いこと調律もしていないピアノ。
はずれている音もあると思うのだがヒロキにはそれがどれだかさっぱりわからなかった。
それはこれを古物商で買った酔狂なマスターにもわからないだろう。
「アンタが弾くの?」とヒロキはこの店に寄り始めた頃マスターに聞いたことがあるが否定された。
ではナンのために置いているのだと聞くと弾いてくれる人間がくるまで待っているのだと意味深なことを言った。
ケンはカウンターの椅子のひとつをピアノの前にもってくるとそれに座り少女を横に座らせたまま弾き始めた。
ふ~ん、こいつピアノが弾けるのか。長身に甘いマスクそれに加えてピアノも弾けるとあっちゃさぞかし女にモテルだろう。
しかしそんな浮いた話など寄せ付けないものがこの男にはあった。こいつの身辺のことは一切わからない。この店にも思い出したようにしか顔を出さない。
寡黙なヤツだ。ケンカは確かに強いがこわもてではないなにか透明感さえ感じさせる張り詰めたものを持っている。
ケンが弾いている曲はなんだか聞いたことがあるような気がするのだがヒロキにはわからなかった。クラシックだろうということはわかる。
「バッハだよ」とマスターが言った。
「平均律だ」
「は?」
そんな高尚なものはオレにはわからねえやと言いながらもヒロキはケンのピアノになにか懐かしさとこころ安らぐものを感じた。
少女はケンの横でみじろぎもしない。聞いているのだろうか。聞こえているのだろうか。
長い髪に白い肌、黒いミニのワンピース。まるで西洋のビスクドールのようだ。
「完全にイカレテるなぁ」
マスターが言った。
「薬漬けだな」
この町の有力者の資金源が「薬(ヤク)なのだ」とマスターは言った。しかもそいつは議会を牛耳る大物市会議員だ。
ヒロキは最初きいたとき開いたクチが塞がらなかった。
(まるで南米のどっかの国みたいだな)
ケンはその哀れな少女のために弾いているのだろうか。彼が弾くそのバッハのナンタラとかいう曲の旋律はヒロキにも魂を救うように感じられた。
なんだか不思議な空間だなぁ、と思ったときそれを破る訪問者が現れた。
無粋なドアベル。そして入ってきたのは20代前半とおぼしき若者だった。
まっすぐ少女に向かっていくと「帰るんだ」と言って手をとった。まわりの人間には目もくれない。
少女は抵抗もせずつき従った。
「おい」
声をかけるヒロキに一瞥もくれず青年は歩く。端正な顔だちだ。
だが切れ長の二重の目の中には深い闇の色がみえる気もした。
いい仕立てのスーツを着ている。これからディナーにでも行くかのようだ。
しかしこの少女とどういう関係だろう。
「待てよ、この娘をどうするつもりだ」
気色ばむヒロキに青年は鷹揚な物腰で静かに言った。
「妹なんです。連れて帰ります」
「い、いも、いもうとぉ?!」
ヒロキはその返事にただクチをあんぐりと開けた。いいとこの坊ちゃんのようなこの若者とどうみてもジャンキーにしか見えないこの少女がきょうだいだと?
「失礼します」
と青年は言うと少女の手をひっぱり出ていった。
「おい!」
ヒロキは叫んだがもう遅かった。
「おい!」こんどはマスターに向かって言ったのだが、言われたほうはただ肩をすくめるだけだった。
「なんとかしろよおっさん!」
「妹っていってるんだからどうしようもないだろ、ヘンなヤツじゃなさそうだし」
「ヘンじゃなさそうだとぉ?ヘンじゃねぇかよ、どうみてもヘンだろ!」
あの若いの上品そうなツラしてたが絶対堅気じゃねぇぞ、と言いながら追いかけていくヒロキをマスターは止めた。
「よせ」
「だってよ、」ヒロキは納得がいかず食い下がる。
「アイツ息子だ」
「あ~?誰のだよ」
「例の大物市会議員のだよ、名前はテツトとかいったな」
「なんだと!」ヒロキは叫んだ。
「確かに妹もいる。かなりグレてたっていう噂はあったがまさかあんなになってたとはな」
ヒロキは憮然とした。
「なんてこった」

コーヒーの香りでヒロキはすこし落ち着きを取り戻した。
ここは他のメニューはともかくコーヒーだけは美味かった。
「アイツは次男のはずだよ。長男が死んでしまったんで後を継ぐべく帝王学を学んでるって話だ」
マスターは言う。
「帝王学だとぉ」
なにを学んでるんだか。いや、うすうすはわかる。ろくでもない二代目になるのだ。
妹の所業は親に対するせいいっぱいの抵抗だろう。バカなことには違いないが。
ヒロキは吐き気がしてきた。
「あれ?ケンさんは?」
気がつくとケンの姿はいつのまにか消えていた。
「あのひとも変なひとだよなぁ」
そういう自分もろくでもないがなとヒロキはひとりごちた。

そして翌日、朝からとんでもないことが起こったのだった。
からんころんと鳴る木製のドアを開けていちばんに店にやってきた客は血まみれだった。
掃除を終えたばかりのヒロキはモップを持ったまましばらく固まっていた。
客は昨日兄に連れて帰られたあの少女だった。
ヒロキと後ろから出てきたマスターにゆっくり説明を求める時間も与えないかのようにすぐにまた2番目の客が入ってきた。
こんどは兄のほうだ。
テツトの顔は真っ青だった。妹をみつけると脱兎のごとく飛びかかり抱きしめた。
「おい」
ヒロキのやっと出た言葉はそれだけだった。なにがなんだかわからない。
「とにかく、、」マスターが後ろで言う。
「救急車を呼んだほうがよさそうだ」
「いえ、やめてください!」
テツトは叫んだ。
「なんだよ、ナニ言ってんだよ。血まみれだろ、早いとこ医者に見せないと、、」ヒロキが負けずに叫ぶ。
「ケガはしてません。なんでもないです」
テツトは妹を抱きしめたまま言う。テツトの服にもあちこちに血がついた。
マスターはなんとか兄を引き離し妹の体を仔細に調べたが兄が言うように妹の体にはどこにもケガの跡は無かった。
「じゃ、この血はなんなんだよ」
ヒロキの問いにテツトは答えた。
「父が殺されたんです」
ヒロキとマスターは息を呑んだ。


「兄が殺しました」
とテツトが言った。
マスターは唸った。
「ちょっと待て」
とヒロキが言った。

ふたりはヒロキに構わず話をすすめた。
「兄さんが行方不明になって5年になるね」
マスターはそう言いながらテツトにコーヒーを入れた。
「父は最初の頃こそ兄の行方を探したけどすぐ失踪届を出した。見捨てたんだ。戸籍から削除され兄はこの世からいなくなったことになってしまった」
テツトはそこでコーヒーをすするとほっと息を吐いた。
「兄さんはあの家と父親が大嫌いだった。跡をつぐことをずっと拒んでいた。ボクも同じだった。だから先に家を出ていってしまった兄さんを怨んだ。
勝手に逃げていって。ボクは妹とあの家に残された。ボクも出たかった。ずっとずっと。でもできなかった。こころを病んでいく妹を残して出ていくことは。
父は妹をボクを引き止めるための人質にしたんだ」
「ひと月ちょっと前だったか」とマスターは言った。
「ケンを町でみかけたときは死ぬほどびっくりしたよ」
ヒロキは憮然とした顔をしている。
「ピアニストになる夢を抱いて輝いていたときの面影はなかった。ずいぶんと変わってしまっていた」
妹さんのことを知ったケンは決意したんだね、とマスターは言った。
父を包丁で刺して返り血を浴びた兄さんに妹は抱きついた。子供のころいなくなった兄さんのことを覚えていた。
いや、兄さんのピアノを覚えていたのかもしれない。昨日この店で兄さんといっしょに居るのをみたとき感じましたよ。
でもその直後腹がたってしょうがなかった。勝手に飛び出しておいてまた勝手なことをして、、、。
テツトは途中で言葉を詰まらせた。
「兄さんは父を刺した後いなくなってしまった。こんどこそほんとに死んでしまったのかもしれない」
妹さんは兄さんを探しにここへきたんだね、とマスターが聞くとテツトは「はい」と答えそして涙をこぼした。

「弾いてくれる人間が来るまで待つっていうのはケンさんのことだったのか」
ヒロキが言った。
「オレはすっかり騙されてたってわけだ」
ヒロキはクチを尖らせたが怒っているわけではなさそうだった。
「これからどうするんだろ、アイツ。妹は病院に入れるって言ってたけど」
憎んでいた父親が死んだことで少しは呪縛から解き放たれたのだろうかと店主は思ったがテツトのこころにはまた違う十字架が降りてきたのかもしれない。
「わたしが見届けるよ。オマエはこの町から出ていくんだろう」
店主がいうとヒロキは
「オレにもいちおう夢があるからな。それになんといってもこうして生きている」と言って古いピアノをみつめた。
もうこれを弾いてくれる人間はいないのだろうか。
あの少女は治るだろうか。兄が弾くピアノを隣で聞いていたあの時間を彼女はずっと覚えていてくれるだろうか。
テツトは兄を許しただろうか。いや、許せないだろう。どんなカタチであれそばにいて欲しかっただろう。
マスターもケンを待っていた。それはちゃんと生き直しに帰って来いということではなかったのか。
ケンは自分なりの決着をつけたのかもしれない。悲しすぎる方法だが。彼自身が決めたのだ。
ヒロキは故郷(くに)に帰ることに決めた。逃げることはもうやめたのだ。
マスターの好きな「ホテル・カリフォルニア」の最後のフレーズはこうだ。
You can check out anytime you like,but you can never leave.
いや、オレはもう違う、とヒロキは思った。
あの唄の中のホテルの客たちは自分たちのことを「囚人」と呼んだがオレは違う。そしてテツトにもそう言いたかった。

旅立つ朝、店主はヒロキのためにレコードをかけた。
イーグルスの「Take it easy」だ。
「これは知ってるよな」と店主が言うと、ヒロキは「だからオレはその頃生まれてないってばよ」と言って笑った。

終わり




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