ベル姉の鯉する日常ときどき妄想

(その5)

Another Garden Fallin’ Angel

(Ⅴ)


タカヤが出かけたあと、テツトはもう一度布団に入りかけたが、なんだか胸騒ぎがして飛び起きた。
そして隣の部屋にタカヤの荷物が無造作に放り投げられているのを見て心の底から安堵した。
「じゃ、いってくるから、おとなしく寝てろよ」といってタカヤは出ていった。
そのままいなくなっても不思議じゃない。
ここにとどまらなきゃならない理由はひとつもないのだ。
出会ってまだ3日目だ。それになんといったってアイツは赤の他人なのだ。
今までひとりぼっちだったんだ。今更、ひとがオレから離れていったってどうってことはない。
だが、来訪者を告げるチャイムが鳴ったとき、テツトは走って受話器をとった。
「あ、タカヤ?早かったね」
だが、答えた声はタカヤではなかった。
「テツト?わたしよ。開けてちょうだい」
「母さん・・」

          ★

テツトの母は実年齢より若く見え、美しい。
自分でもそれを充分知っている。
子どもの頃、テツトは美しい母が自慢だった。
だが、母の自慢は優秀な兄だった。
兄のヒデユキが私立中学を受験するとき、テツトはこの祖父の家に預けられた。
テツトが居るとヒデユキが勉強に集中できないというのが理由だった。
5歳年下のテツトは両親から「変わったこどもだ」と言われて育った。
何にでも興味を持ち、疑問を持ち、それが解明されるまで引き下がらない子どもだった。
だから街中でソレをみつけるとどこまでも追いかけていくのだ。
警察から連絡がきたのも度々だ。
「それと同じぐらい勉強してくれればいいのに」
テツトが「秘密の場所」を何度も往復し、「世界でいちばんきれいなチョウチョ」をやっと捕まえ、「プレゼントだよ」と言って、差し出したとき、母はそう言った。
「服が汚れてるから脱ぎなさい」と言って母は背を向けた。

「病院から抜け出してきたの?」とテツトが言った。
「まぁ、人聞きの悪い事いわないでちょうだい。外出許可が出たのよ」
「ひとりできたの?」
「久保塚といっしょよ」と母は父親付の運転手の名前を言った。
昔から父のもとで仕事をしている実直な男だ。
母のレイコは廊下に出て庭を見ていた。
訪れたばかりの春の柔らかい日差しが母の横顔にゆれている。
「元気にしてる?」
と不意に振り向いてレイコはきいた。
「うん」
短く答えてテツトは胸がつまった。
やっぱり心配してきてくれたんだ。
ヒデユキがいなくなってオレが実家を飛び出してここに来てから、いつ連絡がくるだろうと思って
待っていたら、電話があったのは 姿を消してから二週間後だった。
それでもそのときは嬉しかった。
いつでもそうだ、昔から。

兄に向いている目を自分に向けさせたくていろんなことをした、たいていそれは逆効果に
終わるのだが、何回かにいっぺん、それが母のきまぐれであっても優しい声をかけてくれることが
あった。テツトはそれがなによりも嬉しかった。
だが、中学に入ったとき兄に殴られて血だらけになったテツトよりヒデユキをレイコがかばったとき、
テツトの心の中からなにかが弾けた。
テツトは自分の部屋からバットを取りだし、家中の窓を壊したあと、そこを飛び出し二時間後祖父の家の前にいた。
祖父はテツトの両親に「しばらく預かる」と電話を入れた。
祖父はここではテツトの好きなようにさせた。
「オマエはいい子だ」というのが祖父のクチグセだった。
「オマエにはいいところがたくさんある」
中学時代のほとんどをテツトは祖父の家で過ごした。
高校に入っても実家に帰る気はなかった。二度とあんな家に戻るもんかと思っていた。
だが、17才の夏、テツトは戻ることになった。
それは自分で決めたことだった。
ある覚悟をもって。


それから3年、いろいろなことがあった。
ほんとにいろいろなことが、、、。
ボクはいつも母さんのことを考えて、母さんのことを思って、それで、、。

「ねぇ、ヒデユキから電話はないの?」
テツトの思考をさえぎるその言葉は電流のようにテツトの体を走った。
「もう1ヶ月もたつのに、こんなに心配してるのに、あのコったら、」
「母さん」
とテツトは呼びかけた。
(兄さんは帰ってこないよ、いくら待ってても)
テツトは叫びたかった。母の腕を掴み、肩を揺らし、母親が理解するまで叫びたかった。
(アンタの自慢の息子は帰ってこないよ!どんなに待ってもアンタがババァになっても帰ってこないよ!だって、それはオレが、、)
「テツト、そんな怖い顔しないでちょうだい」
テツトははっと我に返った。まさか今のをそのまま声に出したんじゃ、と一瞬心臓が止まりそうになった。
だが次のレイコの言葉に安堵とともに怒りがこみあげてきた。
「テツト、あなたも兄さんを探してちょうだい、こんなところにいつまでもいないで」
テツトはす~っと頭から力が抜けていくような気がした。
自分の体が実態のない透明なものになっていくような気がした。
オレはちゃんと立っているんだろうか。
テツトはちゃんと立っていた。そして歩いていた。
台所にいき包丁を掴んだ。
そして母親の前に戻っていた。自覚がなかったが、右手に掴んでいるものははっきりわかっていた。


「母さん、、ボク、もうだめだよ」
テツトはレイコのほうへすっと一歩踏み出した。


つづく



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