(その2 ケン兄さんの秘密)

Only Yesterday (ヤマモト家の60’s)

(2)


あっちゃんはトモコがあんみつを目の前にしてため息をついているのを目の当たりにして、
びっくり仰天している。
あんみつとため息の取り合せもミスマッチだがトモコとため息の取り合せも
これ以上ないミスマッチである。
と思っているともう1回トモコがはぁ~とため息をついたのであっちゃんは思わず
トモコの額に手をあててみた。
「な、なに?」
トモコがびくりすると
「熱はないな」とあっちゃんは言った。
「どうしたの?ヘンだよ~。元気ないしさぁ、さては恋の悩みかぁ?」
とあっちゃんは、トモコの身にはまずそんなことは起こらないだろうとの前提ながらいちおう心配して尋ねてみた。
「ケン兄さんがさぁ」
トモコの返事にあっちゃんの「憧れのキミ」の名前が出てきたので、あっちゃんは思わずトモコのほうへ身を乗り出す。
「えぇえぇ?!ケンちゃんがどうかしたの?」
憧れのキミに対する(しかも七つも年上)言葉としてはあまりにも軽い気がするが、トモコもフォーク・クルセダーズの加藤和彦のことを「加藤くん」と呼んでいる。加藤くんは大学4年生である。
加藤くん、なんてカッコイイんだろ、背が高くて顔もキレイで、なんといってもあのしなやかで優雅な長い指は日本人の男にしておくにはもったいない。
洗練されたあの身のこなし、きゃ~カッコイイ加藤くん!
「帰ってきたヨッパライ」なんていう奇妙キテレツな唄を唄っているのでまわりの大人たちの評価はすこぶる悪いがわかってもらえなくてもいいのだ。
ということはどうでもよく、問題はケンちゃんなのであった。

昨夜、ケン兄さんの帰りは遅かった。
トモコは布団にもぐったはいいがどうしても気になるので下で物音がするたびに降りてきて、父さんと母さんに早く寝なさいと怒られる。
「まぁいいじゃないかジャズ喫茶ぐらい。あの年頃だったら入ってみたくもなる」
おじいちゃんの声だ。
(ジャズ喫茶?)
トモコはもちろん入ったことはないがなんとなくどんなものか想像はできる。
本で見たこともある。
お酒とタバコの煙と暗い照明とここらへんにはいないセンスのいい格好をした大人たちがたむろしている。
トモコにとっては興味はそそるがほとんど魔窟や迷宮に近いイメージである。
ケン兄さんもそういうところに行っていたのか。
なんだか急にトモコの知ってるケン兄さんとは違う人間のように思えてきた。
「行くだけならいいんですよ。そりゃ行っみたいでしょうよ」
と母さんがかなり不満な調子で返している。
「でもそこで演奏してたなんて」
(え~~~っ?!)
「まったくいつからそんなバンドなんて組んだのかしら」
(え~~~っ!バンドォォオオ?)
「ちゃんとマジメに勉強してると思ってたら」
と母さんがブスブス言っている。
「ケンは大学で軽音楽部に入っているといってたな」とおじいちゃん。
「やっぱり人前で演奏してみたくなるんじゃないか?気持はわかるな、うん」と一人納得している。
「おじいちゃん!」と、とうとう母さんは癇癪をおこした。
「趣味でたしなむんならいいんですよ。それがよりにもよってエレキだなんて、あんな騒々しくて音楽ともいえないもの」
(え~~っ!エレキギター弾いてるの~!ケン兄さん)
いったいいつからだ?家の中ではそんな素振りも見せなかったのに。
家ではいつもフォークギターを弾いていた。
マイク真木が「バラが咲いた、バラが咲いた」と唄い、フォークゾングはあっという間にブームになったがトモコとタカ兄ぃは彼がそう歌うたびに「だからどうしたんだよ~~!」とつっこんでいた。
その点ではトモコとタカ兄ぃは意見が一致した。
つまんない歌だ。
マイク真木っていう日本人なのかガイジンなのかよくわからないそのひとは髪はきっちり七三に分け、こざっぱりした「いいとこのお坊ちゃん」のような格好をしているので母さんのウケはすごくよかった。
たぶんケン兄さんにもあんなふうになってもらいんたいんだろう。
そういう雰囲気がまたケン兄さんにはよく似合う。
ところがケン兄さんがやっているのは母さんの大嫌いな騒々しい、雑音としか思えない、しかも不潔な頭をした
不良がやってる音楽なのであった。
「絶対許しません!」と母さんは宣言した。
だがその宣言する当の相手が帰ってこないのでこうして待っているというわけだ。
「お父さんもちゃんと言ってくださいよ!」
矛先が向けられた父さんは「ん、、まぁ、、むむ」とか言って相変わらず煮え切らない。
おじいちゃんは横で「いいじゃないか、青春じゃないか」とノンキなことを言っている。
ウチのおじいちゃんはホシノのおじいちゃんと違ってグループサウンズを見ても「あんな女みたいな頭しおってけしからん情けない、世も末だ」と言って嘆いたことはない。
「変わったもんが出てきたわい」とおもしろがっている。
トモコはこのおじいちゃんもけっこうな「変わったモン」だと思っている。
ホシノのおじいちゃんの方はそんなだから、親戚のひとが件のその店でケン兄さんを目撃したと聞いて「すわ!一大事!」とご注進に及んだというわけだった。
今すぐなんとかしないととんでもないことになる。
そう言い張るホシノのおじいちゃんにトモコのおじいちゃんはまぁまぁととりなし帰ってもらった。
一事が万事そういう調子でこの隣同士の幼馴染は考え方が全く違うのだが仲が悪いこともなく、夏になると毎日のように縁台で将棋を指したりしているのだ。

トモコはケン兄さんが帰ってくるまでとても眠れない。
4月といってもまだ夜は寒い。
自分も母さんたちといっしょにこたつに入りたいが起きていることがバレてしまう。
階段の途中で聞き耳をたてるのも疲れたのでトモコは自分の部屋に帰ろうとした。
そのとき、がらっと玄関の戸が開いた。


つづく


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