(その3 ケン兄さんの抵抗)ケン兄さんは家に入るなり「トモコそんなとこでなにしてんだ?」と言った。 (げっ!) 「風邪ひくぞ、早く寝な」 ケン兄さんはいつも優しい。タカ兄ぃのクチからはまず出ない言葉だ。 だからトモコはこれから起こるであろう大騒動を知らせないといけない。 事前に戦う準備をしていないと気が弱い兄さんは沈没してしまう。 (あっちあっち) とトモコは居間を指差した。 「え?」 頭の上に2本の人差し指を突き出して「ヤバイよ」と小声で言った。 (怒ってんだよ、母さん) そのとき「ケン、帰ったの?ちょっとこっちに来なさい」と母さんの声が聞こえた。 兄さんはトモコのどきっとした顔を見て(そういうことか)という顔をした。 だからトモコも(そういうことなんだ)と返した。 「いっしょに行ってあげようか?」 7歳も年下の妹が大学生の兄に言うことではないがケン兄さんは 「じゃ、そうしてもらおうかな」と言った。 トモコは思わず膝かっくんしてしまった。 「冗談だよ、早く寝な」と言って笑った。 ケン兄さんはちょっとよくわからないところがある。 こんな事態でもノンビリしている。 トモコは早く寝なと言われても眠れない、もう目がぱっちり冴えてしまった。 「こんな遅くまでどこに行ってたの?!」と母さんがいつもよりオクターブ高い声できいた。 「え~と、ボク実はバンドやってて」とケン兄さんは意外にもあっさりと吐いた。 「『A train』で演奏してた」と件のジャズ喫茶の店の名前を言った。 母さんと父さんとお爺ちゃんはてっきり兄さんはシラをきるだろうと思っていたので、一瞬妙な間があいてしまった。 母さんは気を取りなおしその間を取り戻さなといけないとでもいった感じで 「だ、だ、だからなんでそんなこと親に黙ってするの!」と怒鳴った。 「いや~、だって改まって言うのもなんか変じゃない?」 ケン兄さんの返事は母さんとまったく噛み合わない。 ズレている。トモコはなんだか可笑しくなった。 「そこでなに笑ってるの!」 やば、思わず声が出たらしい。 でもかえっていいチャンスだ。これで堂々とみんなの中に入っていける。 「まったく、寝てると思ったら」母さんがため息をついた。 「で、大学のサークルってそんなこともするの?」 母さんが本題に戻した。 「あ、違うんだそれは。サークルのほうは実を言うとあんまり出てなくて。今ねハセガワのバンドといっしょにやってて・・・・」 「ハセガワ~~~ッ?!」 その名前を聞いて母さんと父さんとお爺ちゃんとトモコと何故かそこにタカ兄ぃの声までユニゾンで響いたのであった。 「あれ?タカ兄ぃ、いつの間に、どこにいたの?」 「あ~、便所に入ってたんだ。出るに出れなくてよ」 「タカ兄ぃ、手洗った?」「お~。忘れた」 汚ねぇ~! それにしてもハセガワはやばくないか? 案の定、母さんは過激に反応した。 「アンタ、あんな不良とつきあってるのっ!?」 ハセガワは近所で1番に髪を伸ばしエレキギターを弾き、最先端のファッションに身を包み、連れて歩く女の子が見るたびに違う・・ので有名なおニイちゃんである。 流行りモンが好きで目立ちたがりのハセガワはオックスの赤松愛ちゃんが髪の毛を真っ赤ッ赤に染めたとき絶対真似するぞ・・と噂になったがやはりそういう周囲の期待にはしっかり答えるハセガワはほんとにヤッテしまいみんなを唖然とさせたのであった。 いちおう大学生だがハセガワがベンガクに励んでいるとは誰も思っていない。 「まったく、そそのかされて、アンタは人がいいんだから」 「それは違うよ!」 いつになくケン兄さんは強い口調で言ったのでみんなびっくりした。 「ハセガワの書く曲はほんとにいいんだ。センスあるし。ギターもウマイし。ちゃらちゃらしてるように 見えるけど自分の好きなものに対してはすごくまじめなんだ」 「女の子にも?」と母さんが意地悪く言うと 「アイツはモテルからなぁ、ハッハッハ」と笑った。 皮肉が全然通用してない。 「ボクが詩を書いてあいつが曲をつける。そのオリジナルをお客さんに聞いてもらう。反応がいいとすごく嬉しい。 ほんとにいいんだ音楽って」 ケン兄さんは少し遠い目をして言った。とてもいい顔をしている、とトモコは思った。 「いいなぁ、青春だなぁ」とお爺ちゃんはまたも同じフレーズを繰り返した。 横で遠慮がちに父さんがうなずいたのを母さんは見逃さなかった。 「お父さんは賛成なんですかっ!」 「うん、、いや、、まぁ好きなことができるのは今ぐらいだからなぁ」 「若いうちにやりたいことしとけよケン」 「お爺ちゃんも!ほんとにもぉ、二人とも無責任なんだから」 母さんは心配でたまらないのだろう。自慢の息子なのだ。 将来は教師になると言っていたケン兄さん。 「それなのにこんなことして」と母さんは嘆く。 「だけどさぁ、いろんなこと経験してる人間のほうがいい先生になれると思うけどなぁ」 とタカ兄ぃが言った。 「それは言える!」とトモコ。 「学校の先生ってさぁなんかズレテるのよねぇ、わたしたちより世間知らずな先生いるよ」 「生意気言うんじゃないの」と母さんは一喝した。 「とにかく」と言ってケン兄さんが立ちあがった。 「ボク、やめないからね。ちゃんと自分のことは自分で責任とれるから心配しないでよ母さん」 と言ってさっさと部屋に戻っていってしまった。 母さんは呆然としていた。 多分ケン兄さんが親に逆らったのは初めてなんじゃないだろうか。 お爺ちゃんと父さんはなんだか感心したような顔をしていた。 トモコはおなじ女同士ここは母さんの味方になってあげないと可愛そうな気もした。 「ケン兄ぃは大丈夫だよ。あれでしっかりしてるから、ねぇお母さん」 結局味方といっても母さんの反対意見に一票というわけじゃなく、母さんはとうとう 「みんな無責任で甘いんだから、知らないから!」と拗てしまった。 そして翌朝から、母さん対その他5人は「アメリカとソ連」のような冷戦状態に入ってしまったのであった。 |