3落陽


(3)落陽


こういう商売をしてるといろいろなヤツと会う。
今でこそ下宿屋の大家だが若い頃はけっこうなヤンチャだった。
10本の指がちゃんとこの手にくっついているのが不思議なくらいだ。
土地を残してくれた親父には一生心配のかけどうしだった。
おふくろには、、もう何をか言わんやだ。
死んでから手を合わせても遅い。

今までいろんな学生がここに入ってはまた出ていった。
マジメなヤツ、変わったヤツ、出来のいいヤツ、悪いヤツ。
概してめんどうを起こし、どうしようもなかったヤツほど懐かしく思い出す。
タカヤの部屋に転がり込んできたテツトという若者もそんなヤツのひとりになるだろうと思っていたら、
あっという間に出ていった。
ぶっきらぼうに合鍵を放ってよこすと
「アンタを見込んで頼みがあるんだけどさぁ」ときた。
「オレちょっとゴタゴタしてるから出てくんだけど、タカヤのことよろしく頼むよ」
「なんでわたしが赤の他人のめんどうみなくちゃいかんのだ?」
するとテツトはニカっと笑うと
「そりゃそうだな。あ、じゃ、忘れてくれよ」
とさっさと背を向けた。
なんてヤツだ。そうなると、おい、とひきとめないわけにはいかないじゃないか。
「あの坊ちゃんのことならわかったよ。それより問題はアンタだ。大丈夫か?」
最近このあたりをうろついている連中はチンピラだが「頭(かしら)」のほうはそんなカワイイものじゃない。
こいつはほんとにわかっているのか?
「アンタ、あんな世界に半歩でも足を踏み入れたらもうそこから出られなくなるぞ。適当に金を稼いで
それじゃぁ、というわけにはいかない。まさか自分がそいつらをちょっと利用してるだけだと勘違いしてる
んじゃあるまいな」
「説教はいいよ。おっさん。とにかくアイツを守ってくれたらそれでいいんだ」
「家賃を2ヶ月分もぽんと払ったのはアンタの金か?」
「どうでもいいだろ。アイツにはちゃんとベンガクに励めよって言ってくれよ」
「これからどうするつもりだ」
「わかんねぇ」
テツトはおどけたように言った。
「なにかあったら電話しろ」
「お節介だな、おっさん」
「たった1ヶ月だったがアンタは店子だった。店子と大家は親子も同然て言うだろ」
テツトは、ハハハと笑った。
「古いな、おっさん。それにさっき言ったことと違うぜ」
「あぁ、わたしは古い人間だ。悪かったな」
テツトは一瞬まじめな顔になった。
「オレ、アイツには借りがあるんだ」
とぼそっと言った。
それがなにかは聞かなかった。
「約束してくれよ、アイツを守るって」
「わかった」
その返事をきけばそれでいいという様にテツトは背を向けた。


タカヤはテツトのあとを追っていったが、掴まえられるはずもない。
その後もテツトの行きそうなところ、といってもこの堅気のぼっちゃんが考え付くところはせいぜい、パチンコ屋、
以前バイトしていた居酒屋あたりだ。キャバレーやその類の店はその前をうろうろするのが精一杯だ。
呼びこみの兄さんに声をかけられ連れこまれそうになるところをわたしが助けた。
「わたしはアンタの身辺を1日見張るほどヒマじゃない。世話を焼かさんでくれ」

「アイツ、殺されてしまう」とタカヤが言った。
「殺しはしないさ。役にたつうちは」
わたしのそのセリフにタカヤは激怒した。
「たった1ヶ月だろ一緒に暮らしたのは。なんでそんなにムキになる」
タカヤはその質問に不思議そうな顔をした。
「なんでって、、友達だったんだ。あたりまえだろ」
アイツはなんだか懐かしい匂いがしたんだ。とタカヤは言った。
なぜだかわからないけど前から知ってたような気がした。ずいぶん迷惑もかけられたけど、
夜が明けても帰ってこないときはほんとに心配した。
アレは弟が晩ご飯時になっても帰ってこないときの気持と同じだった。
と言ってタカヤは泣くのだった。
やれやれ、、。
「アイツが置いていった便箋になんて書いてあった?」
ふいの質問にタカヤは一瞬ぽかんとしたが、答えた。
「オマエは絶対大学やめるなよ、って」
「だったら、そうしろ、勉強しろ。友達なら約束を守れ。夜の街を徘徊なんかしてたら、落第するぞ。
アイツを探すのはわたしに任せなさい」
タカヤは、はっとわたしの顔を見上げると「お願いします」と何度も言って頭を下げた。
やれやれ、、。
結局こういうことになるのだ。


暖簾をくぐるといつものように煙が充満していた。
その向こうから鼻歌が聞こえてくる。
「ナニから~ナニまで~真っ暗闇よ~筋の通らぬことばかり~っとくらぁ!」
それに合わせているのかどうか知らないが団扇をぱたぱたさせている。
わたしの後ろからぬうと突き出した人影に向かって
「ここで食うんならその女みたいな髪、切ってこい!」と怒鳴った。
「ここは焼き鳥を食うにも審査があるのか?」
わたしが言うと相手はニヤっと笑った。
「オレは大嫌いなんだよああいう手合いは。しかし久しぶりだな、くたばったかと思ったぜ」
相変わらずクチが悪い。昔は気も荒かった。左肩から二の腕にかけて立派なモノが彫ってある。
このあたりはちょっと前まで火炎瓶と催涙弾が飛び交っていた。
「あれはいい迷惑だった。商売上がったりだったぜ」
「アンタ、それでも血まみれになって駆けこんで来た学生をずいぶん助けたじゃないか」
「そりゃ、追い出すわけにゃいかんだろ。機動隊が逃げ込んできたとしてもかくまったぜ。ま、そんなことはなかったがな」
はっはっはと店主は笑った。
わたしはテツトの人相や体の特徴を言い、見かけたことはないかと訪ねたが、ないと言われた。
「なんだそいつ、アンタの隠し子か?」
その冗談は放っておいてわたしは見かけたら知らせてくれと頼んで帰った。
ほんとはテツトがかかわっているらしい「組」の動向も知りたがったが聞くのは止めた。
もう堅気になったのだ。頼めば一も二もなく協力してくれるだろう。
しかし、わたしと違ってこいつには女房も子供もいる。

女房と子供か。
一瞬自分の体が「あの時」に引き戻されたようにぐらりと揺れた。
わたしはあわてて元に戻そうともがいた。
思った以上に努力がいった。
時間が経っても、いや、経つほどアレは鮮明によみがえる。
わたしは首を振った。


酒が飲みたくなった。
きびすを返しいつものところに向かおうとしたとき目の前に、ふいとそいつは現れた。
あまりにも簡単に出会えて一瞬笑いそうになった。
アイツは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
わたしとテツトの前を通行人が行き交う。
固まった空気を先に破ったのはアイツの方だった。
「よぉ、おっさん」
ジーパンのポケットに両手をつっこんだままテツトは言った。


「元気か」とわたしが尋ねると「まぁね」と答えた。
帰る気はないかと聞くとあっさり「ない」と言った。
「オマエのほうは聞きたいことはないのか」
「別に」
「タカヤは元気だ。まじめに授業にも出てる。オマエのことを心配している」
「あ、そう」とテツトは気のないような返事をした。
しかし表情が少し変わったのをわたしは見逃さなかった。
哀しい顔だ。
わたしはよほど一歩前に踏みでてテツトの腕を掴もうと思ったがその前を仕事がえりのサラリーマンが通リ過ぎていった。
寿司折りを手に持っている。家族へのみやげだろう。
「まだヤバイ橋を渡ってるのか」
「もう足を洗ったさ」
「向こうサンもそう思ってるのか?」
テツトは返事をしなかった。
「逃げ切れると思ってるのか」
「逃げてやるよ。足は速いんだ」
わたしはため息をついた。
「死ぬなよ」
「死ぬもんか」
テツトは笑った。
そして「じゃぁな」と言ってさっさとわたしの前を通りすぎ、その先の半分朽ちたような映画館に入っていった。

                ★

タカヤが夕方からのバイトに出てゆく。
テツトが置いていった10万は絶対返すんだといって半分意地になってバイトを続けている。
わたしは昨夜のことを報告しなかった。
タカヤは毎日のように何かわかりましたかと聞いてくる。
どうやら田舎に帰ったらしいぞと言ってやるのが一番いいのかもしれないが、何故かそれは言いたくなかった。
このふたりを結びつけているものを断ち切りたくなかった。
こんな気持は自分でも説明ができなかった。


自転車に乗って走り出したタカヤの横顔を夕陽が照らしている。
見る人間によってその色は優しくも悲しくも写るだろう。

夕陽を見るとあの日のことを思い出す。
空を染めているのは血の色だ。
わたしの子供を孕んだ女の胸から溢れだしている血の色だ。
彼女の胸に鉛の玉を貫かせた責任はわたしにあった。

テツトは今どこでこの夕陽をみているのか。
この色がアイツの胸に染まらないように祈るだけだ。
柄にも無く感傷的だとわたしは苦笑した。
なりそこなった親父のつもりだろうか。
わたしはなってもいいのだろうか。

これはひょっとして神が与えてくれた幸福なのかもしれない。
そういうカタチのものもあってもいい。
と思いながらわたしはタカヤの背中を見送った。

 
                終わり


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