ベル姉の鯉する日常ときどき妄想

最終話:風の岬


風の岬


声がきこえる、とテツトは思った。
あれはタカヤの声だ。
でも聞き取りにくいな。なんでだ、こんなに近くにいるのに。
それに泣いてるのか笑ってるのかわからない顔をしている。
あいつ、普通にしてても笑ってるような顔だからな、とテツトは少し可笑しかった。
となりにいるのは大家のおっさんだ。
そうだ、こんどカラテを教えてもらおう。
もうあんなドジは踏まない。
でもなんでそんなに怒ったような顔をしてるんだろう。
オレが帰ってきたっていうのに。
ここはタカヤの部屋だ。懐かしい。
2日目にチンピラ連中が入ってきて蹴破られた押し入れの襖がそのままだ。
オレが渡した金で修理ぐらいしろよ。

ちゃんと授業は受けてるんだろうな、タカヤ。
オレみたいになるなよ。


少し距離を置いたところに焼き鳥屋のオヤジがいる。
ふたりには背を向けて膝の上でこぶしを握り締めている。
なんだかすごく深刻そうだ。
似合わねぇよ、おっさん。

3人ともオレの言ってることが聞こえないようだ。
これは夢なのかなぁ。
でもとってもいい夢だ。
できれば醒めて欲しくないほどいい夢だ。
でも目が覚めたら、やり直すんだオレ。
ここにいたら迷惑か?
いや、いいって言ってくれるよな。


タカヤはきっといい教師になるだろう。
オレはなにをしようか。
こんなオレでも誰か必要としてくれるだろうか。

タカヤがオレのそばでなにか言っている。
それは
「おかえり」と聞こえた。


その言葉をききたくて、ただそれだけを聞きたくて帰ってきたんだ、
とテツトは思った。


 

                      ★

大家は田舎に返したほうがいいと言ったが、タカヤは頑として受けつけなかった。
「テツトが帰りたかったのはここなんだ」
白い布で覆われたソレはタカヤの机の上に2週間前から置かれている。
焼き鳥屋の店主は独自のルートでテツトの身元を調べた。
「母親は男をつくって家を出てる、親父のほうは飲んだくれで病院に入ってる」
それでもいちおう親は親だと店主と大家は言う。
タカヤは納得できない。
でも、
「でもテツトの生まれたところに行ってみたい」


そして今、タカヤは風の強い岬にいる。
海から吹く風は泣いているようにも怒っているようにも聞こえた。
自分のこころと同じだ、とタカヤは思った。
オレはすごく怒ってるんだ。
怒ってるんだ。
「ばかやろう!」
タカヤのその言葉を風はタカヤに突き返す。
涙さえ風は砕け散らす。
なにも受け入れてくれない。
悲しみも怒りも悔しささえも突き返される。
こういうところでテツトは生きてきたんだ。


最後の晩にいっしょに銭湯にいった。
あいつは子供のようにはしゃいでいた。
体にはたくさん傷があった。
それでも笑った顔は無邪気だった。
帰り道のテツトはえらくぶっきらぼうになり、いつもの気まぐれが始まった、とタカヤは相手にしなかった。
あのとき何を考えていたのかどうしてわからなかったのだろう。
あくる日からまたいつもの毎日が始まると信じて疑わなかった。

葬式でも泣かなかったのに、タカヤはここで初めて大声をあげて泣いた。

                       ★


大家の家の菩提寺でもある寺にテツトの骨は埋められた。
タカヤの机には、訪ねていった実家のアルバムに貼られていた高校時代のテツトの写真が引き伸ばされて飾ってある。
それを見たときタカヤはテツトに対するなにかよくわからない懐かしさの理由がわかった。
授業を終えてタカヤはバイトに向かう。
破れた襖はずっとそのままにしてある。


自転車に乗って走るタカヤの背中を大家は見送った。
「テツト、オマエとの約束は守っているぞ」
と大家はつぶやいた。
彼の顔に夕陽が傾いた。


                        終わり


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