ベル姉の鯉する日常ときどき妄想

その2

真冬のすばる
(その2)


男は「取引だ」と言った。
そして「返事をしろ」と言った。

だからオレは答えた。
「今度はいつ何処へ行けばいいんだ?」

それを聞くと男は手を離した。
少し名残惜しそうに。
オレはそいつの指の跡が赤くくっきり残る手首をさすった。
骨は砕けていなかった。
「そう言うだろうと思ったよ」
神崎は笑った。
それは今までの笑いとは少し違った。
ほんのちょっとだが人間らしかった。

だがこいつは野獣だ。
姿が美しいぶんだけやっかいだ。
こんなヤツに渡してたまるもんか。

タカヤ。


                 ☆

                              

「ほんとに具合悪いんじゃないか?」
さっきから同じことばっかり言っている。
「なんだってこんなに金持ってるんだ?変だよ。普通のバイトじゃあり得ないよ。なにしてんだよ」
「うっせーなぁもう!」
オレはタカヤに枕を投げつけた。
「オレの寝起きが悪いの知ってんだろ」
「ひとが心配してるんじゃないかっ!」と言ってタカヤは投げ返す。
「家賃2ヶ月分払ってもおつりがくるだろ」
オレが笑うとタカヤはふくれた。
「そんなこと言ってるんじゃないよ。なにかムリしてるんじゃないのか?きつい仕事なら止めろよ。家賃なんて気にすんなよ」
オレはもう一度枕を投げ返そうとしたが力が抜けて的をはずした。
ほんとにこいつはなんてノーテンキなんだ。
なにをやってるかなんて普通うすうす感づくもんだろ。
「オレだってバイトしてんだからほんとにムリすんなよ。ほんとにしんどいなら病院いけよ」」
そう言ってタカヤは身支度を整えると、きしむドアを開けて出ていった。
「せいぜいベンガクに励めよ、勤労学生!」オレは背中に向かって怒鳴ってやった。


あれから2度神崎には呼び出された。
相手のオヤジのクビを締めそうになるのを堪えるのに苦労した。
会うたびに神崎のクビも締めてやろうかと思った。
このあいだは約束の場所にナイフを持っていったがすぐに見破られた。
悔しいが相手にならない。
いともた易くオレからナイフを取り上げるとそれを玩びながら言った。
「こんなことから抜け出したいんならもっと簡単な方法があるのに」
片手をコートのポケットに入れたままナイフをくるくる回しながら神崎は続けた。
「どうしてそうしない?」
「オレは下司野郎にはなりたくないんだ」
そう言うと男は目を細めて「ほ~」と言った。
「今やってることはそうじゃないのか?」
オレは顔が真っ赤になりそうなのがわかった。
男は期待している。
オレが怒るのを、うろたえるのを。
神崎の目をみてオレは言った。
「友達を売るよりよっぽどマシだ」
「そうか、だったらせいぜいお仕事完璧に頼むぜ。おれはその時間ワインでも開けてるよ。
ふたりのうるわしい友情に乾杯させてもらおう」
「アンタは」
とオレが言うと男はナンダ?という顔を向けた。
「かわいそうなヤツだな」
こんどは男のほうの顔が紅潮した。
怒れよ、殴れよ、アンタは一見大人のようだがガキだ。
おもちゃが自分に逆らうとガマンできないんだ。
「オレがガキならおまえはバカだ。どうしようもないバカだ」
男はらしくないほどムキになっていた。
そう言うと
「ムキになってるのはオマエのほうだ!」
と急に怒鳴り始めた。
「ダチなんてかばってどうする。感謝して欲しいのか?犠牲的精神か?そんなのはたわごとだ。偽善者だ。もっと自分に正直になれ」
「アンタにはわからないよ」
オレは静かに言った。
「そんなんじゃない」
「じゃ、なんだ!」
男は完全にイライラしていた。
「オレはあいつにこんなことをさせたくない。あいつは勉強して教師になるんだ。オレはなってもらいたいんだ」
男はオレのその言葉に心底あきれていた。
「オマエはどうしようもないバカだ」と吐き捨てた。
「下司野郎よりマシだ」
オレと神崎は対峙した。
緊張がふたりの間に流れたが先にそれを破ったのは神崎だった。
「勝手にしろ」と言って驚いたことにため息をついた。
「オレはオマエのことを思って言ってるんだぜ、これでも」
「くそくらえだ」
オレはそう神崎に向かって投げつけきびすを返した。
そしてまっすぐ顔を上げて歩き出した。
オレを待っている客のところへ。


つづく




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