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加藤浩子の La bella vita(美しき人生)

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May 11, 2021
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カテゴリ:音楽
新型コロナのパンデミックはなかなか収束が見えず、緊急事態宣言が継続される事態となってしまいましたが、一部のコンサートなどは明日から再開されるようですね。
 一刻も早くワクチンが行き渡り、事態の行先が見えるよう願っています。

 私の所属している「日本ヴェルディ協会」では、この状況下で、オンライン講演会などを開催して参りましたが、今月の26日に、プロデューサーの広渡勲氏を講師にお招きし、オンライン講演会を行うことになりました。

 広渡勲氏は、「日本舞台芸術振興会」で外国の歌劇場の来日公演を長く担当し、ウィーン国立歌劇場、ミラノ・スカラ座、ベルリン・ドイツ・オペラなどの数々の名舞台を実現した名プロデューサーです。お仕事の有能ぶりに加え、クライバー、バレンボイム、メータなど世界一流のアーティストと家族同然の信頼関係を築かれた人間力も有名です。
 先日、このブログでも、ご新著「マエストロ、ようこそ」をご紹介させていただきました。

 今回は、広渡先生のご自宅に伺い、公演時の映像や写なども拝見しつつ、ミラノ・スカラ座の来日公演のお話を中心に、舞台裏の苦労話からアーティストたちのエピソードまで、当事者しかご存知ないお話をたくさん披露していただく予定です。

 詳細、お申し込みはこちらから。ヴェルディ協会の会員は無料、一般の方は千円でご視聴いただけます。直前のご案内で恐縮ですが、どうぞよろしくお願いいたします。

 ​広渡勲オンライン講演会






最終更新日  May 11, 2021 06:48:37 PM


May 2, 2021
カテゴリ:カテゴリ未分類
昨年に続き、自粛のGWとなってしまいましたが、いかがお過ごしですか?

 コンサート、イベントはほとんど流れてしまいましたが、新緑に癒されています。

 こんな時で恐縮ですが、6月の対面講座のご案内です。
 
 「フェニーチェ劇場友の会」が主催し、「日比谷図書文化館」で開催されている「日比谷オペラ塾」は、いつもあっという間に埋まってしまう人気の講座ですが、今回は特別編として、二回のみの講座を開講することになりました。
 テーマは「名作オペラで知る歴史」。二回にわたり、ナポレオンの対イタリア戦争を背景にした「トスカ」、ドイツ統一の時代に理想のドイツを追い求めてドイツ近世史を扱った「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を取り上げます。
 大きな会場ですが、人数を絞り、感染症対策も万全にして行う予定です。

 詳しくはこちらからご覧いただけます。

 ​日比谷オペラ塾「名作オペラで知る歴史」

 どうぞよろしくお願いいたします。






最終更新日  May 2, 2021 04:05:02 PM
March 30, 2021
カテゴリ:お仕事
春から、カルチャーセンター各所でオンライン講座が始まります。withコロナはまだしばらく続きそうなので、「オペラ史」とか「ワーグナー」とか「バッハ」とか、ガッツリ系?のテーマが並びました。おうち時間の長い今だから、じっくりオペラ&音楽、いかがですか?
 
  朝日カルチャーセンター新宿では、「1年で学ぶオペラ史」が始まります。
 この際腰を据えてじっくり、オペラ史のおさらいはいかがでしょうか。
 毎回、時代順に、オペラの代表的な作曲家とその作曲家の代表作を取り上げます。
 3ヶ月が1クールで、4クール12ヶ月で完了。モンテヴェルディからベルクまで行く予定です。一回ごと、三回ごとなど単発の受講ももちろん可能です。
 
 詳しくはこちらから。
 
 ​朝日カルチャーオンライン 1年で学ぶオペラ史

 学習院大学さくらアカデミーでは、ワーグナー「ニーベルングの指環」講座が始まります。
 ワーグナーの専門の先生のようにはいきませんが、私なりにわかりやすく、「指環」の面白さをお伝えできればと思っています。

 ​学習院さくらアカデミー「ニーベルングの指環」講座

 そして早稲田大学のエクステンションセンターでは、「バッハ 器楽作品の魅力」をお話します。昨秋、「バッハ 三大宗教曲超入門」が好評で、またバッハを、というリクエストにお応えしての講座です。

 ​早稲田大学エクステンションセンター バッハ 器楽作品の魅力

 
 ぜひ、ご参加をご検討いただけるとうれししいです。
 どうぞよろしくお願いいたします。






最終更新日  March 30, 2021 09:20:10 AM
March 15, 2021
カテゴリ:音楽
コロナ禍で、多くの公演が中止、内容の変更を強いられています。一方で、やむない変更が、プラスに転じた公演も少なくありません。新国立劇場の「ワルキューレ」は、その好例となる充実した公演でした。
 
 コロナ禍による外国人の入国制限に端を発し、多くの変更を強いられた「ワルキューレ」。が、それがほぼプラスに働いたように思います。立役者は大野和士マエストロ。演奏はもちろん、キャスティングから版の選択に至るまで、大正解、と言っていいでしょう。オペラ指揮者、オペラ監督としての大野マエストロの実力を思い知りました。それに支えられた、演奏も含めて大いなる一体感のある公演でした。

 まず、入国制限のために来られなかった外国人キャストの代役として起用された日本人キャストが適材適所。公演直前に発表され、話題になった、ジークムント役を二人で歌い分けるという選択も、実際に聴いてみて頷けました。第一幕を担当した村上敏明さん、明るい声とリリカルな響きは確かにロマンティックなジークムントに相応しく、第二幕を担当した秋谷直之さんも、確かにロブストなパワーは悲劇の英雄に相応しいのですが、どちらかが両方の幕を歌うより、1幕ずつに専念していただいたほうが音楽的に充実する、という大野さんの考えには全く同感です。これは、聴いてみなければわからなかった。百聞は一聴にしかず、です。
 
 他のキャストで変更なしは、世界の(バイロイトの常連)藤村実穂子さん(フリッカ役)だけでしたが、繰り返しですがピンチヒッターのメンバーは概して適材適所。外国人キャストは、1月に関西で行われたワーグナー関連のコンサートで来日し、そのままこの「ワルキューレ」のために引き止められた(!!それもすごい)というヴォータン役のクプファー=ラディツキー氏だけでしたが、やはり存在感は圧倒的で、舞台を引き締めていました。声の豊かさに加えて演技力が素晴らしい。登場時の高揚から絶望、憂鬱、ブリュンヒルデへの怒りと愛まで、多彩な感情を肌で感じさせてくれました。

 ブリュンヒルデ役の池田香織さんは、昨春のびわ湖ホール「神々の黄昏」での見事なブリュンヒルデが記憶に新しかったので期待していましたが、その期待を裏切らない秀演。あの小柄な体のどこからこんなパワーが出てくるのか、と思わせられる、よく飛ぶ密度の濃い声を武器に、世間知らずのお嬢さんから、ジークムントの苦しみや愛に共感し、父に楯突く勇気を得て、最後は父の愛に応える「成長する」ブリュンヒルデを見事に演じ切りました。ジークリンデ役小林厚子さんは、明るめの響きとリリカルな表情豊かな声で、愛に溢れるジークリンデを熱演。第三幕で、お腹の子供のために生きる覚悟を決めた時のブリュンヒルデとのやりとりには、生でなければ味わえない奇跡的な迫力がありました。フンディング役長谷川顕さんも、無骨な「敵役」を好演。実は長谷川さん、先日の二期会「タンホイザー」の時はちょっと不安定で気にかかっていたのですが、今回は好調。で、思ったのですが、やはり「チーム大野」の一体感は大きいのではないかと。「タンホイザー」は、指揮と合唱が引っ張っていて、それはそれで聴き応えがあったのですが、こういう「一体感」には到達していなかったのですね。
 BCJの「マタイ」のように、コロナ禍で日本人キャストを起用して、プラスに働いた公演はいくつもありますが、今回の新国立劇場の「ワルキューレ」もその一つであることは確実です

 その牽引役大野さんのワーグナーは3度目ですが(前二回は新国の「トリスタン」、Metの「オランダ人」)、今回が一番良かった(オケは東響)。特に第一幕は神がかっているのではないかと思えました。基本的にインテンポで、過剰にテンポを揺らしたり表情をつけすぎたりせず、メリハリをつけ、リリカルな部分は綺麗に「歌う」。「歌」と劇的瞬間に満ちたワーグナー。聴いていて快い。
 
 さらに今回、イレギュラーな選択が正解だったのは、ピットの「密」を避けるためにオーケストラの規模を削減した「アッバス版」の使用です。これが、全体のバランス、見通しをよくしたという点でプラスに働いたのです。日本人の歌手にとっても、フル編成より正直楽だったと思う。日本人は外国人歌手よりパワーが劣るなどというつもりは毛頭ありませんが、それは、今回のプロダクションの初演時に出たグールドだテオリンだに比べればガタイは小さいですから、フル編成だと彼らに敵わない部分はあると思う。この選択も、繰り返しですが大野さんの決断です。
 
 いろんな意味で「画期的」と言っていい公演だったと感じました。マイナスと思われた状況をプラスに転じる。これも、舞台の醍醐味です。
 
 新国立劇場、昨年前半、5演目がキャンセルに追い込まれましたが、新シーズンからは「とにかく公演を続ける」(大野さん)覚悟で、販売席数削減を強いられて経済的に厳しい中、本当にいい公演を続けています。藤倉大さんの「アルマゲドンの夢」は、新国がヨーロッパの第一線のオペラハウスと肩を並べた画期的な公演でしたし、外国人キャストが揃った「こうもり」も素晴らしかったし、「スカラ座のカヴァラドッシ」、メーリが最高だった「トスカ」も良かったし、もう感謝しかありません。やはり大野さんが今、新国のオペラ監督をやってくれていることは本当に大きい。
 
 最終日はワーグナーのスペシャリストとして知られる城谷正博さんが指揮を執るそうで、急遽いくことにしました。楽しみです。

 チケットは、最終日のみ少し残っているそうです。何しろ席数半分の900しか売れないかので。。。多くの方に聴いていただきたいですが、そこはどうにも残念です。

 公演情報はこちら。
 
 新国立劇場「ワルキューレ」






最終更新日  March 15, 2021 03:31:43 PM
March 13, 2021
カテゴリ:映画
見た知人友人が口を揃えて「よかった!」と言っている映画、「すばらしき世界」を見てきました。
 よかった。いえ、よかった、と言う言葉では全然足りません。すごい映画です。(監督の)西川美和ってすごい。
 今の日本の生きづらさ、「人間」と「社会」の関係、家族、人の暖かさと繋がり、いろんなテーマが幾重にも重なっている。短編小説ができるような内容が、次から次へと出てくるのです。ここも小説になる!ここも小説になる!そういうシーンの連続。そういう意味では贅沢な映画です。

 以下ネタバレあり、それでよろしければ?ご覧ください。
 
 主人公は服役を終えてできたばかりの元ヤクザ。前科10犯、最後は殺人。けれど、彼の方にも言い分がある。あちらが難癖をつけて襲ってきたからやり返しただけ、ということです。そして、今度ばかりは娑婆で働きたいと思っている。ただし心臓に持病があって、何かあると結構命に関わりそう(最高血圧230!とかになったりするような病気です)。
 
 生い立ちは不幸です。私生児として生まれ、施設に預けられ、芸者だった母親は彼が4歳の時を最後に顔を出さない。グレてヤクザになり、用心棒として働き、それでもようやくパートナーに巡り合ってスナックを構えて結婚したのに、すぐ殺人を犯してしまった。刑務所でもしょっちゅうもめて、刑期が延びた。懲罰房も長い。すぐカッとなるたちなんですね。理不尽だと思い込んだことは許せない。それが、彼が、普通の社会で生きていく上の1番の障害になるわけです。
 
 刑務所を出た彼は、弁護士さんを頼って、生活保護を受けながら仕事を探し始めます。すごく真面目なんです。生活保護を受けることをとてもとても心苦しいと思っている。けれど世間には、生活保護っていうと冷たい目で見る人間も少なくない。それにも苦しむわけです。(でも、こう言う人が立ち直るために生活保護を使うのはありでしょう。一部の日本人の生活保護バッシングは異常だと思う)
 
 トラブルを起こしたり、ヤクザに舞い戻りそうになりながら、主人公は1歩1歩前進していきます。そんな彼の真摯さに打たれ、周囲も次第に協力していく。生活保護を申請した窓口のケースワーカーは、最初はすぐカッカする彼に手を焼いたものの、仕事探しに親身に協力していきますし、弁護士の先生は、かつて得意だった運転の腕を生かして、失効した免許を取り戻し、いずれ運転手にと言う彼の夢のために、費用を貸します。彼を万引き犯と間違えたスーパーの店主は、かつて自分もチンピラだった過去を彼に重ね合わせて、更生を応援するのです。不器用な彼の真摯さが、周囲に伝わる。「すばらしき世界」が出現します。

 そして彼は、老人介護施設でのパートの仕事を得ます。ボロアパートでのささやかなお祝い。みんなからの就職祝いの自転車のプレゼント。一方で、介護施設でも職員間のいじめはある。障害者で仕事ができない同僚をいじめる職員たち。これまでの彼なら割って入って喧嘩を売ったけど、お世話になった人たちのことを思って自重する。と、心臓発作。心と行動を抑えると、心臓が音をあげるのです。因果関係はあるのかないのか。
 
 そのいじめられていた職員が、嵐の中でコスモスを摘んでいた。嵐で散る前に、摘んでおいたのです。主人公はコスモスを受け取り、帰宅の途に。途中、主人公に、元妻からランチの誘いの電話がかかります。再婚した夫との娘も連れていく、と。元妻はわかっているんです。「あなたのような人は、社会では生きづらい」と。ふわっとした気持ちで帰宅。けれど元妻との再会は叶わなかった。。。
 最後は、やめておきますね。ぜひ、見てください。

 物語の語り手的な役割で、彼の人生をテレビ番組にしようとした小説家志望の若者が登場します。「こんないい材料はない」と若者を焚き付ける女性の辣腕プロデューサー(長澤まさみが役にピッタリ!)。でも結局、若者は主人公をテレビに出すのを思い切り、プロデューサーと縁を切り、「あなたのことを書きます」と宣言する。「だから、戻らないでください。ヤクザに戻らないでください」と、一緒に入った風呂で、傷だらけの彼の背中を流しながら頼むのです。涙ぐみながら。
 そのシーンは、若者と主人公が、主人公の母親の手がかりを得ようと、かつて主人公が預けられていた施設を訪ね、母親のことはわからないながら、当時そこで働いていたという老婆と、ささやかな心の交流をもった後でのことでした。老婆は当時、その施設でオルガンを弾いていた、子供たちがそれに合わせて歌ったという。それを聞いた主人公の口から、自然に当時歌っていた歌が漏れてきた。老婆もそれに合わせて歌う。。。
 さらに主人公は、そこにいた子供たちのサッカーに混じって走り回る。楽しそうに。けれど最後は地べたに崩折れ、泣き伏してしまうのです。
 ここだって、小説になります。繰り返しですが、そういうシーンの連続なのです。
  
 ヤクザに舞い戻ろうとして、思いとどまったシーンも秀逸です。親分のおかみさんは、彼に言うのです。「もう戻ってこないで。誰も好きでヤクザなんかやっていない。もうヤクザで食える時代じゃない。娑婆は生きづらい。でも空は広いって言うじゃないか」

 何度も涙腺決壊。この世界は生きづらい、でも生きる価値はある。きっと。それだけでも、すばらしき世界、かもしれません。

 映画を見てから、原作(正確には「原案」となっていますが)になった、佐木隆三の「身分帳」という小説をKindleで購入して読みました。かなり雰囲気は違いますが(佐木作品は時代も戦後すぐから始まるので、戦災孤児とか大勢いた時代です)、軸は一緒です。佐木氏はこの主人公に出会って、彼の生存中に小説「身分帳」を書くのですが、映画の中では、作家志望の青年が、佐木氏の役割を担っていました。

 あちこちで言い尽くされていることですが、主人公を演じる役所広司さんの演技も「すばらしい」の一言です。

 すばらしき世界






最終更新日  March 13, 2021 09:35:01 AM
March 7, 2021
カテゴリ:音楽
4年をかけて上演してきたワーグナー「ニーベルングの指環」完結編の「神々の黄昏」が、県知事と国からの要請で中止に追い込まれ、無観客配信となった伝説の「神々の黄昏」から1年。
 今年のびわ湖ホール、プロデュースオペラの「ローエングリン」、セミステージ形式ですが無事に行われ、大成功を収めました。初日の簡単な感想です。
 
 ほぼ満席の客席の熱気も印象的でしたが(待ってました、という感じ)、ホワイエで会ったホールのスタッフの方々が、顔を上気させ、「素晴らしいでしょう!」と誇らしげに口を揃えるのがそれ以上に印象的でした。細心の注意を払って準備してきた自信と、結果が出ていることへの高揚感が伺えました。
 
 セミステージ形式(演出は粟國淳さん)といっても、舞台の左右に白い円柱を3本ずつならべ、舞台の奥にスクリーンを出してその場その場に関連した映像(よくある抽象的なものでなく、わかりやすい)を出すのは、視覚的には十分満足できるもの。オーケストラは舞台上で、オケの手前にいくつか段差が設けられ、歌手はその上を行き来して演技します。合唱は舞台奥のスクリーン手前。マスクをつけての合唱はやりにくかったと思いますが、健闘していました。
 
 音楽的にもとても満足度の高い舞台でした。びわ湖ホール芸術監督として数々のワーグナー公演を成功させてきた沼尻竜典マエストロ指揮する京都市交響楽団は、これまでのコラボレーションの総決算を思わせる一体感。音楽は滔々と流れ、雄弁で、ツボを押さえて美しい。何より、ワーグナーの「長さ」を全く感じさせないのがお見事です(ロングヴァージョンなのに)。「ローエングリン」はおそらくワーグナーのオペラ(一般に彼の正当な?作品とみなされる「オランダ人」以降で)の中で、おそらくもっともグランドオペラ風の作品ですが、その華麗さ、美しさ、明暗の対比を十全に表現していたと思います。音楽に潜む「聖」と「俗」とのコントラストが明確に打ち出されていました。第三幕で、エルザとローエングリンの迫真の対決場面が終わった瞬間での絶望に満ちた余韻には、息を飲みました。
 
 ソリストも高水準。みなさん流石に「巧い」ので、多少の傷があってもそれを感じさせない技を身につけています。タイトルロールの福井敬さんの、甘くロブストな声をホールに響き渡らせる入魂の演唱、テルラムントの小森輝彦さんの、立体感のあるドイツ語の発声に支えられた複雑な心理表現が生きた悪役ぶり、オルトルートの谷口睦美さんの、彼女の才能である役柄が憑依するおぞましき悪女ぶり、伝令役大西宇宙さんの、若々しくみずみずしいよく響く美声、国王ハインリヒ役妻屋秀和さんの、よく通る高音域とみなぎる威厳。みなさんそれぞれの持ち味を十二分に発揮していました。
 
 個人的なMVPは、エルザ役の森谷真理さん。頼りない、自分のないエルザ、よるべのないエルザを好演。いわゆる「ワーグナーソプラノ」を想像すると多少華奢な声ですが、儚いエルザの役作りには相応しかったように感じます。だからこそ、エルザに共感できましたから。これが太い声だったら、こうは行かなかったかもしれません。しかも急の代役(もちろんロールデビュー)で、1ヶ月足らずの準備期間しかなかったそうですから、驚くべき完成度です。やはり、すごい歌い手ですね。
 女性二人の「明暗」「善悪」がはっきりしているこのオペラ(例えば「タンホイザー」の二人の女性よりコントラストがあるのでは)、当日の女性二人は本当に役柄にふさわしく、第二幕で繰り広げられた森谷さんと谷口さんの対決は、当日の白眉でした。(またワグネリアンに怒られそうですが、このお二人でアイーダVSアムネリスとか、エリザベッタVSエボリとかをぜひ聴いてみたいものです)
 
 客席の静かな、でも熱のこもった、そして「待っていました」という熱狂、ホワイエの賑わい(バーが営業していて感動。。。)。あれから1年、多少イレギュラーであっても公演が戻り、成功を収めたことに、心からの拍手を捧げたいと思います。






最終更新日  March 8, 2021 01:32:44 AM
カテゴリ:
大変貴重な一冊。知る人ぞ知る名プロデューサー、広渡勲さんの回顧録です。 

広渡勲さんは、東宝を経てNBS(旧JAS)で、海外のオペラハウスやバレエの公演を数多く手がけられ、スカラ座、ウィーン国立歌劇場、ベルリンドイツオペラ、ウィーン国立歌劇場など、伝説になった来日公演の裏方として奮闘なさり、質の高い公演を実現した立役者となった、伝説の名プロデューサー。その仕事ぶりと気配りで、クライバー、バレンボイムをはじめ著名なアーティストの絶大なる信頼を受けたことでも有名です。クライバー、バレンボイム、メータなどは家族同然、バレンボイム、メータとは「三兄弟」の仲だそう。

 この本を読んでいると、なるほどなあ、という場面が何度も出てきます。素早く仕事をこなし、満遍なく気配りする。仕事においても人間関係においても、とにかく「機転がきく」のです。演目や演出の交渉といった公の部分から、来日公演中に主役キャストの一人が浮いていると折を見て食事に誘うような、目に見えない部分での細やかな気配りまで、それはすごいのです。
 最晩年、体調が芳しくないカール・ベームを、ファンにもみくちゃにされないようこっそり楽屋口から出したら、本人がファンに囲まれたくて機嫌が悪くなったので、その次の公演の時にはファンの「エキストラ」!を楽屋口に十人揃えた!とか。公演中に揉めていた演出家と歌手を、最後の最後の打ち上げパーティで一緒に鏡割りをさせて仲直りさせたとか。。。。そんなエピソードを読むと、つくづくその気配りの素晴らしさに感じいってしまいます。この人となら一緒に仕事がしたい、と思うアーティストが続出するのは当然でしょう。
 気配りの広渡さんと、本物へのこだわりと眼力が凄まじかったというNBSのトップ、故佐々木忠次さんの組み合わせで、NBSは80−90年代にかけて、伝説的な来日オペラ公演の数々を実現させることができました。新国立劇場もなかったし、日本も上向きだったし、ある意味いろんなタイミングが重なって、クライバーの「オテロ」や「ばらの騎士」、フリードリヒ演出の「リング」日本初演など、語り草がいくつも生まれました。
 もう、そういう時代ではありません。「人」もいなければ「お金」も回らない。また海外の歌劇場にしても、当時のような、自分たちの名誉をかけて日本公演を、という気概は感じられない(日本に持ってくるのは現地でのBキャスト、ということが珍しくありません)。ビジネスライクになった、というようなことを広渡さんもこの本の中で呟いておられます。

 広渡さん、「スピーディSpeedy」というニックネームをお持ちで、そのことは前から存じていたのですが、その由来も本書にありました。スカラ座の総裁一行を京都に案内していた時、立ち止まって話してばかりいるので、「歩きながら話してください」と頼んだところ、機智があってすばしこい人気キャラ、「スピーディ・ゴンザレス」みたいだ、と言われ、それがニックネームになったのだそう。なるほど。
 広渡さんと海外出張に行かれたある方から伺ったのですが、ウィーンに行ってもベルリンに行っても、劇場に行くと「スピーディがきた!」と大騒ぎになったそう。(当時全盛期だった)「カサロヴァが、私のところにきてちょうだい、って言ったり、ベルリンではルネ・コロが、「スピーディがきているなら僕が空港まで送っていく」と言い出したりするんですよ」。で、「とにかく仕事が早いんです。数歩歩く間にいくつかのことをしている。僕の何倍ものことをしてるんです。「スピーディ」って呼ばれている理由がわかりました」
 このお話、とても印象的だったのですが、この本を読むと、よくわかります。
 名プロデューサーと伝説の公演、日本のクラシック音楽受容史の重要な1ページですね。中身の濃い本で、特にオペラ好きにはたまらない、ワクワクドキドキの一冊です。
 
 もし「クライバーって誰?」という読者も意識するのだったら、構成はもう少し考えたほうがよかったかもしれません。最初から延々とクライバーとのエピソードが出てくるより、広渡さんの経歴や当時のクラシック、オペラ、バレエ界の状況から始める手もあったかもしれません。

本の詳細はこちらから。

マエストロ、ようこそ






最終更新日  March 7, 2021 09:21:46 PM
March 3, 2021
カテゴリ:音楽
本日(3月2日)、新国立劇場、オペラ公演のシーズンラインナップが発表になりました。
記者会見に参加してきましたが、大変素晴らしいラインナップだと感じています。何より、「国立のオペラ劇場に求められるもの」がそろってきた、という印象です。

 ラインナップはこちらから。​

 新国立劇場 オペラ 新シーズンラインナップ

 何が素晴らしいかというと、まず演目のバランスです。
 1998年に誕生して20数年。新国立劇場のこれまでのラインナップは、必ずしもバランスのとれたものとは言えませんでした。同じ作品(その中には比較的マイナーなものも)が繰り返し新制作されることが目立つ一方で(「指環」二回、「アラべラ」二回、「ナブッコ」二回など)、レパートリーがなかなか増えない。19世紀ドイツ、イタリア中心で、昨今流行りのベルカントやバロック、国立のオペラハウスならあるべきロシアものやフランスものが極端に少ない。20数年経ってベッリーニが1曲もなく、ロシアオペラの金字塔である「ボリス・ゴドウノフ」もまだ。(後者2点は今回も「まだ」でしたが、「ボリス」に関しては予定があるようです)20世紀ものも少ない。何より、持っているプロダクションが少ない(らしい。大野さんが繰り返しおっしゃってます)。
 2018年に指揮者の大野和士さんがオペラ部門の監督に就任されて以来、そんな状況は変わりつつあります。「国立のオペラハウス」としての目配りが、格段に違ってきたと感じるのです。ようやく、という感じですが、とても嬉しい。(これまでの芸術監督だと、故若杉弘さんの監督時代はかなりバランスが取れていたと思います。若杉さんも大野さんも、海外のいい劇場でポストを持たれた経験が物を言っていると感じます)。

 大野さんはかねがね、「ベルカント、フランスもの、20世紀、同時代もの、バロック、ロシアもの」といったレパートリーが少ない、増やすべきだ、と唱えておられましたし、実際、これまでのシーズンもその路線は明確でした。また日本人作品、特に新作委嘱にも力を注がれ、昨秋の藤倉大氏の新作オペラ「アルマゲドンの夢」は、作品、上演レベルともに素晴らしい公演でした。ようやく、新国立劇場が、ヨーロッパの第一線の劇場と同等になったと感じたものです。

 今回のラインナップ、個人的には「きたきた!」と小躍りしたい気分です。これまでほんとに僅かだったベルカントで幕を開け、これもほんとに僅かだったフランスものでシーズンを閉じるのですから。しかも2作とも、指折りの名作です。これまでも上演はありましたが、一回限りだったり中劇場だったり。そういうレベルの作品ではなくて、常にレパートリーにあるべき作品なのです。しかもキャストも素晴らしい。

 シーズンの開幕は、ロッシーニの「チェネレントラ」。ロッシーニの大傑作。「人をホロリとさせる」(大野さん)近代人、ロッシーニの面目躍如の作品。そして指揮者がすごい。今、ベルカントをふらせたら当代屈指のマウリツィオ・ベニーニです。日本にはそんなにきていませんが、Met ライブビューイングのベルカントものでもおなじみ(いつも名演!)。私もモンテカルロの「スティッフェーリオ」、マドリードの「海賊」(ベッリーニ)などでその名技に揺さぶられてきました。歌手も、日本が生んだロッシーニスターの脇園彩さん、昨年の「セビリアの理髪師」の名演が記憶に新しいルネ・バルベラ、 ベテランのアレッサンドロ・コルベッリなど贅沢です。
 そしてクロージングを飾るのは、ドビュッシーの、そしてオペラ史上の大傑作、「ペレアスとメリザンド」。オペラハウスにはなくてはならない作品です。大野さんが指揮し、エクサンプロヴァンス音楽祭で絶賛されたというケイテイ・ミッチェルの演出(こういうのは、大野さんでなければ実現できないでしょう)、歌手には大ベテランのロラン・ナウリ、注目のベルナール・リヒターなど。ああ、待ち遠しい。

 「ペレアス」の前に上演される、グルック「オルフェオとエウリディーチェ」も注目です。大野さんによれば、今回のラインナップはこの作品から始まったそう。グルックは18世紀の「オペラ改革者」、言葉と音楽の融合を試みた作曲家として知られますが、その影響は同時代よりむしろ19世紀に強く、ワーグナーも大いに影響を受けた。そしてそのワーグナーの克服から始まったのがドビュッシー。。。というように、ストーリーのあるラインナップなのでした。
 そしてこの演目、バロックに強く、マルチタレントとして注目の鈴木優人さんの指揮、ダンスの天才、勅使河原三郎さんの演出。グルックはバレエも重要ですし、才人二人のコラボから何が生まれるか、注目です。
 もう一つの新制作は、今年中止になり、延期された「ニュルンベルクのマイスタージンガー」。時期が変わったのにもかかわらず、当初予定のキャストが揃ったとのことで、大野さん、嬉しそうでした。新制作は以上4つです。

 再演は定番ものばかりで、残念ながらロシアものだ、日本人作品だ、と言ったものは見当たらないのですが、今回は、昨年の前半にコロナで中止に追い込まれたもの(「マイスタージンガー」など)の調整という面もあり、当初の計画がかなり混乱してしまっているということ。致し方のないことと思います。それでも、「キタキタ」というワクワクは120%味わえた気分です。

 再演6演目、「蝶々夫人」「さまよえるオランダ人」「愛の妙薬」「魔笛」「椿姫」「ばらの騎士」は、目玉のキャストという点では不足はありません。

 「蝶々夫人」は、実力派の国際的ソプラノ、中村恵理さんのタイトルロールに、注目のテノール、ガンチの顔合わせが目を引きますし、「オランダ人」はなんと、巨匠ジェームズ・コンロンのタクト。大野さんが口説いたようです。オランダ人役のシリンスも楽しみです。「愛の妙薬」は、ちょっと前の「ドン・ジョヴァンニ」で客席を熱狂させたベルカントテノール、フランシスコ・ガテルの再登場。イタリアの注目新鋭、フランチェスコ・ランツィロッタの指揮も嬉しい(彼のベルカントものは素晴らしいです)。ドゥルカマーラにこれもベテランのデ・カンディア。ほんと、いいです。
 「椿姫」は、世界のヴィオレッタ、アニタ・ハルティヒに注目でしょう。ウィーンをはじめ各地でヴィオレッタを歌っている名花です。「ばらの騎士」は、ウィーンでをこの作品を得意にしているウィーンっ子、サッシャ・ゲッツェルの指揮に加え、なんとドイツの大ソプラノ、アンネッテ・ダッシュが元帥夫人!大変楽しみです。
 「魔笛」はオール日本人キャスト。(以前も「魔笛」はこういうことがありました。日本人キャストでやりやすい作品でしょう)いいと思います。鈴木准、砂川涼子ら日本を代表する名手たちが登場します。
 日本人キャストについて、大野さん、このコロナ禍で日本人が多く新国立劇場の舞台に立つようになり、改めてその能力の高さに気づいたとか。日本人は「譜読み、ソルフェージュ能力がとても高い」のだそうです。そして「層が厚くなっている」。これからも、積極的な起用が期待できそうです。
 
 かつて(まだ新国立劇場ができる前に)日本のオペラシーンを牽引した海外のオペラハウスの引っ越し公演も、これからはなかなか難しい時代になりそう。新国立劇場が、日本のオペラ界を牽引してゆく存在であるべきなのは明らかです。そのような観点からも、大野さんのバランス感覚や人脈は貴重です。新国立劇場がリードし、可能な限り全方位に展開して、それ以外のカンパニーや劇場が独自の色を出していく。これからの日本のオペラ界は、そうなってゆくと思うし、そうなるべきだと考えています。






最終更新日  March 3, 2021 04:23:08 PM
February 19, 2021
カテゴリ:音楽
コロナ禍だからこそ、普段感じないことを感じる。そんな経験は少なくないですよね。
 コンサートでも、そんなことがいろいろあるのですが、先週の金土に聴いたコンサートは、「この時期だからこそ」を一際痛感したコンサートでした。
 「世界クラス」の実力とはこれだった、これを忘れていた、という思い。
 加えて、アーティストの方も、舞台になかなか立てないからこそ全力投球してくる、その熱い思い。それを受け止める喜び。
 世界クラスの音楽がふんだんに提供されていたコロナ前の日々がいかに贅沢だったか、思い出されることしきりでした。
 
 12日金曜日の夜は、大手町よみうりホールで、寺神戸亮&曽根麻矢子&レ・ボレアードによるバッハとヴィヴァルディのコンサート。バッハのチェンバロ協奏曲とヴィヴァルディの「四季」の組み合わせです。
 このコンサート、目に止まった時、これは聴きたいとまず思ったのは、曽根麻矢子さんのチェンバロ。昨年インタビューさせていただいた時に愛器のご紹介があり、音量が大きくて華やかでコンサートホールでも映える楽器だと伺って、生で聴きたいなあと思っていたのでした。
 それに、バッハのチェンバロ協奏曲って、生で聴く機会は意外と少ない。有名曲なんですけどね。「ピアノ協奏曲」としてオーケストラコンサートでやることもあるのですが、やっぱり違う、と思ってしまいます。「チェンバロ協奏曲ってバッハしかない」(寺神戸、曽根)。そうなんです。オーボエやヴァイオリンやらの協奏曲はたくさんあるのに。やっぱりチェンバロで聴きたい。
 予想通り、とても魅力的な演奏でした。ゴージャスでダイナミックなソロにも魅了されましたが(ニ短調=第一番協奏曲のカデンツァは圧巻)、何より「バロック時代の協奏曲」の醍醐味を味わえました。
 今回、プログラム冊子がなく、寺神戸さんや曽根さんのちょっとした解説を挟みながらの進行だったのですが、寺神戸さん曰く、「バロックの協奏曲というのは、今回のような小編成(今回は各パート一人)で、ソロとのやりとり、競い合いconcertareが醍醐味」。確かに。そこが古典派以降の協奏曲と違うところです。
 そういうのを、一流の演奏家で聴く機会って、日本ではあまりないように思います。フライブルクバロックオーケストラやベルリン古楽アカデミーなどがきたとき、またはBCJで「ブランデンブルク協奏曲」がいいところでしょうか。
 
 しかし当日の圧巻は後半の「四季」でした。寺神戸亮さんが世界クラスのヴァイオリニストだということを、改めて思い知りました。実は、日本ではあまり彼のソロを聴いていないのです。BCJのコンマスとか、北とぴあ音楽祭でのオペラの指揮とか(その中でソロを披露されることはありますが)ばかりで。この前に寺神戸さんのヴァイオリンソロを聴いたのはいつだったか?と記憶をたどっていたら、ずいぶん前のライプツィヒのバッハフェスティバルだったり。
 寺神戸さん、今回のコンサートのためだけに来日したそう。来日前後の3回のPCR検査、来日してからの14日間隔離を経ての本番、嬉しそうでした。集中力も違ったのではないでしょうか。そして、音楽の愉悦も。
 「四季」は、春夏秋冬、各曲の前に、おそらくヴィヴァルディによるソネットがついていることでも有名ですが、寺神戸さん、各曲の演奏前にソネットを朗読。それがハマりました。春の喜び。夏の炎暑の気だるさ。秋の酒宴(酔ったバッカスの足取りをまねた演技入り!)。冬の冷たさと透明感。それを自在に表現する。細やかに移り変わる音色と完璧な技巧。オケメンバーとの掛け合い。巧みなリード。全てが第一線。世界クラスとはこのことです。今、なかなか触れられない世界がここにある。心の扉が開いた思いで聴いていました。ライプツィヒのバッハフェスティバルではこんなのを毎日のように聴いていた。それも朝から晩まで。あれがいかにすごいことであったか、恵まれたことであったかと痛感した2時間余でした。
 入場制限をかけての開催で、当日券もわずかしか出ず、でも後方の方はほとんど空席。仕方ないとはいえ、やはり勿体なかった一夜でした。

 13日の土曜日に東京文化会館の小ホールで行われたテノールのフランチェスコ・メーリのリサイタルについては、多くの方がネットにあげていらっしゃるので、もう言い尽くされた感がありますが、同じく世界クラス、を痛感しました。そして、本国で舞台に立てない状況にあるメーリの喜びも。
 メーリ、先月の新国での「トスカ」の好演があり、本人も客席も盛り上がっていたことは確かです。今月に入ってから数カ所でリサイタルツアーを行い、これが今回の来日最後のコンサート。アンコールはなんと10曲!披露されました(次の準備があったために、全部聞けずに退席してしまったのは、返すがえすも残念無念でした)。彼のリサイタルは、これまで日本だと「東京プロムジカ」という主催者が何度も開催していて、その時ももちろんよかったのですが、やはり今回は熱の入り方が違いました。そしてメーリの成熟も感じました。
 メーリの美点は、なんといっても発声の美しさ。フォームの美しさ。イタリア語がすっと耳に届く。自然に、どこの声域も無理なくむらなく聴こえること。これは、ベルカントを十二分にこなして(ロッシーニのセリアなど難曲も)土台ができていることも大きいと思う(今のレパートリーからはちょっと意外に感じられる方もいるかもしれませんが、2008年のロッシーニ音楽祭来日公演の「マホメット2世」でパオロをやっていたのがメーリで、ヒロインを歌っていたのがマリーナ・レベカです。2人とも今や大スターになりました)。他のスター・テノールで、ここまでベルカントを歌い込んでから大舞台に出てきた人は少ない(グレゴリー・クンデなどはいますが)。それが端正さ、格調高さに繋がっている。さらに美しく滑らかなレガート。そして、以前より充実してきたのは響きと声量、自在なフレージングです。そしてちょっとした、あるいは故意にたっぷり取る「間」の効果的なこと!

 前半は歌曲、後半はオペラアリアという定番のプログラムでしたが、歌曲も絵画的で、1曲1曲が絵になっていました。そして、繰り返しですが、イタリア語が耳に残る、その心地よさ。
 アリアでは、「ルイザ・ミラー」の「穏やかな夜」に、やっぱりメーリのヴェルディはいい、と思いました。彼が、ムーティに鍛えられ、ムーティと一緒にヴェルディのスコアを読み込んだ(メーリからききました)テノールであることは記憶されるべきです。アンコールの最後は「椿姫」のアリアだったそうで、聴けなくてつくづく残念でした。

 個人的に「これ全曲聴きたい」と思ったのは、マスネ「マノン」のアリア「夢の歌」でした。彼のフランスものは聴いたことがないので、聴いてみたい。新国で「マノン」はまだやっていない(はず)ので、メーリでやってくれないかなあ。マノン役が誰か、が問題ですが。
 で、こんな妄想が次々と湧いてくるわけです。「マノン」はグリゴーロ&ダムラウをメトで聴いたなとか、メーリ、ザルツブルクで「アイーダ」だったけど新国の「アイーダ」に出てくれないかな、とか、ベチャワのフランス物も良かったな、とか、メトではフローレス&ディドナートの「湖上の美人」も良かったなとか。あれも良かったこれも良かったというのが、次々に溢れ出てきてしまう。コロナ禍で、鍵をかけていた扉が開いてしまった、そんな感覚。それもこれも、「世界基準」って、これこれ、これだった!という体験をさせてくれているメーリが目の前で歌っているからなのです。

 ピアノ伴奏は、予定されていた奏者が来日できず、浅野菜生子さんになりましたが、浅野さんとメーリはこれまでプロムジカのコンサートで何度も共演していますから、息はぴったり。かえってよかったかもしれません。






最終更新日  February 19, 2021 04:44:28 PM
February 12, 2021
カテゴリ:音楽
ここ1ヶ月ほどで、モーツアルトのオペラ「フィガロの結婚」を3回見ています。先月は藤原歌劇団、一昨日は、「モーツァルト・シンガーズ・ジャパン」によるハイライト上演(ピアノ伴奏)、そして昨日は新国立劇場「フィガロの結婚」。ちょっとした「フィガロ」ラッシュです。

 貴重であると同時に、いろいろ考えさせられる体験でした。

 3つのうちで最も際立っていたのは、「モーツァルト・シンガーズ・ジャパン」による上演。見終わって「オペラ万歳!」という気分になりましたから。そして、これからのオペラ上演のあり方の、大きな可能性を感じられたからです。

 「モーツァルト・シンガーズ・ジャパン」は、人気バリトン歌手宮本益光さんが率いるグループ。モーツアルトの名作オペラを、宮本さんがアレンジしたハイライト版で上演します。セミステージのような形式ですが、演技はふんだん。何より、内容を噛み砕いて、とにかくわかりやすく、楽しめるものにしているところが素晴らしい。
 このグループ、これまでもこのような形式でモーツァルトオペラを上演しているのですが、私が見たのは昨秋、「魔法の笛」というタイトルで上演した「魔笛」です。その時は指揮者のキハラ良尚さんの、五島文化賞受賞後の活躍の成果発表という面もあり、東響メンバーによるオーケストラが入ったのですが、今回はピアノ伴奏でした(山口佳代さん。でも十分で、不足はありません)。

 「魔法の笛」の感想ブログ
  「まほうのふえ」感想

 このグループの公演の何が素晴らしいって、第一に宮本さんの構成です。ナレーションで物語の軸を説明する(語り手は長谷川初範さん)っていうのがまず大成功。「フィガロの結婚」って、音楽はともかく物語は結構入り組んだオペラで、セリフだけではストーリーがちゃんと追いきれません。さらりとした会話だけでは、ゴタゴタした物語の伏線を説明しきれない。貴族階級の恋愛遊戯=ロココの世界だから、ややこしいのは仕方ないのですが、でもわかりにくい。物語が二転三転する第2幕フィナーレなんて、ほんとに訳がわからなくなってしまいます。
 今回のヴァージョンは、そういう部分を、ナレーションでうまく説明していました。この形式だと、物語がすっと頭に入る。音楽と舞台に集中できます。
 
 一番感心したのは、伯爵がケルビーノに出した軍隊行きの辞令に「ハンコがなかった」ことを、第2幕のケルビーノのアリエッタ「恋とはどんなものかしら」の場面で、ナレーターが説明したことです。この「ハンコのない辞令」、アリエッタのあとでちらっと触れられるだけなのに、幕のフィナーレで物語の鍵になります。よほど注意していないとききのがしてしまう。それを、事前に然るべき場所で説明しておくのは正解だ、と思いました。
 それから、これもとても重要なポイントですが、伯爵を偽の恋文で誘き出してとっちめるという物語の大筋の部分、最初は小姓のケルビーノをスザンナに変装させようとして、見つかって失敗し、伯爵夫人が変装する展開になるのですが、夫人が変装するという話も、第3幕の最初の伯爵夫人とスザンナのさりげない会話で仄めかされるだけなので、最初はなかなか気付きません。見ているうちにわかるのですが。。。が、その部分も、ナレーションであらかじめ説明することで、いつの間に変装する人間がケルビーノから伯爵夫人に変わったのか?と思い悩まずにすみます。
 また、スザンナが伯爵に宛てた偽の恋文をめぐる「ピン」の逸話もわかりにくい。第3幕のフィナーレで、スザンナが伯爵に逢引きの場所を伝える手紙を渡した際、ピンで留めるのですが、そのピンを、伯爵が返事の代わりにスザンナに渡さなければならない設定だと、ナレーションで説明してくれたのもありがたかった。ピンを渡すこと=返事だとは、不覚にしてわかっていませんでした。。。続く第4幕の冒頭で、バルバリーナが伯爵から預かったピンを無くしたとアリアを歌うのですが、その伏線をこれだけ説明しておいてもらえると、バルバリーナの切羽詰まった曲調も理解できます。
 とにかく、そういう工夫がいっぱいあるのです。
 
 「フィガロの結婚」って、実は初心者には勧めにくい作品だと感じることがよくあります。予習会などしてビデオを見ていると、安らかにお休みになるケースが多かったり。。。それは音楽が美しいのに加えて、話がわからなくなってしまうというのもあると思うのです。こういう上演なら、断然おすすめできます。
 それは別としても、このような上演形態は、これから必要とされていくと思うのです。オペラは、何しろ長い。「フィガロ」だって休憩を入れれば下手すれば4時間です。このヴァージョンですと、正味2時間くらい。それで、音楽のエッセンスは十分味わえる。
 音楽は、アリアは1人1曲くらいに抑えて、アンサンブルを重視。第2幕の長大なフィナーレも全部やりました。第4幕のフィナーレも。この頃「フィガロ」の講座をやるとき、長さに身構えて第2幕フィナーレなどはほとんどやらないのですが、うーん、やっぱりあったほうがいいかな、そんなことも考えながら見ていました。
 演出もとても気が利いていました。ダンサーを入れてその場の状況を暗示するのは「魔法の笛」でもやっていて、成功していると思いましたが、今回もその手法を踏襲。男女2人のダンサーが、歌手たちと絡みながらその場を盛り上げます。舞台の大道具は数本の棒で、部屋の輪郭などを暗示するのに活用されていました(ちょっと、ピーター・ブルックの演出した「ドン・ジョヴァンニ」を思い出しました)。
 そして歌手のみなさん、バンバン演技をします。ダンスもします。所狭しと駆け回る。突っ立って歌うオペラはますます過去の遺物になりそうです。
 貫禄の宮本伯爵、可憐機敏な鵜木絵里スザンナ、美声に加えてユーモラスな演技も抜群の加耒徹フィガロ、堂々とした美声に伸びやかな演技のケルビーノ中島郁子(このところ絶好調!)、これまた貫禄の澤畑恵美伯爵夫人などなど、歌手も粒揃いでした。

 一方、今月幕を開けた新国立劇場のプロダクションは、2003年以来上演され続けているホモキ演出の7回目の再演。革命前の、それまでの規律が崩壊していく時代の空気を幾何学的に表現した舞台〜空間が崩壊していく〜の魅力は健在。人間がそれまで頼ってきた指針を失ってよるべなくなる危機の時代を、鮮やかに視覚化しています。今回はディスタンスを意識して、合唱団の配置を大幅に変えたり、演技も所々変えていて、苦労が偲ばれました。
 フィガロ役は1月の「トスカ」でスカルピアを歌ったダリオ・ソラーリで、スカルピアを聴いた時にフィガロの方が向いているかも?と思ったのですが、果たしてその通りでした。リリカルでしなやかな声、ユーモラスな演技、イケメンで背も高くて舞台映えがします。伯爵役ヴィート・プリアンテも色好みの伯爵を好演。こちらもイケメンで、バブリーな雑誌「レオン」(古いですね)に出てくるイタリア男みたいでした(ナポリ生まれ!)。
 期待のケルビーノ、脇園彩は演技も声もスケールが一段上。ちょっとした眼差しの雄弁さがたまりません(レパートリーではないんでしょうが、「ばらの騎士」のオクタヴィアンが見たくなります)。バルトロ役妻屋秀和の人間味溢れる声と表現力もさすが。妻屋さんはユーモラスな役の方が演技力が生きる気がします。スザンナ役臼木あいの、軽やかで澄んだ鈴を転がすような声もコケティッシュでした。
 沼尻マエストロ指揮の東響が紡ぐ音楽は流麗でロマンティック。あのクルレンツィスとは対極にあります。これはこれで「あり」。モーツァルトの懐の深さですね。

 とはいえ、全体的に、今ひとつ緩いな、と思ったことは確かです。新型コロナの影響でキャストやオーケストラが変わったり、リハーサルの時間が制限されたこともあるのでしょう。

 先月の9日には、藤原歌劇団の「フィガロの結婚」をテアトロジーリオショウワで観劇しました。マルコ・ガンディーニのプロダクションの再演。いわゆる伝統的演出で、セピア色を基調にした柔らかな色合い、適度な大きさの舞台を有効に使ったシンプルな大道具、ベッドのヘッドボードや雰囲気のあるデスクといった小道具、ディスタンスも多少意識した躍動感ある演技などが印象的。キャストの中では、スザンナ役中井奈穂のフレッシュでチャーミングな声と演技に惹かれました。
 あと、フェイスシールドをつけての公演でしたが(藤原は昨夏の「カルメン」からそうですね)、これ、歌い手によってかなり差が出るような気がしてちょっと気の毒なのと、フェイスシールド自体の効果はあまりないという実験結果が出ているようなので、再考してもいいのではないでしょうか。
 そしてこの時、上演時間の「長さ」を痛感しました。緊急事態宣言が出たばかだったので、換気を意識したためもあるのでしょうが、休憩が2回入ったため、合計4時間。
 今はともかく、アフターコロナの時代がきたときに、平日の午後に4時間をそれに費やせる人たちを対象にした出し物がやっていけるのか。。。。

 その点でも、「モーツァルト・シンガーズ・ジャパン」の公演のあり方に大いに可能性を感じた、今回の「フィガロ」ラッシュでした。






最終更新日  February 12, 2021 11:31:02 AM

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