新国立劇場の合唱指揮者、三澤洋史さん。
2001年に就任以来、新国合唱団のレベルはぐんと上がった、と評判である。
だんなが属している「六本木男声合唱団」の指揮者もしていただいている(最初知ったときは、なんと贅沢な!と思ったものです)。
三澤先生の評判は、別の方面からも聞いていた。
というのも、企画同行しているバッハツアー、「バッハへの旅」の参加者には、合唱団関係者が多く、三澤先生の指揮で歌ったというひとも何人もいて、「指導がわかりやすくて、テキストの意味も分かるように解釈してくれるので、とても歌いやすい」ときいていたのだ。
合唱団のパーティでも何度かご挨拶させていただいたが、とても感じのいい方で、「一度カルチャーの講座にお招きしたいな」と考えているうちに、先を越されてしまった。
私のほうが、(僭越なことに)先生のレクチャーにお招きいただいてしまったのだ。
三澤先生は、「東京バロック・スコラーズ」というバッハを歌う合唱団を主宰しているのだが(旗揚げ公演の「ロ短調」は相当にレベルの高い公演だった)、そこのコンサート前のプレ・レクチャーに出させていただくことになったのである。
で、今日、それに向けて初めての打ち合わせをしたのだが。
なんだか打ち合わせどころか、話が飛びに飛んで雑談大会になってしまった。
とにかく三澤先生は引き出しがたくさんあるので、あれについてもこれについても、へえ、と思うご意見が出てくるのである。
たとえばバッハなら、「ヨハネ」と「マタイ」の違いについて、「マタイ」は「ヨハネ」をふまえて(「マタイ」は「ヨハネ」の3年後に初演されている)、今度は違うものを作ろうというバッハの意図が反映されたため、あのような抒情的な作品になった、という話。
また2作品の意図が異なるのは、最終曲に明らかで、「ヨハネ」はコラールで終わり、受難の先に何かがあることを暗示しているが、「マタイ」は受難をそれぞれが受け止められるように、合唱で終えているのではないか、という。なるほどねえ。
先生のもうひとつの専門であるオペラについては、「声」の話が面白かった。
とくに、歌手と肉体との関係。
スポーツ選手と同じで、歌手の肉体的なピークは30くらいからはゆるやかに下がる一方、とくに更年期(!)以後はがくっと落ちる。それをとめるには、衰える前にちゃんとテクニックをつけておくしかないのだそうだ。
もうひとつ、無理をするぎりぎりのところで声をコントロールできる技術が大切、それを越えて歌い続けると寿命が短くなる、という話も興味深かった。
(ちなみに無理をした・・・無理できたから、というのもあるが・・・のがマリア・カラス、無理のない範囲でやっていたのがテバルディ、なのだそうだ)
ご自身も声楽科の出身なので、そのあたりについてはとても敏感なのだろう。
三澤先生の指揮が「歌いやすい」というひとが多いのもうなずける。
ちなみに先生はバイロイトの合唱にもかかわっていた時期があり、ワーグナーはもちろん大好きなのだが、
「ワーグナーの話をするときは歌手じゃなくて作品とか演出の話になるんだけど、ヴェルディの話をするときは歌手の話になるんだよねえ」
とおっしゃっていたのも、なるほどねえ、という感じでした。2人の本質が端的に出ているなあ、と思ったので。
先生とご一緒させていただくのは「バッハ」についてのレクチャーなのだが(4月12日)、これは脱線を大いに警戒しなくては・・・。
三澤先生は文章もとてもうまい。本質的なところをずばっと伝え、この作品にはこんな面があったのだ、と教えながら楽しませてくれる文章は、新国の公演ちらしでもおなじみである。
たとえば3月公演の「アイーダ」、紹介文の最後はこんな感じ。
「ヴェルディ好きにとっては「アイーダ」こそがもっとも円熟し完成された最後のヴェルディらしいヴェルディなのだから」
はい、その通りです。
三澤先生のHP Cafe MDR は
http://mdr-project.hp.infoseek.co.jp/
先生の主催するバッハの合唱団、「東京バロック・スコラーズ」のHPは
http://misawa-de-bach.com/