カテゴリ:音楽
昨日は、キリストの受難を記念する聖金曜日。
まさにこの日の礼拝のために、バッハが作曲した「マタイ」(「ヨハネ」もですが)を聴くのは、うれしいものです。 定番はバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)。昨年はメンデルスゾーンの記念年だったので、メンデルゾーンの「マタイ」蘇演稿でした。 今年は普通に、といいますか今日一般的な1736年稿をベースにしたものでしたが、最後に、ライプツィヒで当時受難曲の後に上演されていたという、ヤコブス・ガルスのモテットが演奏されました(これがまたすばらしかったのですが)。 BCJの「マタイ」はもちろん何度も聴いていますが、今回は、雅明先生の解釈が変わった、と思われるほど新鮮なものでした。たとえはよくないのですが、オペラなみに大胆(受難曲はオペラとは明確に違うので)、な演奏だったのです。 何より、メリハリのはっきりした演奏でした。 まずデュナーミクのつけかたがはっきりしていたこと。同じコラールでも、第1節と第2節の違いをはっきり出したりしていること。 そして全体的に、以前より音が前に出てくるようになっていたことに驚かされました。 合唱も、ノン・ヴィヴラートに自信がついたのか、澄んだ響きがひとつになって(ひとりの声でうたっているように)、届いてきたのです。 BCJというと、よくそろってすっきりしているけれど、時としてまとまりがよすぎるというか、お行儀がよすぎる感じがあったのですが、その印象がだいぶ変わりました。 器楽もとても表情豊かで、アリアの伴奏もそれぞれ聴かせました。 間の取り方も絶妙で、きっぱりしていて、音のない個所にも音楽があふれていました。 雅明先生によるプログラムの巻頭言に、「マタイ」における通奏低音の、「控えめな」しかし細やかな変化、それにともなう表現力、のこと、そして「マタイ」に描かれた「人間イエス」の死、について書かれていましたが、雅明先生、それも含めて「マタイ」をじっくり、改めて研究なさったのではないか、と思われてしまいました。 しかし「マタイ」が涙を誘う音楽である、ということは改めて感じられ、会場からも2,3、すすりなきが漏れてきたときがありました(「憐れみたまえ」など)。私もじんとなりましたが、いつも思うことですが、その涙はオペラで流れる涙とは全く異質な涙です。あちら側へ向いた視線が誘う涙。通常の涙とはわいてくる場所が違うのです。 「ロ短調」か「マタイ」か、ときかれれば「ロ短調」と答えますが、これもよく言われることですが、ともに美しさが打ち続く曲ですが、「ロ短調」で次々繰り出されるのは合唱、「マタイ」はアリア。「マタイ」のアリアの魅力は、一つ一つ異なる伴奏の魅力にもありますが。 ソリストではエヴァンゲリストのクリストフ・ゲンツと、第1ソプラノのレイチェル・ニコルズが出色。しかしエヴァンゲリストというパートは、(別の意味ですが)ヘルデンテノールなみに大変な役です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
April 3, 2010 12:56:20 PM
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