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伊豆高原にある断食&食養生の施設、「やすらぎの里」については、たびたびこのブログでも書いてきました。年に一度、だいたい春先にうかがって、1週間、断食か食養生のコースでリラックス&デトックスしています。食事療法のほかにも毎日マッサージや鍼などの治療が受けられて、ヨガや自力整体、呼吸法など健康プログラムなども組みこまれ(すべて料金に入っています)、1週間いるとほんとうにすっきり。コストパフォーマンスもとてもよく、大人気の施設で、予約はいつも数ヶ月前。その時期は他の予定をなるべく入れず、心身のリセットを最優先するようにしています。 今回も、断食の途中で軽い頭痛や腰痛に悩まされましたが(断食反応、というやつかもしれません)、1週間経過した今はほぼすっきり。来た頃はカチンカチンだった(鉄板でも入っているみたいでした)背中もだいぶ楽になって(「肩甲骨が動くようになりましたよ」とマッサージの先生に言われました)、身体を覆っていたうすいセロハンがはがれた気分です。いつも感じることですが、肌がワントーン白くなり、目が澄んだ感じになるのも嬉しい。 「やすらぎの里」のサイトはこちら。 主宰の大沢先生とは、先生が小淵沢で、前身の施設「フォルス」を運営していたときからのご縁なので、もう足かけ16年。最初に「フォルス」にお邪魔したのは2000年で、初めて音楽ツアーの仕事(「バッハへの旅」)をはじめ、1年に6回でて、他にも大きな仕事がかさなって疲労困憊していたときでした。ほとんど駆け込み寺状態。最初はつらかったですが、とにかく体調がよくなるのではまり、1年間で3回もお世話になってしまいました。その後しばらくブランクもありましたが、この6、7年くらいでしょうか、年に一度お世話になるようになって、今にいたっています。 断食の施設は他にもたくさんあるようですが、私はもっぱらここ専門。前に書いたように内容がすごくいいし、来るたびにいろんなところが進歩していて発見があるからです。 その原動力は、大沢先生の人間力でしょう。まじめで勉強熱心で、いいと思ったらすぐ取り入れる。いつも明るく自然体で、笑顔を絶やさず、話も面白くユーモアも忘れません。 コースの途中で、食生活に関するレクチャーもあったりするのですが、これも毎回進歩していると感じます。一時は糖質制限に重点が置かれていましたが、今はそれもほどほど、健康なひとなら夕食にご飯を控えるくらいで十分、という結論に。「ほどほど」というのは全般的に言えるようで、食事も、基本的には何でも食べていい(白砂糖の食べ過ぎとかはもちろんよくないですが)。野菜をたっぷり、植物性タンパクはもちろん魚も卵もしっかり、お肉も炭水化物もほどほどに食べましょう、という感じでしょうか。気をつけるとすれば、なるべく全体を食べられるもの、旬のもの、などを優先するとか、そんな感じ。そしてあまり手を加えずにシンプルに食べる。これくらいなら、続けられますよね。 私にとってとてもありがたいのは、到着日と出発日の前日に大沢先生の問診があり、体調をチェックしてもらえて(ケイラクをチェックする機械で内臓が疲れているかどうかをチェックしてくれます。最後にはたいてい状態がよくなっている)、 ふだんの生活や自分でできる対処法、運動などについてのアドバイスをもらえることです。今回は、骨盤調整体操を教えてもらいました。ずっと気になっていたので。。。これで、自分でも改善にトライできそうです。 大沢先生のゲストへのきめ細かい対応、勉強熱心さ、向上心は、自分の仕事でもいつも見習いたいと思っていることです。きめ細かくあること、いつも何かしら進歩していることは、ツアーの仕事はもちろん、文章やレクチャーにも取り入れられると改めて思いました。 加えて、今回の新しい発見は、 伊豆って、いいところだなあ。 ということです。 伊豆高原は桜の名所で、昨年はちょうど桜を楽しめましたが、今年は過ぎたばかり。しかも前半はお天気が荒れ模様で、室内に籠り放しでした。それが、後半になってお天気が回復し、外に出てみたら、新緑と花!の洪水!やわらかでまぶしいばかりの緑は日々色を変え、ソメイヨシノは過ぎても八重桜やそのほかの桜、そして各色のつつじが花盛りになっていて、それはそれは素晴らしい眺めでした。施設は浮山と呼ばれる別荘地内にあるのですが、花が咲き乱れ、緑がまぶしく、ところどころ海がのぞめる別荘地を散歩しているだけでほんとうに気持ちがよく、幸福な気分でした。個人的は冬より夏が苦手なので、前身の「フォルス」があった小淵沢の高原の感じもとても好きだったのですが、なるほど伊豆は一年中楽しめるいいところだなあと、改めて確認した次第です。 実は「やすらぎの里」の近辺にはDHCが展開する一大リゾートもあり、温水プールやら日帰り温泉やらスパやらが楽しめます。また、施設の真ん前には「坐魚荘」という高級旅館があるのですが、これが昨年持ち主がかわったとかで、今年来てみたら敷地が倍くらいになって、「やすらぎの里」を取り囲むようにヴィラ風の施設ができていました。なので、なんだかリゾートにいる気分。「坐魚荘」の新しいオーナーは、日本中の旅館に泊まり歩いてここが一番気に入ったそうですが、やっぱりこの土地、リゾートに向いているのかもしれません。 さて、今回のささやかなクライマックスは、最後の宿泊日である金曜日の夕方に訪れました。 リゾート気分も楽しみ、身体もほぐれてきて、太陽も快く風もさわやかな別荘地のなかを、花や緑にかこまれてぶらぶらと歩き、ひといきついて、道ばたの杭のようなものに腰をかけて空と緑を見上げていた時、 なんだかとてもすんなりと、肯定的な気持ちに包まれたのです。これでいいんだなあ、というような。 そして、なんだかんだいっても、今がいちばんいいなあ、という想い。 今がいちばんいい。 そう思うようになったのは、20数年前です。なぜそう思ったか、きっかけは忘れてしまいましたが、かなりしんどい時期ではありました。それでも、「やっぱり今がいちばんいい」とその時思ったのです。 それは、ずっと続いています。 もちろん、歳は重ねている訳ですから、とくに身体の面では前のようではない部分もあれこれ出てきています。けれど、それはそれ。人間生きている以上は死に向かう。身体が下り坂になるのは自然なこと。その坂をゆるやかに、花や緑を眺めながら下って行く方法を工夫すればいいわけで。若さがあったから20代に戻りたいとは、別に思わないのです(そういうと、「寂しい学生時代だったんですね」と言われることがあり、それは当たっているかもしれません。苦笑)。 でも、やっぱり、今がいちばんいい。 自分にたずねると、だいたいそう言う答えが返ってきます。なぜかはよくわかりません。けれど前より自由だし。好きなことができているし。それに関してはただただ感謝なのですけれど。 そういうことは、ふだんも頭のどこかにはあります。けれどふだんはいろいろなものに覆われて、そんなにくっきりと浮かび上がってこないのです。今回、自然のなかで身体と心がある程度リラックスしたので、ふっと浮かんできたんだと思います。 今がいちばん。命の終わるその日まで、そういう想いでいたい。改めて、そう思いました。 それと、こういうことを書いていいかどうかよくわからないのですが、 「死ぬ」ということは、個人的には、実はあまりこわくありません。 もちろん、それまでの経過が苦しかったり痛かったりするのは嫌ですが、肉体としての命がなくなることは、それほど怖くはないのです。(魂は別かもしれないと思っているせいもあるのでしょうが)。 やりたいことも、行きたいところも、本にしたいテーマも、あってみたいひともいろいろありますが、それは別にして、たとえば明日死んでも、たぶん後悔することはないんじゃないか、と思います。 それは今までの人生が恵まれて、幸せだった証だと思うし、そのことについては家族やいろんなひとたちにただただ感謝、なのですけれど。 花や緑のなかで思ったそんなことを、大沢先生に話してみたら、 「それはマインドフルネスという状態ですね」 と言われました。リラックスして、満たされている状態。自然や動物に近い状態なんだそうです。 そういえば、大沢先生に、「自分の身体とかなりうまくつきあえていると思いますよ」と言われたことも、とても嬉しかったのでした。 体質からいえばそう丈夫なほうではないし、疲れやすいのですが、その割には元気だと思えるのは、それなりに工夫しているからだと思いますが、それを肯定してもらえたような気分で嬉しかったのです。そのエールに背中を押されての「マインドフルネス」だったかもしれません。 心身を解きほぐすことは、思いがけない発見の旅への入り口でもある。 そう感じることができた、今回の「やすらぎの里」の滞在でした。
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最終更新日
April 27, 2015 07:39:56 PM
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