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加藤浩子の La bella vita(美しき人生)

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February 11, 2019
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 クルレンツィス&コパチンスカヤ&ムジカエテルナ、初来日公演の初日に行きました。
 すごかった。前半のチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。究極の弱音と強音(とくに沈黙のぎりぎり手前で聞こえてくる弱音のすごさ)、あきらかなビート感。自然の秩序に近づこうとするような音響世界。なにより向かい合って踊っているように演奏するクルレンツィスとコパチンスカヤのコミニュケーションがすごくて、さらに彼らの音楽に空気を流れる電流のように瞬時にでも自然に反応する、オーケストラとのコミュニケーションがすごくて、その先に見えたのは「彼らは音楽を介して全人類とコミュニケーションしているのだ」ということでした。オケは名手ぞろいですが、コパチンスカヤの、ピリオド奏法とちょっと似た独特な奏法はやはりきわだつ。アンコール3曲では、クラリネットとデュオして(ミヨー)、コンサートマスターとデュオして(リゲティ)、自分の「声」とデュオして(ホルヘ・サンチェス・チョン)いたコパチンスカヤ。なんという破格。なんというチャーム。

 終演後のアフターパーティで、クル様の言葉で「人間同士のコミュニケーションはとても難しい。言葉でコミュニケーションするなんて無理。音楽はそれを可能にする」と出てきたので、演奏とつながってすごく納得しました。

 後半「悲愴」。協奏曲では(たぶんコパチンスカヤとのバランスで?)座っていたオーケストラは、彼らの売り物でもある立奏。クルレンツィスとのコミュニケーションはよりストレートになり、彼の手足と化してひとつの生き物になる。下から風が吹き上げてくる崖っぷちを歩いているみたいなよるべなさにさらされる聴き手。音楽の前に自分が丸裸になる感覚。チャイコフスキーの孤独。全人類の孤独。クルレンツィスが、音楽は自分の「ミッション」だと言っていることがよくわかりました。「全身全霊」の捧げ方が違う。次元が違う。
 パーティで、「この曲を連日演奏してくれと頼まれることがあるけれど、とても無理。毎日生きたり死んだりしていられない」と言っていたのも納得でした。

 総じて、昨夏ザルツブルクで聴いたベートーヴェンより今日の方が数段よかった。チャイコフスキーは彼にとって、モーツァルト、マーラーとならぶ3人の神様の一人だそうですが、ベートーヴェンは(少なくとも今のところ)違うんだろうな。
 
 「音楽がないと生きていけない」。今日のコンサートを聴いてそう思った。
 こういう感覚って、はるか昔にベームとウィーンフィルを聴いて、アンコールの「マイスタージンガー」前奏曲で、「この世に生まれてきてよかった」と思って以来かも。

 こういうのを聴いてしまうと、「つまらない演奏は聴けない。時間の無駄」と思ってしまうのが辛いところです。
 
 考えてみれば、最近あちこちで、「モーツアルト(のオペラ)とフランス革命」というテーマで話したり書いたりしているのですが、そのテーマに気づいたきっかけは、クルレンツィスの「フィガロ」のCD(最初に出会った彼の音楽)を聴いて、これは「革命」の時代の音楽だ、と思ったこと。それ以来、そういう見方を意識するようになった。作品に対する接し方が変わった。だから彼の演奏には、すごく「恩」を感じているのです。

 聴衆の集中度も最高で、「悲愴」が終わった後、指揮者が落ち着くまでずっと拍手を控えていたのも最高でした。
 男性率高し。年齢層通常のクラシックコンサートよりちょっと低め。






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最終更新日  February 11, 2019 08:56:56 AM


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