カテゴリ:音楽
ウィズコロナ、アフターコロナの時代のクラシック音楽のあり方を考える「日本音楽マネジメント学会」のシンポジウムが昨日終わりました。
最初に3つの分科会があり、オーケストラ、アーティスト(と教育)、劇場とホール、それぞれの現状が報告され、最後に文化庁の担当者も参加しての総決算的なシンポジウムが昨日午後にありました。時間の関係で全部は見られず、最初から最後まで見られたのはオーケストラ分科会くらいで、シンポジウムも質疑などは見られなかったのですが、過去現在未来を含めた「クラシック音楽界」の立ち位置を知り、また考え直す機会になり、とても勉強になりました。 強く思ったのは、日本のクラシック音楽界の特殊性というか、あり方の独特さです。 ヨーロッパでは、クラシック音楽やオペラは相当に「公共性」が高いものです。オペラハウスにしてもオーケストラにしても、国立、州立、市立、のものが多い。または、放送局がバックにいる。ベルリンフィルのように自主運営のオーケストラもありますが、全体から見れば少数派ではないでしょうか。 国や州や市が面倒を見ているオペラやオーケストラというのは、以前は宮廷楽団だったり宮廷歌劇場だったりしたもの。あるいは、「市」として文化活動が必要だから、ということで市が作ったりしてきたわけです。音楽が、公共財として定着している(もちろん国によって違いますが。ドイツはやはりその最たるものでしょう)。 昔からヨーロッパでは、「音楽」は権力者の道具として重要でした。教会しかり宮廷しかり。権威のために必要とされてきた面もある。それがブルジョワのものになって広がりを見せた時に、宮廷に代わって市や国がバックについたのです。 対して日本では、国立のオーケストラ、などというものはありません。首都圏でいえば、放送局や都などがバックにいるのが3つで、他は皆自主運営です。 オペラだって、新国立劇場ができたのが20年ちょっと前で、そのはるか前から、オペラ団体や、(これはかなり日本独特ですが)海外の引越し公演というものがあった。 歴史がないのに、自主的にオーケストラができ、オペラ団体ができた。つまり日本の場合、それだけファン、愛好家が多かったということだと思うんですね。 それはかなり特殊なことだと思うし、日本のファンの熱心さの現れだし、海外のアーティストが日本の聴衆は「本当に音楽が好き」だと言って感激する要因になっているわけですが、やはり、社会にあって上澄み的なところは免れない。根っこがない。それが今回、モロに出ているのではないかと痛感しました。 例えばドイツにしても、地方の町など、「我が町のオーケストラ」「我が街の劇場」がまず第一、というところがある。別にベルリンフィルが街に来ても来なくても関係ないし、そういうことに関心がない。地元に「定着している」ってそういうことなんじゃないかと思います。 日本でも、地域に根付いているな、と感じるケースはあります。例えば兵庫県立芸術文化センターなどは、そうです。主催公演も盛んだし、地域密着型で、お客さんもよく入る。この劇場は、今回も詳細な飛沫実験を行って他に先駆けて合唱の入るコンサートを行っていました。もちろん現状は大変厳しいのですが。 昨日のシンポジウムでは、まずこれまでの3つの分科会の総括報告がありました。続いて文化庁の担当の方から、現在どんな助成金があるのかについて詳しく説明がありました。内容が細かくて、助成金によってはあまり知られていないのでしょうか、まだまだ予算が余っているようです。助成金の一覧表と申請方法が出回るといいと思います。 とても良かったのは、文化庁の方が、これまでの議論の総括を聞かれて、「これを今後の政策に生かしていきたい」と言われたことでした。これだけでも、シンポジウムの意義があったというものです。 その後、改めて、アーティスト分野の代表としてアマティの入山社長、劇場ホールの代表として東京芸術劇場の鈴木さん、オーケストラの代表として日本フィルの理事の平井さんから、現状報告がありました。 「劇場」の現状からいくと、芸劇の鈴木さんからは、公演がなくなったこともだが、再開したらしたで大変、という話がありました。緊急事態宣言から再開までの時間が短く、準備が追いつかず、また政府からのガイドラインがなくて現場で作るので混乱した。 財政的には、中止公演の損害(返金作業も含め)、貸し館事業の激減。また今後についても、来年の予定が立たないので事業計画が作れない、という報告がありました。これはオーケストラなども同じです。 一方で、映像配信の可能性、そして今回の危機をきっかけに、バラバラだったクラシック業界で「横の繋がりができた」ことはプラスだった、という話もありました。これも、皆さんおっしゃっていたことです。 日本フィルの平井理事長からは、「存亡の危機」だという、大変インパクトの強い話がありました。「オーケストラは大変」というのは誰しも思うことですが、具体的な話が聞けたのはとても参考になりました。 まずもちろん、公演の激減。年間150回がおそらく4、50回になる。その中にはファミリーコンサートや、東日本大震災の被災地コンサートのような社会性、地域性の強いものも含まれる。そして再開した公演での縛りの厳しさ。外国人アーティストが来られないので指揮者、演目の偏り。演奏料収入は、9億5000万がおそらく2億くらいになるだろうとのこと。コンサートがなければ協賛金もない。団員の給与カットも始まっているが、このままでは正味資産が300万を切り、解散に追い込まれる可能性もあるとのこと。 そして同時に平井理事長が憂慮していたのは、「芸術性の後退」でした。 日本のオーケストラは諸外国と比べても相当にレベルが高いが、演奏活動ができないことで、どんどん質が下がるのではないか、ということです。それは納得できます。そして公演がなくなることで、社会との接点も失われる。「音楽団体としての社会性が毀損される」「文化芸術団体の財産が毀損される」。 この「毀損される」という危機感が極めて真摯に伝わってきたのは、私にとってとても衝撃でした。 アマティの入山さんは、今回の事態で、クラシック音楽界のまとめ役としての役割をになっているお一人です。業界を横断する審議会を立ち上げ、各所に働きかけていらっしゃるようです。普段はアーティストのマネジメントや招聘を手掛けています。 入山さんが提起されたのは、より総合的なこと、「この経験を、将来今を振り返った時に活かすにはどうしたらいいのか」それには「クラシック音楽の社会性と向き合わざるを得ない」ということでした。アーティストは、社会に対して何ができるのか、ということです。 入山さんは、アーティストの側からそれを教えられた例として、ある有名アーティストが、10代の頃、「好きな曲とか有名な曲だから、というのではなく、社会にどういう影響を与えられるかという視点からプログラムを選んでいる」と言ったことをあげていました。 結局、それがクリアにならないと、クラシック音楽が社会に根を下ろすのは難しいかもしれない。もちろん、その周辺で仕事をさせていただいている自分自身も、この問題に向き合っていかなければなりません。 入山さんの話で、そして別の分科会でオーケストラ関係者も、あるいはある有名ジャーナリストも言っていたことなのですが、 「クラシック音楽なんて、好きでやっているだけじゃないか」 という世間の目がある、ということです。そんなことに税金を使うのか、という批判にさらされている。実際、電話がかかってきたりするそうです。これは別の興行社からも聞きました。 最初に書いたことと同じですが、確かにそういう面は否定できません。だから、足腰が弱い。けれど一方で、これだけ音楽好き、それも熱烈な音楽好きがそれなりの数育っていたからこそ、ここまで来られたのだと思います。こういう、音楽への情熱って、音楽が公共財になっている国では逆にそれほどでもないかもしれない。日本はそれがあるからこそ、こうやって関係者が集まり知恵を出し合っている。そこに希望を感じています。 残念ながら、最後の質疑は時間の関係で聞けなかったのですが(17時から始まるコンサートの開演前ギリギリまでスマホで聞いてました)、アーカイヴができたら是非試聴したいと思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
August 10, 2020 09:18:37 AM
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