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加藤浩子の La bella vita(美しき人生)

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音楽

October 20, 2020
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カテゴリ:音楽
前回のブログでは、「能」と「オペラ」のコラボレーションについて書きましたが、今回は「ダンス」と「オペラ」の幸福な合体を成し遂げたプロダクションについて書きたいと思います。
先週の週末に神奈川県民ホールで上演された「トゥーランドット」。「H・アール・カオス」主宰の演出・振付家で、才気あふれる大島早紀子さんの演出ということで、注目が集まっていた舞台でした。
 
 ご存知の方も多いように、コロナ禍で中止に追い込まれた音楽イベントの中で、オペラや声楽は「飛沫」問題があるため、復活に時間がかかりました。オーケストラの再開は6月からでしたが、オペラは8月の藤原歌劇団「カルメン」が本格的な復活第一歩。徹底してディスタンスに気を配った配置に加え、オケは舞台上、歌手はフェイスシールドと、コロナ時代のセミステージオペラのような上演でした。でも演出家はじめスタッフの方々は、とても苦労されたようでした。
 今月、新国立劇場のオープニング&再開公演として上演された「夏の夜の夢」も、セットや衣装こそ予定通りでしたが、ディスタンスには相当気を配っての上演でした。
 けれど今回の「トゥーランドット」は、ほぼコロナの影響を感じさせない舞台づくり。セットも衣装もそのままだし、主役たちの接吻シーンもある。本格的なグランド・オペラの復活を実感しました。もちろん、キャスト、スタッフ全員の徹底したPCR検査など、ご苦労はとてもあったと思いますが。

 さて、ダンス畑の方が演出をする「トゥーランドット」は、以前にも見たことがあります。けれど残念ながら、目障りな動きが多かった。音楽を邪魔する場面があったのです。
それに引き換え、今回の大島演出では、そのような場面が一切ありませんでした。音楽への理解がなみならないことが感じられました。聴かせどころのアリアでは、ダンスを引っ込め、歌手に任せる。音楽、作品への愛と理解があります。
 そして、大島演出でなければ体験できない、ダンスと音楽の一体化。ダンスが作品を掘り下げ、作品の魅力と大島ワールドが合体し、化学反応を起こして、魅力的な「大島トゥーランドット」を創造していました。大島さんの演出(振り付け)は、ラベルの「ボレロ 」に圧倒されたのが強烈な思い出ですが、今回の「トゥーランドット」は、作品の規模の大きさもあるし、大島さんの代表作になるのではないでしょうか。暗くダイナミックな第一幕から、明るく幸福感あふれるクライマックスへ。作品のメッセージをポジティブに捉え、闇から光へというコンセプトがはっきり打ち出されました。そして同時に、「トゥーランドット」という作品の優れた所と、弱い所〜例えば最終幕のアルファーノの補筆部分〜がはっきり見えた。長所も欠点もはっきり見せた。欠点を補わなかったのはなぜか私にはわかりませんが、作品の輪郭が見えるのは、優れた演出の証左だと思います。

 一番圧巻だったのは、大合唱が活躍する第一幕。舞台を取り囲むように城壁を模した装置がおかれ、合唱団は時に壁に穿たれた穴から顔を出し、暗い舞台に光を灯します。この幕も含め、今回の「トゥーランドット」は「高さ」のある、立体的なプロダクションですが、合唱がほぼ主役で、大勢の人間が舞台にひしめき、物語がどんどん進み、音楽が先進的でゴージャスでダイナミックで圧倒的なテンポで進んでいく第一幕は、ダンスに一番あっていると感じました。音楽が多彩だから、ダンスも多彩になります。宙吊り、宙返りのアクロバティックな動きから、「首切り役人」を演じる演技力まで。大島さんのミューズである白河直子さんの、同じ人間とは思えない柔軟自在な体と美しい動きが冴えます。白河さんに従う四人のダンサーも、しなやかな花のように美しく全力で咲いていました。
 第二幕は、特に三人の大臣による幕間劇のような第一場が出色。残忍な任務を象徴するように、片手がそれぞれ剣やハサミのような刃物になっている三人の大臣は、コミカルな動きを繰り出し、時に人形使いになり、自分の役目を自嘲します。とても演劇的です。
謎解きの場面となる第二場は、古代中国の兵馬俑をちょっと想像させる金の人形のレプリカが中央に並ぶ設定。侍女たちの衣装や扇のテイスト、皇帝が背後の高みにいる設定など、ちょっとゼフィレッリ演出を思わせる部分もありました。
 第三幕はまた第一幕のようなテイストに戻りますが、前半はリューにスポットが当たり、照明も音楽もその箇所は明るく叙情的です。リューへの哀悼と葬送のあゆみを体現するダンサーの動きは、心に染みました。
 で、ここを境に、アルファーノによる補筆部分に移るわけですが、ここから、舞台はガラッと明るくなり、トゥーランドットとカラフの愛の二重唱にはダンスは皆無。二人の歌手が、「愛」に目覚める過程を歌いました。歌手に、音楽に任せられてしまった。
 となると、出てしまうんです。ここの音楽が弱いということが。「トゥーランドット」というオペラが、とても残念ながら「竜頭蛇尾」である、ということが。
 アルファーノはもちろんプッチーニが残したスケッチに基づいて補ったわけですから、骨格の部分はプッチーニの音楽なのですが、それでもプッチーニの音楽の大きな魅力であるニュアンスというものが、残念ながら補筆部分からはほとんど感じられないのです。それが、もろに出てしまった。それまでが充実していただけに(繰り返しですが特に第一幕)、ポカン、としてしまう。
 ではどうすればいいのか、と問われたら、私如きに何も思いつくわけなどないのですが、作品の姿をそのまま見せたという点で、これしかやりようがないと言えばない、のかもしれません。プッチーニ がこの二重唱のスケッチに「そしてトリスタン poi tristano」と書き残していることは有名ですが、プッチーニ がこの言葉で最終的にどんな音楽を目指したかは、わからないのですから。
 第一幕がこの作品の中で最も優れている、ということも、改めて痛感しました。ポストワーグナー時代の、通作されたイタリアオペラとしては、(私見ですが例えば「オテッロ」の第四幕や、「ファルスタッフ」の第二幕などと並んで。もちろん音楽は全く違いますが)最も完璧な例の一つではないでしょうか。(たまたまですが、「新グローヴ・オペラ事典」をめくってみたら、「プッチーニのオペラ全作品の中でも、おそらく最も完璧な構成を持つ第一幕」というくだりがありました)。
 
 今回、プログラムの解説を書かせていただいたので、そのためもあって大島さんにインタビューさせていただいたいのですが、大島さんは、このコロナの時代だからこそ、愛の素晴らしさ、愛が全てを救う結末にしたい、とおっしゃっていて、そのために「愛の二重唱」をじっくり聴かせる演出になったのかもしれません。

 最後の「愛」のクライマックスでは、再び五人のダンサーたちが背後の壁に宙吊りで舞い、鳥のような衣装共々、抜群の存在感を発揮していました。

 歌手の方たちも熱演。カラフ役福井敬さん、甘く輝く声、艶やかな張り、ここ!というところで声を当てるうまさなど、まだまだ健在です。ここまでカリスマ性のあるテノールは、なかなか思いつきません。リュー役木下美穂子さんも、芯の強い声と共に、芯の強いリューを抒情的に歌い上げ、トゥーランドット役田崎尚美さんも、パワフルで情熱的な歌唱で、愛に目覚める氷の姫君を熱演しました。
 佐藤正浩さんの指揮は、壮大な音楽をきりりと引き締め、緩急のコントロールが巧みで、大作をバランスよく聴かせてくれました。コレペティトゥールの経験が長く、歌手の伴奏もよくなさる佐藤さんだけあって、歌手への配慮が感じられ、歌手の方は歌いやすかったのではないかと思います。






最終更新日  October 21, 2020 07:15:18 AM


October 18, 2020
カテゴリ:音楽
この週末は、充実したオペラの舞台二本で、幸福な時間を過ごすことができました。
 神奈川県民ホールの「トゥーランドット」(17日土曜日)と、よこすか芸術劇場の「隅田川」&「カーリュー・リヴァー」(18日日曜日)です。
 どちらも、もちろんオール日本人キャストで、とても個性的な、演劇的にも音楽的にも高水準の舞台に仕上がっていました。

 順番が前後して恐縮ですが、今日日曜日に見た「隅田川」「カーリュー・リヴァー」から書きたいと思います。

 「隅田川」は、14世紀前半、観世十郎元雅が書いた能の悲劇。人さらいにさらわれた息子を追って京から東下りしてきた狂女が、隅田川を渡ったところで子供がその地で死んで葬られたことを知り、嘆き悲しんでいると、死んだ子供が念仏を唱える声が聞こえ、姿が見えた。けれど姿は間も無く消え、母は立ち尽くす、という悲痛な物語です。
 この能「隅田川」を、イギリス20世紀の作曲家ブリテンが1956年に来日した際に見て感銘を受け、その翻案を元にして作ったのが、オペラ「カーリュー・リヴァー」。「隅田川」は救いようのない話と言われますが、ブリテンは中世の神秘劇の復活も念頭に、最初と最後に聖歌をおき、「奇跡」と「魂の救済の物語」を扱った「寓話劇」としました。原作の能よりわかりやすいと言えばわかりやすい。初演は内容に相応しく、小さな教会で行われています。
 この2作、同時上演も何年に1度かは行われているようですが、お恥ずかしながら、私は今回が初めてでした。45分!の休憩を挟んで、80分くらいの作品が2つなので、なかなかの長丁場です。
 けれど、やはり1度に2作見られて本当に良かった。2作には共通する部分もあれば、異なる部分もあります。けれど見比べてみて、14世紀日本の狂女ものが、20世紀のイギリスで、ある種のプリマドンナ(主役はテノールなので、「プリモウォーモ」なのですが)オペラ、そして奇跡劇へと変貌した、そのことが奇跡だと思えた。人間の普遍的なあるテーマ、人間のある魂の形が、時代と洋の東西を越えて舞台芸術になることで「橋」をかけた。
 これこそ「芸術」だからできることだと思えたのです。
 今回の舞台の「隅田川」と、「カーリュー・リヴァー」という架空の川。それは、あの世とこの世の境ですが、色々なものを隔てる川でもある。そして芸術は、その川に橋をかけることができるかもしれない、と。
 コロナ禍の今年、芸術のあり方を考える上でも、今回の舞台が見られて本当に幸運だったと感じています。

 よこすか芸術劇場は、およそ1800席の馬蹄形の劇場。オペラ公演も時々ありますし、「ベイサイドポケット」と呼ばれる小劇場では、カウンターテナーの弥勒忠史さんがプロデュースするコンパクトなオペラのシリーズや、今回「隅田川」を演出した観世喜正氏がプロデュースする「蝋燭能」のシリーズも行われています。今回の企画は、弥勒さんが、市川海老蔵さんの「源氏物語」で観世さんと共演し、観世さんとの共同作業を希望して始まったとのことでした。

 今回は新型コロナの影響で、販売席数は半分。しばらく前から入場者数は緩和されていますが、チケットを売り出した時の設定が半分で、今からそれを変えるのは難しいとのことで、そのまま据え置かれました。ですので、完売です。なんともったいない。こんな滅多に見られない舞台が、900名のために、それも1回だけ!なんて。残念。

 ステージには能舞台がしつらえられ、バックには映像が投影されます。この演出は能もオペラも同じ。能の背景は、川の水を思わせる美しいブルー。能は全く不勉強なので何も言えませんが、演出的に変わったものではなかったのではないでしょうか。しかし、「音楽」がとても充実しています。コロスのような地謡。演出兼主役(狂女)の観世氏の演技の素晴らしさ。ちょっとした仕草の表情の豊かさ。笛、大小の鼓の沸き踊るような豊かな響き。大昔、オーストリア人のある音楽関係者が、日本で歌舞伎も能も見たけれど、能の音楽には痺れた、といったことを思い出しました。彼に見せたかったなあ。
 字幕があったのも、初心者にはありがたい限りでした。

 続くオペラでは、そのままの能舞台が使われますが、子供の墓を現す草の生えた土饅頭の代わりに、後で十字架が建てられる小さな盛り土がおかれます。背景は場面によって移り変わり、床にも照明によって様々な映像が。最初と最後の合唱による聖歌の場面では、ステンドグラスを思わせる床が出現しました。後半の山場では、大きな月がかかり、やがて一面の星空が出現し、その中を、聖母マリアを思わせる修道衣に身を包んだ子供の亡霊が現れて、夢か現か、の美しさでした。
 歌手たちは、東京混成合唱団が開発した「東混マスク」をつけての歌唱。でも、それほど声量は減ったようには思えなかったし、仮面劇のような雰囲気が出て、舞台上の見え方としても悪くなかったように思います。主役の狂女の衣装も金をふんだんに使った華やかなもので、手には能舞台での枝の代わりに墓にたむける花を持ち、舞台に華を添えていました。
 全曲の前に、舞台上で、前の能「隅田川」からのつなぎとして、笛と大小の鼓が演奏されたのも、今回の連続上演ならではで、いいアイデアだと思いました。
 
 演奏は、素晴らしかった。
 なんといっても、狂女役のテノール、鈴木准さんが圧巻。鈴木さんはブリテンの研究家でもあり、この役はイギリスでも歌って高く評価されているとのこと。
 今回の演出では、「隅田川」の静謐な狂女に対して、動的な、終始狂乱の場を演じているような、極めてオペラティックな狂女になっていましたが、それを完全に自分のものにしている、と感じました。だから、プリマドンナオペラを見ている印象を受けたのです。違う演出、違う歌手だったら、こうはなっていなかったかもしれません。
 同じ舞台を使っても「能」と「オペラ」は違う。それを映し出した演出でした。
 渡守役与那城敬さんも凄みと人間味のある歌唱、旅人役坂下忠弘さんも雄弁。子供の霊の声を歌った11歳の町田櫂くんの声は、同時に出現した星空のように美しかった。
 オーケストラも小編成ながら起伏に富み、無駄がなく、完成度が高い。今回の公演のタイトルの「幻」を思わせる、鈴木優人さんの神秘的なオルガンの響き、狂女に寄り添い宙に舞う上野星矢さんのフルートの、笙を思わせる鋭さなど、耳をそばだてる瞬間が何度も訪れました。
 今年の2月、新国立劇場で「紫苑物語」を演出した笈田ヨシさんに、ずいぶん前、一度インタビューしたことがあり、その時、ご自分が演出した作品の中で一番好きなのは「カーリュー・リヴァー」だとおっしゃっていたのですが、ちょっとその気持ちが理解できたような気がします。

 今回のプロダクション、もちろん最初からオール日本人キャストで予定されていたわけですが、はからずも、この時期に、日本で行われる舞台芸術の一つの可能性を示してくれました。 
 そしてやっぱり、生!家でネット配信で見ても、おそらくこの感動は味わえないと思います。舞台を満たす神秘的な空気こそ、生の力、劇場の魅力です。

 ああ、返す返すも、1度きりなんてもったいない!






最終更新日  October 20, 2020 08:09:43 PM
October 17, 2020
カテゴリ:音楽
この秋のオンライン講座、学習院さくらアカデミーではオペラのシリーズを開講します。
 テーマは、昨今人気の高い、ドニゼッティの「女王三部作」。この3作を通じて、「テューダー朝の歴史」を知ろう、というコンセプトです。
 「女王三部作」は、それぞれ、アン・ブーリン、メアリー・ステュアート、エリザベス1世が主人公ですが、最終的にこれはエリザベス1世の物語でもあります。そして彼女たちは、有名人が多く人気が高い「テューダー朝」時代の人物でもある。テューダー朝の創始者であるヘンリー7世は別として、この3作を通じて、テューダー朝の歴史をざっくり知ることができます。
 またドニゼッティには、「ケニルワース城のエリザベッタ」という作品もあり、これも最近復活してきています。
 今回は、オペラの映像のご紹介もですが、オンラインの強みである画像〜実はリアル講座より、画像に関しては快適に綺麗に見られることがわかりました〜をたくさん取り入れ、肖像画や系図も示しながら、エリザベスを中心に、ドラマティックなテューダー朝の人物たち、そしてオペラになった彼ら彼女らの立ち位置を、史実の16世紀と、ドニゼッティの生きた19世紀前半、両方の時代を考えつつ、ご紹介する予定です。
 
 開講は24日の土曜日。講座の詳細はこちらからご覧ください。

 学習院さくらアカデミー ドニゼッティ「女王三部作」で知るテューダー朝の歴史






最終更新日  October 17, 2020 09:37:23 AM
October 15, 2020
カテゴリ:音楽
この夏、コロナ禍の中ではじめ、幸いなことにご好評をいただいている朝日カルチャーセンターのオンライン講座。 
 来週からは、夏に行って大勢の方にご受講いただいた、「バッハへの旅」の続編として、3回シリーズの「作品編」が始まります。
 バッハゆかりの地を訪ねるツアー「バッハへの旅」で訪問してきた現地の写真や、音楽の動画でバッハの街を辿るコンセプトは同じなのですが、違うのは、ジャンルごとに、「作品」の変遷をたどること。
 1 ルター派の宗教作品 2 ミサ曲と世俗声楽曲 3 器楽曲
 にわけ、1 ではカンタータから受難曲まで、2ではミサ曲(ロ短調ミサ)と世俗カンタータ、3はオルガンからオーケストラ曲までの代表曲のさわりを、その作品に関連の深い街と絡めながらご紹介していきます。
 初演の場所、聖トーマス教会の写真で録画された「マタイ受難曲」や、これも初演の場所である「狩の館」の写真とともに楽しむ「世俗カンタータ」など、極上の「バッハへの旅」を、どうぞお家で、くつろぎながらお楽しみください。
 朝日カルチャーのオンラインは、終了後も一週間、オンデマンドで視聴できるのがいいところです!
 詳細、お申し込みはこちらです。

 オンラインで楽しむ「バッハへの旅」作品編






最終更新日  October 15, 2020 09:06:58 AM
October 11, 2020
カテゴリ:音楽
コロナ禍で外国人アーティストが来日できず、少なくとも一部の日本人アーティスト、特に指揮者にとってはチャンスが続いています。オーケストラの演奏会には指揮者が必要だから、指揮者がいなければオーケストラは再開できません。実力があれば引っ張りだこになります。
 で、この機会に頭角を現す(よく知られるようになった)日本人の若い方も何人もいて。鈴木優人さんや原田慶太楼さんは好例でしょう。彼らは実力に加え、発信力もすごいので、その相乗効果で出てきている。
 とはいえ、自分から積極的に発信するタイプでなくとも、力があれば注目される状況であるのは確かです。
 8日の木曜日、新日本フィル定期で、その好例を知りました。
 熊倉優さん。1992年!生まれ、まだ20代の若さです。沖澤のどかさんが優勝した時の東京国際音楽コンクールで3位。N響でパーヴォ・ヤルヴィのアシスタントを務めました。すでにN響をはじめいくつものオーケストラと共演。以前、フェスタサマーミューザでN響とショスタコーヴィチの10番をやったそう。聴き逃して残念です。
 今回、熊倉さんが面白い!と思ったのは、自分はこれをやりたい!という意思が明確であること。それがひしひしと伝わるのは、そうそうあることではありません。
 
 前半は竹澤恭子さんとの共演で、ブラームスのヴァイオリン協奏曲。これは竹澤さんの横綱相撲というか。竹澤さんは日本人ヴァイオリニストの中ではやや肉食系(?)の、濃厚な演奏をする方で、貫禄で引っ張った面はありました。第二楽章での弓をいっぱいに使ったねっとりした旋律の歌わせ方、高いテンションは特筆もの。熊倉さんのサポートも過不足なかったと思います。アンコールのバッハ「パルティータ第2番」の「サラバンド」は、弦を全て使い尽くすのか!というような凄まじい表現力で、震えました。

 後半のチャイコフスキーの4番交響曲では、熊倉さんの全身全霊を傾けた演奏が聴けました。第1楽章では正直冷や冷やした部分もありましたし、重心が低くてテンポが遅くて、これじゃ終演は何時になるだろう?と気掛かりになったほどでしたが、後半の2つの楽章ではそれが嘘のような快速調で、これ!と突き進むテンションの高さがマックスに。ここへ持ってくるための計算だったのか?と思わせられるほどでした。スローなところも含めて(とくにスローなところの持続力)テンションが張り詰めていて、テンションの弧が大きい。この長いテンションに加えて、この曲はこうやりたい!という確信があるところや、出てくる音色の美しさなど、ちょっとバッティストーニみたいなんです(といったら熊倉さんに失礼かもしれませんが)。これでバッティみたいなカリスマ性が加わったら、本当にすごいことになるかもしれません。第3楽章のピッツィカートも重心が低いのによく鳴って、寄せては返すうねり感も生き生きとしてヴィヴィッドで、音色も多彩でした。
 木管楽器群のソロもみなさん美しかったですが、オーボエの小畑さんのソロが、。音色の甘さ艶やかさ美しさなどで一際飛び抜けていました(ブラームスの第2楽章のソロの素晴らしかったこと!)。かつてはベルリンフィルでも活躍したらしい。芸大も退官され、新日本フィルももう「卒業」されたようですが、またぜひ聴かせていただきたいです。小畑さんにとってはお孫さんに近い年齢のマエストロとの共演、楽しんでいらしたのではないでしょうか。
 熊倉さん、来月はN響で藤田真央さんと共演ですね。

 帰宅後、熊倉さんが原田慶太楼さんの「Music today」に出ていたのを見つけて視聴していたら、どうやらヨーロッパでポストを持つらしい。日本のオケでもポストを持って欲しいですね。日本のオケには、この機会に、こういう方を取り込んで育てて欲しいです。






最終更新日  October 11, 2020 10:05:06 AM
October 1, 2020
カテゴリ:音楽
新型コロナで、とんでもないことになってしまった今年。
 オペラ界では、ヘンデルのオペラの注目公演が何本も予定されていた年でした。
 2月に神奈川県立音楽堂で日本初演が行われるはずだった、ビオンディとエウローパ・ガランテの「シッラ」、瞬く間に完売となり、ファンの期待の熱さを実証した4月の新国立劇場の「ジューリオ・チェーザレ」。。。。中止になったのは、返す返すも残念でなりません(二つとも、将来のリベンジは​視野にはいっているようではありますが)。

 そんな中、秋のヘンデルオペラの注目公演だった、鈴木優人プロデュースオペラ「リナルド」は、上演が決定しました。
 入国制限により海外アーティストが来日できず、オール日本人キャストに振り替えての公演ですが、藤木大地さん、森麻季さん、大西宇宙さん、波多野睦美さんなど、強力で魅力的なキャストが揃っています。
 先日、リモートで記者会見が行われましたが、優人さんいわく、「博物館の中に押し込められてしまう印象がある(=古臭くて退屈と思われている)バロック・オペラを、楽しいエンタメとして提供したい」とのこと。
 演出も現代風にし、わざわざ予習しなくとも、わかりやすいものになるようです。
 カウンターテナーが(藤木さん、青木洋也さん、久保法之さん)三人揃うのも、音色を聴き比べる意味でも面白そう。
 優人さんが弾き振りするバッハ・コレギウム・ジャパンは、「リナルド」の演奏経験もあり、ヘンデルの華やかで躍動的な音楽とドラマが存分に楽しめることでしょう。

 ご承知の方も多いと思いますが、バロック・オペラは欧米ではちょっとしたブーム。ヘンデルのメジャーな作品は、オペラハウスのレパートリー入りしています。荒唐無稽なストーリーは、自由な演出を許容しますし、歌手のレベルもここ数十年で飛躍的に上がりました。歌手の水準については、日本も同じだと思います。
 入場規制も緩和され、チケットの追加販売も決まりました。
 ここから、新しいヘンデルイヤーがスタートすることを願っています。
 
 詳細、チケットはこちらから。

 鈴木優人プロデュースオペラ「リナルド」






最終更新日  October 1, 2020 03:01:25 PM
September 20, 2020
カテゴリ:音楽
2015年に制作され、全国を回って評判になった、野田秀樹演出「フィガロの結婚〜庭師は見た!」の再演を、ミューザ川崎で見てきました。当時見そびれたので、とても楽しみにしていました。
 
 とても面白かった。演出が主役ですね。「見る」フィガロ。野田さんの「フィガロ」愛も感じました。指揮の井上道義さんが野田さんを口説いて実現させたプロダクションとのことですが。。。野田演出のオペラは、新国立劇場の「マクベス」についで2作目ですが、このほうがはまっていました。
  舞台は「黒船渡来の頃の日本」。長崎の、「海の見える丘の上」だというので、これは「蝶々夫人」かと思って、隣席にいた博識のジャーナリストに聞いたら、やはりそうだとのこと。まあ「蝶々夫人」だと黒船よりやや時代はあとですが。。。ジャーナリスト氏曰く、「フィガロ」の階級対立が、「蝶々夫人」の日米対立に置き換えられている、と。なるほど、それで伯爵夫妻が日本に到着して、日本人を召抱えるわけですね。その中にスザンナとフィガロがいる、とうわけ。
 で、基本的に、「日本」という設定なので、台詞は多くが日本語に置き換えられるわけですが、伯爵夫妻は「外人」ですから、もちろん原語のイタリア語です。セリフも日伊ミックスなのです。ですが、この訳詞が大変気が利いていた、と思います。相当に自由な意訳ですが、言っていることの内容はよく通るのです。重唱で、各人のセリフが字幕に反映されているのも良かった。
 これ、訳詞を誰がやったのかプログラムに書いてなくて(見落としていたらすみません)、わからないのですが、訳者は出すべきだと思う。かなり重要な要素でした。野田さんも絡んでいそうですが。。。名前も日本名ミックスで、スザンナはスザ女、フィガロはフィガ郎、という調子です。
 全体は、サブタイトル通り、庭師アントニオ=アントニ男が語り手をつとめる形式ですが、このアントニ男の役は、俳優の廣川三憲氏がつとめていました。

 野田演出と言っても、コンサートホールでできるように仕立ててあるので、大道具は梅や桜や竹の葉の模様がついた金色の箱3つと、「幕」の代わりにもなる竹矢来のような棒が数本だけ。あとはダンサーや「演劇集団」のメンバーが、動きやダンスでその場を表現します。
 箱も棒も実に効果的、変幻自在に使われていました。箱が、スザンナが隠れるクローゼットになったり、東屋になるのはもちろんですが、冒頭では長崎に到着する伯爵夫妻を乗せる船になったり。第三幕の結婚式のシーンでは3つ組み合わさって金屏風が出現。また第三幕冒頭で、スザンナが本心を隠して伯爵を籠絡するシーンの後では、スザンナとフィガロがお参りする神社になったりと、本当に変幻自在。こういうアイデアは、いわゆるオペラ演出家からはなかなか出てこないかもしれません。
 もう一つ感服したのは、アリアを歌っている人物の心理などを、他の登場人物を出して説明していたりしたこと。例えば第三幕で、スザンナに迫られていい気になった伯爵が、次の瞬間、スザンナがフィガロに言ったセリフを聞いて疑心暗鬼になり、心の中で妄想が膨らんで怒りのアリアを歌うのですが、その妄想をフィガロやスザンナを出して具現化する。あるいは、第二幕で、フィガロの偽の恋文で一同が混乱するのですが、その経過をやはり彼らを出して演じさせて説明する。
 これ、かなりうまくいっていたと思います。「フィガロの結婚」は物語的にはかなり込み入ったオペラで、理解するのは結構大変です。話がわかりにくいと言われつつ、フリーメーソン色を取れば単純な「魔笛」とは違う。第二幕のドタバタとか、フィガロの「偽の恋文」が発端で、それをスザンナと伯爵夫人が思わず伯爵にバラしてしまうとかの過程がちゃんと理解できないと、どうしてドタバタになったのかわかりにくいのですが、そういう展開がレチタティーヴォでしか説明されないので、なかなか飲み込めません。そこがきちんと説明されている。
 その手のパントマイムに、文楽や人形浄瑠璃を思わせる方法〜棒を使って登場人物を操る〜が取り入れられていたのも、日伊合体の「フィガロ」らしいな、と思いました。
 結末で、伯爵夫人がただ許すだけではなく、彼女の「怒り」が眼に見えるようになっていたのもおもしろかった。

 指揮はレガート多めの流麗なもの。活発な舞台を支える、心地良いBGMとしては悪くありません。
  歌手は初演と同じ方が多かったようで、役柄が身についている方も多かったですが(演技、日伊のセリフ、その他多くが要求されるので、演技派の歌手でないと務まらないでしょう)、小林沙羅さんのスザンナは演技力、コケットリー、舞台上の存在感で抜群の出来栄え。相方フィガロの大山大輔さんも好演。バルバリーナ(バルバ里奈)役のコロンえりかさんも強烈な個性を放っていました。ケルビーノ役村松稔之さんはいい声ですが、ケルビーノをカウンターテノールがやるのは抵抗感があります。。。
客席も楽しんだようで、カーテンコールでは、かなりスタンディングオベーションが出ていました。






最終更新日  September 20, 2020 09:20:22 AM
September 13, 2020
カテゴリ:音楽
コロナはまだ収束しないながら、コンサートなどのイベントの入場規制が緩和されるなど、少しずつ、ウィズコロナ時代のカルチャースタイルが始まっています。

 そんな中、私が所属している日本ヴェルディ協会では、オンラインによる講演会をスタートさせることになりました。
 当協会では、専門家やアーティストによる講演会を常時開催していますが、今年はご存知の状況のため、外でのイベントは中止。その代わり、オンラインによる講演会、そのほかを模索してきました。
 この度、ようやく第一歩を踏み出すことになりました。

 小畑理事長は、日本におけるヴェルディ研究の第一人者。著書も多く、評論をはじめとする文筆活動でもオペラファンにはお馴染みです。ヴェルディの手紙など一次資料を丁寧に読み込んだ上での説得力のあるお話は、講演会のたびに好評です。
 今回のテーマは《仮面舞踏会》。 ヴェルディの転換期の傑作で、彼のオペラには珍しく「愛」を堂々と謳う作品でもあります。
 
 今回は初回ということもあり、非会員にも無料で公開いたします。使用するソフトはzoomです。zoomの事前登録などは不要。送付されてくるリンクを、当日(18日19時)クリックいただければスタートします。是非、覗いてみてください。

 お申し込みは以下から。直前のご案内で恐縮です。どうぞよろしくお願いいたします。

 ​日本ヴェルディ協会オンライン講演会






最終更新日  September 13, 2020 09:13:54 AM
September 6, 2020
カテゴリ:音楽
「魔笛」は絶大な人気を誇るオペラです。Operabaseの統計では、世界のオペラハウスにおける2018-19シーズンの上演回数は「椿姫」に次いで2位。ドイツ語圏では、ナンバーワンでしょう。

物語はともかく、音楽の人気が高い。これまで、「魔笛」をそう捉えてきました。けれど、昨日見た「魔笛」のアレンジ版「魔法の笛」は、そんな見方をちょっと変えてくれました。不思議、あるいは理解が難しいと思える物語は、実は単なる「ボーイミーツガール」の物語だけでいけるのだ。第二幕の「試練」は、フリーメーソンの入信式だと言われているけれど、そして実際にそうではあるのだけれど、別にそこからみなくとも、「若者が試練を経て結ばれる」物語で十分なのだ。そう思えたからです。だったら、お話しだって十分魅力的ではないか、と。

それも、第一に、宮本益光さんによる秀逸な再構成の賜物です。おそらく新型コロナのため、合唱も省かれ、ディスタンスも意識してのセミステージ形式でした。といっても舞台装置などはなく、衣装も、鳥の扮装をしたパパゲーノやパパゲーナ、など一部をのぞいておそらく自前なので(三人の童子や三人の侍女は、それぞれ黒パンツと白シャツ、黒ドレスで揃えていましたが、おそらく自前では。。。)、「セミステージ」といっていいかどうか微妙ですが。とはいえ、演技はかなりついていたので、「演奏会形式」以上のものではありました。

そんな形式でも、「魔笛」という作品の素晴らしさ、そのエッセンスは十二分に伝わりましたし、むしろわかりやすくなっていたように感じます。一見さんでも間違いなく楽しめる。「魔笛」という作品の懐の深さを、改めて知ったおもいです。

 

 今回の公演は、五島文化財団が出している「五島記念文化賞 オペラ新人賞」を2014年に受賞した、キハラ良尚さん(指揮、コレペティトゥール)の「成果発表会」という形のもの。ですので、キハラさん指揮の東響オペラアンサンブルが主役なのですが、歌手たちの顔ぶれが実に贅沢(これ、最初から決まっていたのか、それともコロナ禍でみなさん時間ができてこんな顔ぶれになったのか???)。構成を手掛けた宮本さんが得意のパパゲーノを歌うのは当然として、例えば実力派メッゾの中島郁子や、これも実力派ソプラノの増田のり子さんが「侍女」を歌うなんて、なんだかもったいないような。それ以外にも、タミーノに望月哲也さん、パパゲーナに鵜木絵里さん、パミーナに文屋小百合さん、夜の女王に針生美智子さんなど、第一線で活躍する顔ぶれがずらり。みな実力相応の歌唱で、これだけで「声の饗宴」です。

なかでもやはり、構成者でもあり、この役に定評のある宮本益光さんのパパゲーノは、言葉の自然さ、声の滑らかさ、そしてよく動く目にはじまる豊かな表情で、宮本さんにしかできないパパゲーノを創造していたと思います。モノスタトスの伊藤達人さんも、小心な悪役を痛快に演じていました。

 

 これだけでも来たかいはありましたが、やはり今回の肝は構成です。

 まず、ジングシュピールに必須の台詞はほぼカット(おそらく飛沫対策?)。その代わり、俳優の長谷川初範氏がナレーションで、セリフに相当する部分を語る形式でした。これが、意外とわかりやすいのです。アドリブで笑う瞬間がないのは寂しいかもしれませんが、話の分かりやすさはこちらの方が上かもしれません。飛沫対策だとしたら、瓢箪から駒、かも。
 そして、合唱がないこともあるのでしょうか、フリーメーソン的な部分がかなりカットされていました(例えば、第一幕でタミーノにザラストロのことを説明する「弁者」は登場しません)。これで、「ボーイミーツガール」の物語がくっきりします。異論のある方もあるでしょうが、これはこれでいい、と私は思います。

 さらに秀逸だったのは、「魔法の笛」をフルート奏者が、「魔法の鈴」をダンサーが担当したことです。上野由恵さんのお姫様的な美しいフルート、そして普段は脱力していて、「音楽の力」で呼ばれると立ち上がって生き生きと踊り出す、作本三月さんのダンス。それは、二人が従うタミーノとパパゲーノの写し絵でもあるのです。

 

 最後は敵味方関係なく、全員が揃って、歌詞を手にして最後の合唱。夜も昼も超えての大団円は、「光の世界」が独占する従来のやり方より、モーツァルトの大いなる人類愛にふさわしい。「音楽は人生」だと宣言し、「音楽で人と人とを結びつけた」(宮本氏)モーツアルトに。

 宮本氏は訳詞も担当。場面や人物のキャラに合わせて変幻自在で、ユーモアもあり、秀逸でした。宮本氏はこちらの方面の専門家でもありますが、それにしても唸ります。ほんと、才人ですね。

 

 モーツアルトは「魔笛」を、「ジングシュピール」ではなく 「二幕の大オペラ」と呼んでいます。セリアでもブッファでもジングシュピールでもない、ジャンルを超えた大オペラ。考えてみれば、ソプラノとテノールが主役カップルを演じるのは、来たる19世紀に主流となる新しいスタイルです。その点でも、新しい時代を予告するオペラ。その真髄は、このようなエッセンシャル的な上演でも、十分に伝わるのです。

 

 キハラさん指揮の東響は、自然に感興が湧き出ているような、流れのある演奏。ドラマの移り変わりがスムーズで、音が柔らかく美しい。歌手にも自然に寄り添います。モーツァルトの国オーストリアで、研鑽を積まれたこともあるのでしょうか。

 この宮本版、1回だけではもったいない。学校や地方の劇場などを巡回したら歓迎されると思います。歌手の方も入れ替わり立ち替わり演じればいいし。これを見たら、多分誰でも、オペラが好きになるのではないでしょうか。

  

 会場の「かつしかシンフォニーヒルズ」モーツァルトホールは、客席数およそ1300、テアトロ・ジーリオ・ショウワと似たような規模です。これくらいの広さだと、歌手も楽ですね。東京文化会館は広すぎますし、3日に「フィデリオ」を見た新国立劇場も、歌手によってはちょっと大きすぎる感が(「フィデリオ」は紗幕があったので、余計に)。こういう会場で、もっと経験が積めるといいのですが。。







最終更新日  September 6, 2020 06:13:34 PM
September 4, 2020
カテゴリ:音楽
 2月の「椿姫」を最後に、オペラ公演を休演していた東京二期会が、ベートーヴェンの「フィデリオ」で公演を再開しました。大きなカンパニー、劇場としては、先月の藤原歌劇団「カルメン」に続きます。

 

 「カルメン」は、歌手はフェイスシールドをつけ、オーケストラも舞台にあげるなど、感染症対策を徹底していましたが、「フィデリオ」は少し緩め。オーケストラはピットにいますが、ピットの床を上げ、壁を取り払って「密」を薄めていました。楽団員(東フィル)はほとんどマスクなし。指揮者もマスクなしでした。

舞台には紗幕がかかり、これは演出に加えて感染症対策であることは明らか。とはいえ歌手は、距離は置いているもののフェイスシールドなどはつけず、かなり「ノーマル」に近づいてきた感じです。

 
 ただしもちろん観客の数は半分にしぼり、入場の際には連絡先を記入して渡すなど、丁寧な感染症対策をしていました。

 「フィデリオ」は、ご存知のようにベートーヴェン唯一のオペラ。そして今年は、ベートーヴェン生誕250年。(これもご存知の方は多いでしょうが)。本当に、このコロナ禍の年にアニバーサリーを迎えた作曲家が、人生において苦闘し続け、輝かしい作品を生み出したベートーヴェンであることは、天の配剤のように感じます。


 その「フィデリオ」、今回の肝は、やはり深作健太さんの演出でしょう。
 

 深作さんは、あの名映画監督、深作欣二さんの御子息。お父様の反骨精神も受け継ぎ、映画や舞台で活躍しています。オペラ演出も手がけ、今回で三本目です。

 

 とても、興味深い演出した。

 テーマは「自由 Freiheit」。紗幕には、しばしば、ナチスドイツのユダヤ人収容所に掲げられていた「労働は自由をもたらす Arbeit macht Frei」というスローガンが掲げられますが、この一文の最後に?がついているところがミソ。自由って何?という問いなのでしょう。

 それをめぐって繰り広げられるのは、なんと75年間にわたるドイツ(を中心にした)の戦後史です。舞台はナチスドイツの収容所に始まり、ドイツの東西分割、ベルリンの壁の崩壊、同時多発テロ、ISなど、戦後史の重大事件を辿ってゆく。最後の場面は「戦後75年記念式典」です。

そしてその場その場に「壁」が登場します。ベルリンの壁、の崩壊シーンは第一幕のラスト。そして第二幕は、パレスチナの分離壁と、トランプ政権下で作られたアメリカ国境の壁。主人公のフロレスタンは、「壁」に囲まれながら自由を求める抵抗者であり、フロレスタンの命を狙う悪役のピツァロは、「壁」の守り手です。2時間ちょっとのドラマに、戦後史がギュッと凝縮されている。

 いろいろな意見はあるでしょう。説明が過ぎる、くど過ぎるといえばそうです。とはいえ、このコンセプトで全体がつらぬかれ、一つの物語がまとまって頭に入ってくる、というのはやはり成功と言っていいのではないでしょうか。音楽と乖離していない証左だと思います。

 

 大植英次さん指揮の東フィルは、歌手を引き立てて落ち着いたペースで進みます。冒頭で演奏されたのは「レオノーレ序曲 第3番」。序曲でナチス時代に設定した無言劇があり、オペラのオチと同じようにレオノーレがフロレスタンを救い出すようになっていましたので、この曲はふさわしく思えました。第二幕の連続するアンサンブルの美しさと劇性、「魔笛」に共通する音楽(「フィデリオ」が「魔笛」に影響を受けたことはよく知られています)や、「フィガロ」に共通する瞬間が、炙り出されたのも収穫でした。

 

 歌手ではロッコ役の妻屋秀和さんが、終始安定感抜群の演唱でうまさを印象づけました。小市民的な表情の豊かさは、長いドイツの劇場生活で培われた部分もあるのでしょうか。レオノーレ役の土屋優子さんは、輝かしくボリュームたっぷりの高音域が際立ち、フロレスタン役の福井敬さんも美声を全開に。ドン・フェルナンド役黒田博さんの威厳も、さすがベテランの味でした。

 合唱団が、二期会に加えて藤原歌劇団、新国立劇場合唱団の混成部隊だったのも、日本のオペラ界の再出発に相応しく思えました。

 

 キーワードである「自由Freiheit」の最初のFは、もう一つのキーワードである「喜びFreude」にも共通。さらに主人公、フロレスタンとフィデリオ(レオノーレの男装名)もF。そして深作さんもFなのでした。偶然とはいえ、意味ある一致です。

  
 東京二期会「フィデリオ」、公演は週末いっぱい続きます。チケット料金も、オペラにしてはお手頃です。

 ​東京二期会「フィデリオ」







最終更新日  September 4, 2020 03:49:41 PM

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