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加藤浩子の La bella vita(美しき人生)

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音楽

June 7, 2010
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カテゴリ:音楽

 新国立劇場のレベルがあがっていることは、最近よくきくところです。
 合唱やオケがうまくなってきとか、海外の劇場と共同制作ができるようになったとか、理由はいろいろあるのでしょう。
 個人的には、日本人歌手への配慮がもう少しあってもいい、とは思っていました。
 日本の劇場なのだから、日本人でまかなえるところは、積極的にまかなえばいい。たとえば「オテロ」のタイトルロールは日本人には無理でも、カッシオをわざわざ外国から呼ぶことはない、と思うのです。

 今日、朝日カルチャーセンターで、堀内康雄さんとレクチャーコンサートをやりましたが、話のなかで、歌手の方から観た新国のひとつの意義、を感じました。

 堀内さんはご承知の通り、世界をまたに活躍する日本人バリトンです。日本人歌手で本当の世界レベルのソリストは、堀内さんと藤村実穂子さんなのではないか、と個人的にはおもっています。

 今回は、歌のほうはお得意のヴェルディ2曲、「プロヴァンスの海と陸」と、「ナブッコ」の「ユダの神よ」。
 その合間に、いろいろおしゃべりを楽しみました。

 事前には、「話は苦手」と何度も繰り返されていた堀内さんですが、どうして、話の面白いこと面白いこと。
 とくに、一度就職してから歌手生活へ入るまでのお話は、ユーモアたっぷり。「入社したその日にこれはだめだ、と思った」「会社の目と鼻の先でランチタイムコンサートに出ていた」などなど、サラリーマン失格話から歌手デビューまでのあれこれに、受講生の方は抱腹絶倒でした。

 ところで、歌手になってからの話で、何度も出てきたのは、

 「新国のいい時にたくさん経験をさせてもらった」

 というくだりでした。
 堀内さんがよく出ていらした当時、2000年前後だったと思いますが、新国は五十嵐オペラ監督のもとでダブルキャストをとっており、Bキャストには日本人が出ていたのです。藤原歌劇団方式ですね。
 堀内さんはその時代に、トロヴァトーレとか椿姫とかドンカルロとかたくさん歌われて、経験を積まれたのです。彼にとっては、間違いなく「いい時代」だったと思います。その後、世界に大きく羽ばたかれる、いい土台を作られたでしょうから。

 結局、監督が代わって、シングルキャストになったわけですが、同時に、日本人が主役を歌える機会はぐっと減りました。

 ダブルキャストの場合、たしかに、外国人中心のAキャストと日本人中心のBキャストであまりにもレベルが違う、ということがしばしばあり、それもシングルキャスト歓迎の雰囲気につながっていたように思います。

 けれど、今思うのですが、ならばBキャストの回はチケットを安くすればいいのです。
 日本人なら、飛行機代も滞在費もかからないわけだし、ギャラも外国人よりは安かったりするのですから。

 当時は、正直、Bキャストの人選に疑問があったことがありました。日本人のなかに、、もっとうまいひとがいるだろう、という。
 そういう事態にならなければ、ダブルキャストは、日本人歌手を育てる最良の機会だと思います。







最終更新日  June 17, 2010 05:39:36 PM
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April 8, 2010
カテゴリ:音楽
 バリトンの堀内康雄さんといえば、日本を代表するオペラ歌手のひとりです。
 個人的には、ほんとうに世界に通用する日本人歌手は、堀内さんと藤村実穂子さんだと思っています。
 お2人とも、むらがなく、技術的に安定していて、しかも声に力があり、美しい。
 そのおひとりである堀内さんを、朝日カルチャーセンターにお招きして、美声を披露していただきつつ、お話をうかがうことになりました。(6月7日)
 
 数日前、帰国中の堀内さんと、打ち合わせをすることができました。
 
 で、やはり出てしまいました。「イタリア・オペラの「声」の衰退」。

 堀内さんいわく、「ヴェルディ・バリトン」の伝統にしても、グローバル化のなかで、わからなくなりつつある、というのです。
 
 おそらく70年代くらいまでは、それが引き継がれていた。
 ヴェルディが実際に起用したバリトン、ヴァレージやモレルといったひとたちの歌い方が、ディ・ルカ、バスティアニーニ、カップッチッリ、そしてブルゾンやヌッチくらいまでは、どこかで受け継がれていたのではないか。
 けれど今はそれが見えにくくなっている。というのです。

 ひとつは、グローバル化も関係しているけれど、「はやりの歌い方」の流行。
 私は堀内さんの歌を聴いていると、イタリア語がきちんと美しく響いてきてとても心地いいのですが、そのような、声の魅力、声の色や声量、声の力で聴かせるのは、いまどきだとちょっと古くさい、と受け取られてしまう。
 今は、声はわりとあっさりと、一方でビジュアルとか演技力が求められているのではないか。(これは声楽だけでなく、オケにもあてはまるような気がしますね)。

 それから、これもよく言われることですが、最近だと歌手が早く出て行きすぎてしまう。下積み期間がない。
 ヌッチの伝記にも書いてありましたが、スケールの練習ばかり6、7年やっていた時期があった、それが普通だった。また歌手の層が厚く、なかなか出ていけなかった。
 けれど、最近はそんな話は聞きません。歌手が消耗品、使い捨て、になりつつある。

 堀内さん、たとえばフランス料理でも、伝統的なものからヌーベルキュイジーヌ、へという流れがある、あれに似ているかも、と、いろいろ例をだしてくださいましたが、確かにオペラに限らずさまざまな面で、グローバル化の影響が出ている、ということなのでしょう。
 それを「声」の面から具体的に説明されたのは、興味深かったです。

 講座は6月7日の13時30分から。曲は「プロヴァンスの海と陸」、ほか1曲。2曲目は未定ですが、ヴェルディ・アリアになる予定です。残席が限られてきたので、ご興味のある方はぜひ!

 http://www.asahiculture-shinjuku.com/LES/detail.asp?CNO=66095&userflg=0






最終更新日  April 8, 2010 08:42:18 AM
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April 3, 2010
カテゴリ:音楽
 昨日は、キリストの受難を記念する聖金曜日。
 まさにこの日の礼拝のために、バッハが作曲した「マタイ」(「ヨハネ」もですが)を聴くのは、うれしいものです。
 定番はバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)。昨年はメンデルスゾーンの記念年だったので、メンデルゾーンの「マタイ」蘇演稿でした。
 今年は普通に、といいますか今日一般的な1736年稿をベースにしたものでしたが、最後に、ライプツィヒで当時受難曲の後に上演されていたという、ヤコブス・ガルスのモテットが演奏されました(これがまたすばらしかったのですが)。
 
 BCJの「マタイ」はもちろん何度も聴いていますが、今回は、雅明先生の解釈が変わった、と思われるほど新鮮なものでした。たとえはよくないのですが、オペラなみに大胆(受難曲はオペラとは明確に違うので)、な演奏だったのです。
 
 何より、メリハリのはっきりした演奏でした。
 
 まずデュナーミクのつけかたがはっきりしていたこと。同じコラールでも、第1節と第2節の違いをはっきり出したりしていること。
 そして全体的に、以前より音が前に出てくるようになっていたことに驚かされました。
 合唱も、ノン・ヴィヴラートに自信がついたのか、澄んだ響きがひとつになって(ひとりの声でうたっているように)、届いてきたのです。
 BCJというと、よくそろってすっきりしているけれど、時としてまとまりがよすぎるというか、お行儀がよすぎる感じがあったのですが、その印象がだいぶ変わりました。

 器楽もとても表情豊かで、アリアの伴奏もそれぞれ聴かせました。
 間の取り方も絶妙で、きっぱりしていて、音のない個所にも音楽があふれていました。
 
 雅明先生によるプログラムの巻頭言に、「マタイ」における通奏低音の、「控えめな」しかし細やかな変化、それにともなう表現力、のこと、そして「マタイ」に描かれた「人間イエス」の死、について書かれていましたが、雅明先生、それも含めて「マタイ」をじっくり、改めて研究なさったのではないか、と思われてしまいました。

 しかし「マタイ」が涙を誘う音楽である、ということは改めて感じられ、会場からも2,3、すすりなきが漏れてきたときがありました(「憐れみたまえ」など)。私もじんとなりましたが、いつも思うことですが、その涙はオペラで流れる涙とは全く異質な涙です。あちら側へ向いた視線が誘う涙。通常の涙とはわいてくる場所が違うのです。
 
 「ロ短調」か「マタイ」か、ときかれれば「ロ短調」と答えますが、これもよく言われることですが、ともに美しさが打ち続く曲ですが、「ロ短調」で次々繰り出されるのは合唱、「マタイ」はアリア。「マタイ」のアリアの魅力は、一つ一つ異なる伴奏の魅力にもありますが。

 ソリストではエヴァンゲリストのクリストフ・ゲンツと、第1ソプラノのレイチェル・ニコルズが出色。しかしエヴァンゲリストというパートは、(別の意味ですが)ヘルデンテノールなみに大変な役です。






最終更新日  April 3, 2010 12:56:20 PM
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March 17, 2010
カテゴリ:音楽
 サントリーホール名物、ホール・オペラ。
 3年前から始まった、モーツアルト=ダ・ポンテ三部作が今年で終わり、ホール・オペラも一区切りなようです。文字通り、「ホール」でのオペラの可能性を押し広げた企画でしたから、残念ですね。
 その三部作の最後は、「コジ・ファン・トウッテ」。個人的にはそのシンメトリーな美しさに、近年とみに心を惹かれる作品です。
 指揮は最近の常連、ニコラ・ルイゾッティ、演出はガブリエーレ・ラヴィーア。

 昨年の「ドン・ジョヴァンニ」では、日本にしてはかなり過激な演出で話題を呼んだラヴィーアですが、今回は伝統的なものの枠をはみ出さずに、工夫もあり、しゃれた舞台でした。

 個性的だったのは、作品の舞台であるナポリにちなんだ、コメディア・デラルテの道化師(
プルチネッラ)たち。
 白と黒の衣装をまとった彼らが舞台に頻出し、その場の空気や、人物の感情を演出します。といってもドイツ系の演出家のような忙しさはないので、音楽を邪魔することはありません。
 また装置の入れ替えも、黒い衣装の彼らが行うので、黒子のようでスムーズです。このあたり、日本の伝統芸能にも造詣が深いというラヴィーアならではのアイデアかもしれません。
  
 そのほかの装置などはごくシンプルかつオーソドツクス。アイボリー色のパラソルやソファ、ベッドや天蓋が場面ごとに出入りし、簡潔かつ雄弁に場面を説明していました。

 歌手はさすがにそろっていました。
 一番安定していたのは、フィオルディリ-ジ役のセレーナ・ファルノッキア。ホール・オペラの常連でもあり、貫禄です。あぶなげがない。やや華に乏しい印象もありますが、安心して聴いていられました。
 ドラベッラ役のニーノ・スルグラーゼは、グルジア出身の若手。スカラ座あたりでも活躍しているようです。パワフルで若々しい声は、やや蓮っ葉な妹に似合わないでもありません。ヴィジュアルもよく、若きネトレプコみたいな感じです。
 デスピーナ役のダヴィニア・ロドリゲスは、美声と安定度、コミカルな演技で将来有望と思わされました。会場で会った知人の話だと、指揮者のフリッツア夫人とか???知らなかったなあ。

 男声陣では、グリエルモ役のマルクス・ウェルバが頭ひとつ出ていたでしょうか。スタイリッシュな美声、うまいです。
 フェッランド役のフランチェスコ・デムーロは、リサイタルを聴いたときと同じ感想、素質はありますが、きちんと歌う、という点ではこれから。でも将来が楽しみではあります。
 ドン・アルフォンソ役のエンツオ・カプアノは、安定していましたがパンチには欠けるかもしれません。声の魅力がいまひとつほしかったかもしれない。

 けれど、音楽面での一番は、ルイゾッティ指揮のオーケストラ(東響)。「コジ」がこんなに官能的だったなんて!第1幕の姉妹とアルフォンソの小三重唱など、「宗教的」という声もきく曲ですが、今日はなめらかなにおい立つような弦のせいでしょうか、じつに官能的でした。
 音楽面では、アリアをすべて演奏し(なのでやや長い。また第1幕のグリエルモのアリアはK584)、通奏低音に、チェンバロ、フォルテピアノ、テオルボを用意して使い分けていた(プログラムによれば指揮者の発案)のも発見でした。
 ルイゾッティ自ら奏でていたフォルテピアノのパートでは、レチタティーヴォでロッシーニの歌曲!(ピアノフォルテのみ)を入れる遊び心もあり。

 そして注目の最後の演出。今回、2組のカップルは、2度入れ替わり、もとのさやに戻ります。
 知人いわく、「男は愛していなくとも浮気し、女は新しい男が現れればなびく。そんなものだよ、ということなのでは」。
 その彼は、やはり原作通り、もとのさやに戻る(というのは上に書いたような意味なのですが)のが、一番好きなのだ、と言っていました。

 なるほど、ねえ。

 「コジ・ファン・トウッテ」。やはり奥の深いオペラです。






最終更新日  March 19, 2010 12:25:41 AM
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March 15, 2010
カテゴリ:音楽
 行楽日和の日曜日、びわ湖ホールに出かけました。
 今回は、講座ではなく、プロデユース・オペラ「ラ・ボエーム」の観賞が目的です。
 昨年から定着した、神奈川県民ホールとの共同制作。ベルリン・コミツシェ・オーパーの、アンドレアス・ホモキによるプロダクションをもってきた公演でもあります。
 当然、開幕前の関心は、ホモキの演出にありました。
 事前にきいた話では、装置はシンプル、休憩なし、最後は男性たちは「出世している」という設定だということで、それはそれで面白そう、とは想像していました。

 実際、プロダクションとしては、よくできている、というのが実感でした。

 設定は現代に置き換えてあり、ロドルフォたちは認められていない若いアーティスト。第4幕ではなるほどロドルフォはじめ一同は出世しており、ロドルフォは「ミミ」という作品がベストセラーになっている売れっ子作家で、贅沢なパーティを開いています。そこへ、瀕死のミミが転がり込む。最後はロドルフォはいたたまれずに、逃げるようにその場を去ります(ピンカートンみたい!)。マルチェッロもしかり。最後はミミとムゼッタだけが取り残されるのです。なかなかシビアというか、現実的ではあります。
 そのシビアで現実的な姿勢を一貫させ、「ラ・ボエーム」を、現代の若者たちのドラマとして説得力をもって提示できたことは、やはりホモキ氏の才能でしょう。
 
 装置らしい装置は第2幕で立ちあがる巨大なクリスマスツリーだけですが、それが場面に応じて飾り立てられたり倒れたりして、その場の空気を代弁していました。

 人の動かし方はかなりせわしないですが、音楽との齟齬が感じられないのは、ホモキミ氏が音楽をよく理解しているからだと思います。

 ただ一方で、この手のプロダクションは、音楽を考慮して作られていても、どうしても動きを重視するので、音楽に浸りきれないうらみが残ります。
 今回、若者たちを見つめる「周囲の視線」のように、台本にない場所に群衆が登場するのですが、それが目ざわりになることがしばしばりありました。
  たとえば合唱が主体の第2幕は音楽も動きが多いからいいのですが、第1幕あたりは、なかなかきびしい。
 第1幕では、前半のにぎやかな部分を中心に、群衆が絶えずあらわれるのですが、主役たちがこのなかに埋没してしまうのです。
 音楽的に存在感を示せればいいのですが、残念ながら男性ソリストは、そこまでのレベルに達していない感じがしました。
 核になるべきマルチェッロ役の堀内康雄さんが、練習中に肉離れを起こして降板してしまったので、それも大きかったのでしょう。代役の迎さんは奮闘してはいましたが・・・
 とくにテノールが魅力に乏しいのが残念でした。
 現地のコミッシェ・オパーでは、どんな歌手でやっているのでしょうか・・・

 浜田理恵(ミミ)、中嶋彰子(ムゼッタ)と世界クラスをそろえた女性陣はさすがでした。とくに中嶋さんは貫禄です。出てくると舞台がしまる。すごい存在感です。

 いずれにせよ、声に酔う、プッチーニの音楽の甘さに酔う、という楽しみ、イタリア・オペラの楽しみは、このプロダクションにあってはあまり重視されていないようでした。
 動きが優先されているせいもあると思いますが、イタリア語はほとんど聞こえてこないというのが実感でしたから。(コミッシェ・オパーですから、現地ではドイツ語でやっているのでしょうか)
 「歌劇」より「演劇」なのです。
 これを、イタリア・オペラと呼ぶのは、正直ためらいがあります。

 もちろんこのようなあり方は、大あり、だと思います。最初に書いたように、プロダクションとしてはうまくいっている、と思う。
 ただ、本当なら、これは、コミッシェ・オパーの引っ越し公演でやるべきなのではないか、と思ったのも事実です。
 イタリア~ドイツ~日本、と何重にもフィルターをかけるより、(以前のヴェルディ・シリーズのように)イタリア~日本か、日本発信のイタリア・オペラ、のほうが、やはりわかりやすいのではないだろうか。
 
 それはもうさんざんやったから、という声があるのは承知の上で、そう思いました。

 いずれにせよ、一見の価値はあるプロダクションです。神奈川公演は、3月27,28の両日です。

追記:やはりベルリンでは「ドイツ語」上演だったようです・・・なので、言葉と音楽の関係は脇に置かれているわけですね。






最終更新日  March 16, 2010 11:40:29 PM
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March 6, 2010
カテゴリ:音楽
 今月のメト・ライブビューイングは、あのドミンゴが主役を歌う「シモン・ボッカネグラ」。
 テノールであるドミンゴが、バリトンのタイトルロールに挑戦すると、話題になっている作品です。
 ご存じの方もあるでしょうけれど、ドミンゴはこの役を、昨年10月のベルリンを皮切りに、世界展開しています。2月のメトにつづいて4月はスカラ座。
 とはいえ、2月の来日中に体調をくずし、手術を受けているということなので、心配ではありますが。

 さて、一説によるとパヴァロッティより年上、つまり70代!だというドミンゴの演唱、やはりりっぱなものでした。
 青年を演じなければならないプロローグでは、さすがに視覚面も含めてちと苦しく、動きもにぶい感じがしたのですが、第1幕からは役柄との違和感もなくなり、そのせいもあるのでしょう、彼のまれな歌役者ぶりを堪能することができました。
 瞬間瞬間の感情に入り込む技は、超一級です。
 歌唱面でもまったく危なげなく、声域もあっているようでした。幕間のインタビューで本人もそう言っていましたが。
 もともとバリトンからスタートしたひとですし、得意な役もオテロなど、テノールといってもある種バリトンに近い表現力が要求される役柄。
 またヴェルディでは、バリトンはそれ以前のイタリア・オペラの男性低声より高いわけですから、声域、声質の落差はあまりないのでしょう。
 さすが、貫禄の成果でした。
 
 苦しそうだったのはむしろ指揮のレヴァインかも。病み上がりのせいもあるのでしょうが、膨張ぶりはファルスタッフなみ?肩で息をしているのが画面からもわかりました。何しろカーテンコールのとき、どんちょうにつかまっていましたから。

 音楽的にも上々の公演だったのではないかと思いますが(とくにアメーリア役のピアチョンカ)、改めて思ったのは、「これはブラームスの室内楽のような音楽だなあ」ということ。
 美しいのですが、それを味わうために集中力を要求されます。語りが多いし、ある意味ワーグナー的といえばいえないこともないのでしょう。
 やはり、イタリア・オペラの枠を逸脱した作品、という印象を受けました。

 4月にはスカラ座で聴く予定なので、それまでにドミンゴが回復することを願いたいものです(ダブルキャストのBキャストはカルロス・アルバレスなので、それも悪くない、こともたしかですが)。






最終更新日  March 7, 2010 10:02:14 PM
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March 1, 2010
カテゴリ:音楽
 神奈川県立音楽堂で、パーセルの音楽劇「アーサー王」を観ました。
 昨年、ヘンデルの「王宮の花火の音楽」で評判になった、フランスのバロック音楽団体、コンセール・スピリチュエル(指揮はエルヴェ・ニケ)の演奏です。
 セミ・ステージ形式ということで、オケは舞台に乗り、その左右に小さな照明入りステージが設けられて、ソリストはその上で歌い、また内容を補うためにバレエがつけられていました。
 オケの後ろの上方にはスクリーンが出て、字幕もですが、説明のためのシルエットやら、演出家の手になるおふざけのせりふなどが映し出される、という趣向でした。

 初めに、演出家(伊藤隆浩)主体のプレトークがあり、作品の説明をした、はずなのですが、いまひとつよくわからず。こちらの飲み込みが悪いのかもしれませんが・・・
 とにかく「パーセルの音楽をあじわってください」という内容に尽きていたように思います。

 そうですね、パーセルの音楽は、それなりに面白かったのですが、いかにせよ、物語がまるでない、という印象でした。プログラムにある解説ではそれなりに筋は通っているようなのですが、音楽のつけられている部分はほとんど劇の進行に関係がないので、そのせいだろうか、とも思ったのです。
 今回は、セリフはほぼ抜きの上演で、残されている音楽10曲のみの上演でしたので。
 これだと、よく言われる「セミ・オペラ」でもないよなあ、という感じ。
 加えて、スクリーンにいろいろ、日本の状況を茶化した説明やらなにやら映るものですから。演出家は関連づけているつもりなのでしょうが、微妙なところです。

 演奏は、パーセルとはいえとてもフランス風で、まあこれは団体の持ち味なのでしょう。リュリのようにも聴こえました。
 昨年のヘンデルほどの斬新さは感じなかったのが正直なところです。
 途中、宴会のシーンでは、指揮者やオケが祝杯をあげるマイムもしていました。

 こんなものかな、と思っていたら、終演後、演出に大ブーイング!今まで日本で聴いた公演のなかで、5指に入るくらいでした。
 え、と驚き、つい帰り際に、同じ作品をおなじ演奏家が、モンペリエで上演したDVDを買ってしまいました。

 いや、これが、まったくちがったんですね。
 演出はフランスのコメディアンが担当したそうで、それこそコミカルな寸劇だらけなのですが(指揮者のニケが途中で歌ったり、楽器でいろいろ遊んだり、コメディアンとのやりとりがあったり)物語はよくわかります。
 こちらはスタッフがみなフランス人ですから、あうんの呼吸なのでしょう。

 今回の日本公演で、演出家と演奏家の間のコミュニケーションがどれくらいとれていたのか、疑問に思えてしまいました。






最終更新日  March 1, 2010 03:13:06 PM
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February 27, 2010
カテゴリ:音楽
 オーストリア生まれのバリトン、マルクス・ウェルバといえば、サントリーホールのホール・オペラのシリーズ「モーツァルト&ダ・ポンテ三部作」でおなじみ。
 とくに昨年の「ドン・ジョヴァンニ」のタイトルロールは、スタイリッシュで素敵でした。

 なので、オペラ歌手という先入観があったのですが、昨夜「歌曲の夕べ」を聴いて、印象が変わりました。
 
 プログラムにある真鍋圭子氏のエッセイによると、ウェルバが本来一番好きな世界はリートだったのだそうです。

 なるほど、それを納得させるできばえでした。
 シューベルトのイタリア語歌曲、ベートーヴェンの「はるかなる恋人に」、そして「詩人の恋」というプログラムだったのですが、イタリア語歌曲のオペラを思わせる息遣いから、「詩人の恋」の、文字通り各曲を1編1編の詩として描く力まで、とにかく表現が広い。
 とくに「詩人の恋」は見事でした。どれもこれも、詩の表情、世界が立ちあがってくるのです。曲ごとに切り替わるその世界の広さ。
 ニコラ・ルイゾッティのピアノもそれに負けない雄弁さで、2人の息がぴたりと合い、音楽の絵画を作り上げていました。
 ルイゾッティはリートリサイタルの伴奏をするのは初めて!だそうですが、それはそれは真摯な取り組みで、シューマンの世界への共感が伝わってきました。
 イタリア人ピアニストと、オーストリアといってもイタリアにごく近い歌手の組み合わせとあって、それなりに明るい色調ではありましたが。
 
 面白かったのは、終演後に行われた「ミート・ザ・アーティスト」と題された聴衆との交流会。
 真鍋氏の通訳&司会で、2人のおしゃべりと質疑応答が行われました。

 ウェルバは、若いころからリートに親しんでいたことを披露し、(最初に先生の前で歌ったリートが「冬の旅」の「からす」!だそうです)、「詩人の恋」は精神的にとても大変な作品、詩人が苦しんでいるのが伝わり、その気持ちに悩む、エネルギーがとても必要だが、アーティストとしては最高、と語っていました。いいリート歌手が少ない現在、ぜひこれからも彼のリートを聴いてみたいものです。

 ルイゾツティは、コンサートでリートの伴奏をするのははじめて、もちろん好きで個人的には弾いていたが、まさかこんなことをするとは思わなかった、と会場を笑わせました。
 
 面白かったのは、質疑応答でまっさきに手を挙げた江川しょう子さん(すみません、字が出ません)の質問への回答。
 江川さんが、「イタリア語の歌の伴奏をするときと、ドイツ語の歌の伴奏をするときは違いますか?」と質問したのに対し、
 「全然違う」とここでもまず笑わせ、
 「ドイツ人は内向的で、イタリア人はエモーショナルです」といいました。
 「シューマンはとくに内向的。理想の、見たこともない恋人に恋をして悩むんですから。
 イタリア人はそうじゃない。実在のひとに恋をして悩むんです」

 えらくわかりやすいたとえで。会場はどっと沸いていました。

 「テンポが速いのではないですか?」という質問には、
 「楽譜に書いた通りにやっているつもりなのですが。私たちが間違っているかもしれませんが・・・」
 と真摯な答えが返りました。

 「ウェルバと一緒に取り組んでいて、いろいろ議論もしました。作曲家が言いたいことがつかめたと思った時は、とてもうれしい」
 「音楽をやっている時は、音楽のことしか考えない」

 どうも、こういう言葉に弱いんですね、私。

 ウェルバ&ルイゾッティ。3月のサントリーホール・ホールオペラ「コジ・ファン・トウッテ」も楽しみです。

 http://www.suntory.co.jp/suntoryhall/sponsor/hallopera2009/index.html






最終更新日  February 27, 2010 02:52:34 PM
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January 24, 2010
カテゴリ:音楽
 快晴です。ホテルの窓から見える、びわ湖がとてもきれいです。

 2時開演の、「オペラ・レクチャー・コンサート」のため、昨日から大津にいます。
 ホールの隣のビジネスホテルで、朝を迎えました。

 昨日のゲネプロも順調。
 出演は、びわ湖ホール・声楽アンサンブルのみなさんですが、曲に入れるセンスの持ち主であるソプラノの佐藤路子さん、ハリのある安定した美声の持ち主、二塚直紀さんは、関西ではトップクラスの実力の持ち主です。
 プログラムは、「コジ・ファン・トウッテ」「ラ・ボエーム」のハイライトですが、
 上のお2人が競演する、「コジ」の、フィオルディリーージとフェッランドの二重唱、
 3月の公演「ラ・ボエーム」でロドルフォのアンダーをつとめる清水徹太郎さんと佐藤さんとの「ボエーム」のアリアや二重唱はききものです。

 ホールのお隣の湖岸には、新しいカフェも何軒かあり、事前のランチや、アフターのお茶にぴったりです。音楽の前後に、湖を眺めるひとときの贅沢も味わえます。

 当日券あります(指定席、2000円です)。びわ湖ホール小ホールにて、2時開演。快晴の日曜日、お出かけ先を検討していらっしゃる方は、ぜひ!






最終更新日  January 24, 2010 08:19:17 AM
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January 14, 2010
カテゴリ:音楽
 昨年の最後のオペラも、今年の初オペラも、「椿姫」でした。
 昨年最後は静岡で、今年の最初は、作曲家の生地ベルガモにある、ドニゼッティ歌劇場の引っ越し公演。
 ドニゼッティ歌劇場は、「椿姫」と、ドニゼッティの名作「愛の妙薬」の2本立て。さすがというべきか、作曲家ゆかりの「愛妙」がはるかに楽しめました。

 もともとドニゼッティ歌劇場というのは、常打ちの劇場ではありません。オペラは特定の時期だけ、フェスティバルのようにしてドニゼッティのオペラを上演するだけです。
 昨年の秋、ちょうどベルガモに観光に行き、劇場のなかも見せてもらえましたが、伝統的で家庭的な雰囲気、といえばきこえはいいですが、要するにイタリアの田舎の劇場。常設のオケもなところです。
 ちょうど見学のとき、来日演目である「愛妙」の公演中で、舞台装置が舞台に乗っていました。シンプルといえばこれもきこえがいいですが、ちょっと庭園風の、どうということのない装置。うーん、どうでしょう、と思ったのは事実です。

 ところが、これがけっこう気がきいていたのですね。
 シンプルながら、庭園のような装置はまんなかの塀の部分が閉じたり開いたりして、うまく変化がついている。色彩も春のような淡い感じで、舞台で実際に観るとなかなか素敵です。
 加えて、衣装がそれにぴったりの、白をベースにした淡い色合いで、背景とうまくマッチしていました。
 ベロットというひとの演出自身も、とても気がきいていました。
 序曲の間には、幕前にドウルカマーラと、ベルコーレの一隊が登場。これから村へ向かって行くようすの描写、というわけです。
 ドウルカマーラには、男女それぞれ2人のバレリーナがおつきのようにつき従い、場面に応じてしゃれた演技を見せていました。
 歌手たちも、演技は堂にいっていました。日本人だと、残念ながらなかなかこうはいかないかな。とくにブッファの演技は、日本人はどうしても硬くなってしまいますね。

 とはいえ、公演に満足できた第一の理由は、やはり音楽。
 一にアデイーナのランカトーレ、2に指揮のステファノ・モンタナーリでしょうか。

 ランカトーレは成熟してきた感じです。10月にフィレンツェで聴いた「リゴレット」も素晴らしかったですが、今回もそれにまさるとも劣らず。存在感のある、しっとりしていながらきらめきのある声は完璧にコントロールされていました。何より、歌にも演技にも、そして容姿にもかわいらしさがあります。ほんと、観ているだけでチャーミングでした。
 以前、同じ役を森麻季さんで聴いたときも感心しましたが、やはりこれに比べると森さんはメカニカルというか、女性らしい湿り気が足りない気がします。

 ネモリーノ役のロベルト・イウリアーノも健闘。途中で声が出なくなってはらはらしましたが、「人知れぬ涙」は熱唱でした。このひと、プログラムの写真より本もののほうがずーと素敵でした。
 
 掘り出しもの?は指揮のモンタナーリ。経歴からみると古楽系のひとのようですが、そのせいもあるのでしょうか、痛快なほど活気に満ちていました。テンポも大胆ですが、歌手とは齟齬なく音楽がうまく流れていました。正直、「椿姫」のときとは別のオケのようだったのです。
 カーテンコールも盛り上がり、みなのりのりで、何度も手をつないで舞台奥にしりぞいては前面にかけだしてきていました。最後はオケピットの横の花道?まで出てくるノリようでした。
 
 これに比べると、「椿姫」はいまひとつ。
 主役のデヴィーアが売り物の公演でしたが、デヴィーアはとくに後半では熱演だったものの、第1幕はちょっとはらはらさせられました。
 声が少し重くなったような気もします。迫力はありますが・・・
 ほかの歌手は中堅どころ、ジェルモンのアルトマーレなど、イタリアではよく出ているひとだとおもうし、きいたこともあるとおもうのですが、そう印象に残っていません。
 アルフードのアントニオ・ガンディアは、声はいいですが、まあうまい、というところまでは、という感じです。アルトマーーレとならんで、そこそこ出ている、というクラスの歌手だと思います。
 もっとも今回の公演、歌手はデヴィーアとランカトーレが売りで、あとは中堅どころで固めていることは織り込み済みですから(お客さんも大半のひとはわかっているはず)、こんなところでしょう。
 「椿姫」の不満は、むしろパニッツアの演出とチンクエグラーニの指揮。「ベルエポック時代」とやらの演出は中途半端で、ベッドの枠(なぜか丸い)がアリアの間にぎいぎいいいながら上下するのは疑問でした。衣装もセンスがいいとはいえないような。
 指揮は、まあ何もないような。ただ振っているだけ。歌手との呼吸も合わない部分がありました。後できいたところによると、ゲネプロの時間がごくわずかだったとか。明らかにかけだしの指揮者、それは酷ですね。

 ともあれ、「愛妙」は、公演としては、これまで観た「愛妙」のベスト3に入るように感じました。さすが、手の内、というところでしょうか。やっぱりオペラって、伝統芸能、です。
 
 こういうのを観ると、イタリア・オペラ大好き!とあらためておもいます。批評家諸氏が絶賛していた新国の「ヴォツエック」より、私はやっぱりこっちがいいなあ。






最終更新日  January 15, 2010 11:11:46 PM
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