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加藤浩子の La bella vita(美しき人生)

加藤浩子の La bella vita(美しき人生)

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September 2, 2020
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 藤木大地さんといえば、日本を代表するカウンターテナー、と言われますが、日本が生んだ、世界のオペラ界で通用する初めてのカウンターテナー、と言った方がいいように思います。

 

 男性テノールが裏声で歌うカウンターテナーは、20世紀の後半からヨーロッパでは市民権を得てきました。が、オペラのレパートリーがまだまだ狭い日本のオペラ界では、カウンターテナーの役柄がある20世紀半ば以降やバロック時代のオペラは上演が少ないこともあり、それほど活躍の場がありませんでした。

カウンターテナーという存在自体は、日本では1990年代以降、米良美一さんら何人かが注目されていましたし、宗教作品の分野では活躍している方もありましたが、オペラではまだまだ、だったと思います。

 

 藤木さんは、そんな現状を打ち破った初めての日本人カウンターテナーです。カウンターテナーとして初めて日本音楽コンクールで優勝したのをはじめ、ボローニャ歌劇場、そしてオペラの殿堂ウィーン国立歌劇場に、日本人のみならず東洋人初のカウンターテナーとしてデビュー。大きな話題になりました。

 先日は「らららクラシック」に出演して大好評。この秋には、新国立劇場のシーズンオープニング「夏の夜の夢」で新国デビュー。主役である妖精王オベロンを歌います。(本当は4月の「ジューリオ・チェーザレ」で新国デビューの予定でしたが、ご存知の通り中止になりました)

 

831日、その話題の人、藤木大地さんを朝日カルチャーオンラインにお迎えし、対談講座を行いました。対談と言っても、実質的には藤木大地ロングインタビュー。

 いや、とても、興味深いお話が聞けました。なぜ藤木さんが「世界のフジキ」になったのか、私なりにお伺いすることができたかも、と思っています。

 

 藤木さんは、もともとの声はテノールです。それが、声が出なくなった時に裏声を試してみたら、いい声が出て、自然に歌えた。それでカウンターテナーに転向。世界に羽ばたきました。その話は「らららクラシック」をはじめ、あちこちで語られています。

 

 私が知りたかったのは、

 テノールからカウンターテナーに転向したらレパートリーがガラリと変わる。それに抵抗はなかったのか。

 ということと、それ以前に、そもそも、「なぜオペラ歌手なのか。ポップス歌手でもよかったのでは」 ということでした。

 

 二つとも、謎?が解けました。

 

 まず「なぜオペラ歌手を選んだのか」について。

 「最初は芸能界に入りたかった。目立ちたかったし。チェッカーズ、藤井郁弥が大好きで(似てます!)」

 あ、やっぱり。

 それがそうならなかったのは、

 「宮崎の田舎で、芸能界に入るなんて言ったらみんなが応援してくれなさそうで。高校が進学校だったので最初は進学するつもりだったのですが、数学でつまずいて。なら好きな音楽をやろうと思った」

「で、クラシックの声楽なら、みんなに応援してもらえるかなって。それで声楽を習いはじめました。ただ音大を受けるとなると、家にピアノもなかったので、学校の音楽室のピアノを勝手に借りて放課後とかに練習していた」

それで、芸大に現役で受かってしまうのですよ。。。

もともと「美声だって褒められていた」そうですから才能はあるわけですが、それに加えて頭が良くて集中力があるのは、明らかです。

 

その先がまた面白い。

とにかく、「オペラに全然興味がなかった」という。

 

「芸大入って、周りはオペラ好きばっかりですが、全然興味が持てなくて。「いい声」「自然な声」を出すことには興味があったのですが」

 フリッツ・ヴンダーリヒのファンだったそうです。うーん、オペラより歌曲ですね。

で、芸大を出た時に、とにかく食べなきゃいけなくて、「新国立劇場の研修所を受けたら受かってしまった」

 それ、芸大に入るくらい、いやそれ以上に難しいかも。

 

 というわけで、やはり才能はおありになるわけですが、その後奨学金を得てボローニャに留学したり、再度奨学金を得て、今度はウィーンに行きます。けれどそこでは音大の大学院でマネジメントを勉強。20代は色々試してらしたんですね。

 で、30前に、テノールの声を壊してカウンターテナーに転向、成功しました。

 それで、私が知りたかった、テノールのレパートリーを変えることへの抵抗、ですが、

 

「もともと、テノールでオーディション受けていたときって、「フィガロ」のバジーリオとか、「道化師」のペッペとか、脇役で受けていたんです。その方が受かる確率が高いし、舞台に立てる可能性があるから」

 そうか、テノールの王道レパートリーじゃなかったんですね。

「僕の声はそういう方が向いているって、周囲にいる人たちが言ってくれたから」

 これが、どうも、大きなポイントです。

藤木さんのやり方の一つに、周囲の意見を聞く、というのがあります。ご自分を常に客観的に見ているのです。どうやったら、自分という個性を一番生かせるか、それを常に考えている。だから、カウンターテナーの発声で歌ったら「いい声だ」と言ってもらえたら、躊躇なく転向する。声種より、まず舞台に立って歌うことの方が優先順位が高いのです。それは、はっきりしている。

優先順位がはっきりしていること、そして自分を客観的に見ていること。これは、藤木さんの強みだと感じました。

もちろんもともとの才能はおありなのですが、それをどう活かすか、ということを常に考えている。セルフマネジメントですね。

 

アーティストは、とかく浮世離れしているイメージが付き纏いますが、これからの時代、アーティストにも、このようなセルフマネジメントが必須なことは明らかです。
折しも、「クラシック音楽家のためのセルフマネジメントハンドブック」(アルテスパブリッシング)という本がベストセラーになっています。

 

そして、藤木さん、機会を与えられれば速やかに行動し、全力投球します。今は、とにかくいい声で、世界で歌う、ことが優先でしょう。けれど一方で、「5年後には何をやっているかわからない」と冷静に思っている部分もある。冷静と情熱のあいだ。それを行き来しながら、「今」を十全に生きている方だ。そう思いました。

 

他にも、カウンターテナーは声が消耗しやすいので、テノールやソプラノのように声が熟成するとか、この役が目標、というのはない、というお話も興味深いものでした。

 あ、得意料理はカルボナーラと(日本風の)ナポリタン、というこぼれ話も。

 

持って生まれた才能、というのはあります。けれどそれを活かすも殺すも本人次第。それを改めて強く思った、8月最後の夜でした。







最終更新日  September 3, 2020 10:43:45 AM


December 14, 2009
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 何度かこのブログで予告した、岩田達宗さんとの対談レクチャー、無事終了しました。
 対談といっても、ほとんど岩田さんの独り舞台。つまり、魅せられてしまったのです。

 よくあるパターンですが、岩田さんはもともと演劇の方。途中で、オペラに向いているとある高名なオペラ演出家に言われ、転向したそう。
 その理由は、ひとつは演劇は、演出家の独裁になりがちなこと。出演者は演出家のいうとおり、それではつまらない、幸せじゃない、と思ったとか。
 「オペラはいろいろめんどくさい。指揮者もオーケストラも、もちろん歌手も説得しなきゃならない。でもそのめんどうくささが、好きだったんです」。
 そしてオペラは、「僕が幸せになり、お客さんも幸せになる」方法だと。
 
 岩田さんの演出のすばらしさは、作曲家の表現したかったことを、できるだけ自然に、目の前のお客様に伝えようとしていることです。
 ト書きとおりにやったのでは、今の、たとえば日本のお客様には伝わらない。ではどうやれば、作曲家の意図したとおりに伝わるか、を、工夫しているのです。
 たとえば、「ボエーム」の第3幕の雪の場面。パリの雪は冷たい。でも、日本人の感じる雪は、歌舞伎が典型的だけれど、あたたかい。だから普通に雪を降らせても、冷たさが出ない。
 そう思った岩田さんは、第3幕ではあえて雪を降らせずに、凍った地面などをつくって、冷たさを出したのだそうです。
 
 ほかにも、いくつか映像を見ながら解説いただいたのですが、一番感動したのは、「ファルスタッフ」のラストシーン。
 名古屋で行われたこのプロダクション、舞台の上にもうひとつ舞台を置いて、その上で進行するような形だったそうですが、最後のフーガのシーンでその第2舞台?にかかっていた布が外れると、石のようなもの、そして背後にステンドグラスが。
 「これは、ストラットフォード・エイボンにある、シェイクスピアのお墓なんです。」
 それが、岩田さんの説明でした。実際に見ていらしたようでもありました。
 「ヴェルディは、シェイクスピアが好きで好きでしかたなかったんですね。
 だからこの最後の作品の最後のシーンで、彼のシェイクスピアへの愛情をあらわしてみたんです」
 そんな説明だったと思います。
 
 感動しました。そこまで汲んでくれたら、ヴェルディはうれしいんじゃないでしょうか。
 
 指揮者も、同じようなことを言ったりします。10月にトリノで「椿姫」を見たとき、指揮のノセダ氏は言いました。「ヴェルディが喜んでくれるように」。そう言える演奏家は、信用できるように感じます。
 演出も、同じなのではないでしょうか。

 巷によくある、自分流の「読み替え」に辟易している身としては、岩田さんのスタンスには快哉を叫びたいところです。
 
 終了後のお茶会で、受講生の方から、その手の独裁的な演出への不満が出ましたが、岩田さんいわく、
 「そういうのとの戦いです」
 そうでしょう。納得と同時に、ほんとうに応援したくなりました。
    
 
 






最終更新日  December 31, 2009 01:11:19 PM
October 28, 2009
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 ツアー2本、ちょうど20日の旅を終えて、無事?日本に帰り着きました。
 小春日和というのでしょうか、ぽかぽかです。イタリアで一時寒さに震え、コートを買い込んだのが嘘のよう。

 さて、ツアーの間にはいろいろなことがありましたが、とくに感謝しているのが、1本目のツアーにご参加された、車椅子の方へのご協力。
 脳梗塞でお体が不自由になられたご主人様と、奥様とのご夫婦でしたが、みなさまとても気遣ってくださり、悪路に難渋する車椅子を押したり持ち上げたりするのをお手伝いくださいました。

 一番積極的だった、ある60代のご夫婦いわく
 「ああいう姿を見ると、励まされる」
 そのような体になっても、音楽の旅にチャレンジする、その積極性に力づけられた、とお話されていました。

 車椅子のご主人さまは、大のモーツァルティアンで、ご自宅に「カーサ・モーツァルト」という資料室を開き、オープンの時にはウィーンから、オットー・ビーバ国立図書館資料室長もかけつけたそうです。
 もちろん、そうそうたるモーツァルトの先生方も、みないらしているとか。

 そのご主人、スカラ座で「イドメネオ」を見たときお隣だったのですが、表情がまるで違いました。
 食い入るように舞台を見つめるお顔に、生気が戻っていたのです。

 音楽の力、すごいです、本当に。







最終更新日  October 31, 2009 12:03:17 AM
September 1, 2009
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 自分の仕事を「天職」だと思っているひとに出会えることは、とても心地よいことです。

 ここしばらく、体のメンテナンスをしてもらっているある女性は、そんなひとりです。

 最近知ったのですが、そのひとは、生後7ヶ月の時に突然ぜんそくにかかり、14歳まで、病院の記憶しかないのだそう。 
 もともとご実家が漢方関係なのですが、その方面の薬から、医者から鍼から整体から、それこそいろいろ試したそうです。
 なので、今、その結果興味を持って身につけた技術を役に立て、仕事をしていることを、「天職」だと表現していました。
 その言葉で、彼女への信頼が、いちだん高まった気がしました。
 
 健康法の分野でパイオニアになるひとには、小さいころにいろいろな病気を経験したひとが、少なくありません。
 自分が辛い体験をしているから、体のしんどいひとの気持ちも分かるのだと思います。

 私も、その時にもよりますが、かなり体が楽になり、助かっています。

 ちなみに彼女のサロンは、このご時世なのにいつも超満員。電話やネットで予約する日が3ヶ月ごとに決まっており、その機会を逃すとまた3ヶ月待ち、という盛況ぶりです。
 本当にいいものなら、景気は関係ないのかも。こんな例に出会うたび、いつもそう思ってしまうのです。







最終更新日  September 3, 2009 01:42:41 PM
July 23, 2009
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 ずっと海外に出ていて(いつものようにブログもさぼって・・・順次書き込みます)、帰りの飛行機のなかで、若杉弘先生の訃報を知りました。
 ショックでした。
 かなりお悪いよう、とはきいていたのですが、まさかお亡くなりになるとは・・・
 まだ、新国の芸術監督の任期途上でしたのに・・・。享年74歳とは、指揮者にしてはお若いほうでしょう。

 芸術監督が若杉先生に代わってから、新国の観客動員はアップしました。一部からは批判も聞かれましたが、ポピュラーな演目を中心に、ときどき初演ものをまぜるという方針は分かりやすく、支持されやすかったのではないかと思います。

 指揮者、若杉弘をはじめて意識?したのは、高校生くらいのときだったでしょうか。N響の演奏会かなにかで、アンコールに「ローエングリン」第3幕への前奏曲をさっそうと振られたのに圧倒されました。なんてかっこいい曲、と思ったことを覚えています。

 若杉先生が「初演魔」であったことは有名ですが、個人的には、なんといってもびわ湖ホールでの、ヴェルディオペラの初演にかかわらせていただけたことが、大きな思い出です。
 ヴェルディの拙著「黄金の翼」にお目通しいただいて、プログラムの解説をとお声かけくださったのですが、本当にいい勉強をさせていただきました。
 その間、いろいろな場で、若杉先生のオペラへの情熱を目にする機会に恵まれたことは、幸運でした。
 新国の監督就任にさいして、j慶應大学の婦人三田会で講演していただいたときには、プログラムのラインアップへの哲学を熱く語られていました。
 食べ物の話、絵画の話と、話題も広く、とてもダンディな方でもありました。
 びわ湖の芸術監督時代、京都で筍が出ると買い求めて帰り、酒かすで煮る、というお話に、繊細な食通ぶりがうかがわれたり、日本で行われたパルミジャーノ作品の展覧会に行かれ、「きれいだったなあ」と感動された姿に、芸術家の感性を感じました。

 深い感謝とともに、ご冥福を心よりお祈りいたします。

 

 

 

 







最終更新日  July 24, 2009 01:32:07 AM
July 1, 2009
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 気候が悪いせいでしょうか、最近、とつぜんの訃報をきくことが多いような気がします。
 コピーライターの眞木準さんもそのひとり。
 連れ合いが属している、六本木男声合唱団のメンバーなので、その集まりなどでお会いしたことがあったのですが、とても感じのいい方でした。
 イケメンでもあり、人気コピーライターときいて、なんとなく納得したものです。
 60歳の若さで、とつぜんの心不全で逝かれてしまったときいたときは、本当にびっくりしました。

 昨夜、その六本木男声合唱団の演奏会があったのですが、ちょうどプログラムが、2曲の「レクイエム」(モーツァルトと、団長でもある三枝成彰氏の)だったこともあり、眞木さんの追悼演奏会のように。
 団員が陣取っているP席のひとつに眞木さんの写真をおき、また三枝氏の「レクイエム」では、「永遠の安息を彼らに与え」などの部分で、「彼ら」の代わりい「眞木準」と歌って、追悼の意をあらわしていました。
 すばらしいお見送りの仕方だったと思います。

 演奏も、とくに「モツレク」は迫力満点でした。(指揮は小林研一郎、オケは新日本フィル)

 眞木準さんのご冥福をお祈りいたします。







最終更新日  July 1, 2009 10:21:42 AM
June 22, 2009
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 昨日は、ライプツィヒ・バッハフェスティバルの最終日。
 このフェスティバルは、ファイナルコンサートでは「ロ短調ミサ曲」が演奏されるのが、恒例となっています。
 もちろん、演奏家は毎回変わるわけですが。

 2001年から、ここでファイナルコンサートをきいているので、いろいろな指揮者で「ロ短調」を聴きましたが、これまでのベストは、ヘレヴェッヘの指揮によるものでした。
 終わった瞬間、「拍手しないで」と願ったくらい、ひきこまれてしまいました。
 
 ちなみに、「ロ短調」は、バッハの作品のなかで一番好きな曲です。
 10年前からそう言いつづけているのですが、音楽評論家の東条碩夫さんのブログに、「マタイ」が一番好きと言ったように書かれてしまいました。訂正の書き込みをしましたが・・・(笑)。
 ちなみに東条さんは「ロ短調」がお好きなようで、それはバッハを好きなひとからみれば変わっているんだろう、みたいな感じでしたが、いえいえ、そんなことはありませんです。
 一部の日本人には、バッハの最高傑作は「マタイ」という刷り込みがあるのかもしれませんが。

 それはさておき、今年のファイナルコンサートの「ロ短調ミサ曲」が、トーマス・ヘンゲルブロックの指揮と知った時、小躍りしてしまいました。
 待ち望んでいた名前だったからです。

 1958年生まれ、ドイツ人のヘンゲルブロックを初めて聴いたのは、ケーテンのバッハフェスティバル。手兵のバルタザール・ノイマン合唱団&アンサンブルと作り出すサウンドは、信じられないほどピュアで、澄んでいて楽器と声楽の境がわからなくなるくらい自然でした。
 ノン・ヴィヴラートをきわめると、息をするくらい自然に聞こえる、ということも知りました。
 そして、このような方法で器楽と声楽がひとつになると、バロック・オルガンのような響きが生まれることも・・・
 バッハのツアーもかね、ここ何回か聴きましたが、行くたび、ツアーメンバーからも、「こんなの、あり?」という声があがります。
 とくにバッハの「モテット」やパーセルの「アンセム」は絶品でした。

 オペラでも個性的な活躍ぶりで、自分自身で演出もしたり、他の分野のアーティストとのコラボレーションもしています。
 パリで見た、振付師ピナ・パウシュと共作の、グルック「オルフェオとエウリディーチェ」も、すばらしい舞台でした。

 同時代を生きていることが幸せと思える演奏家に出会えることはとほうもない幸運ですが、ヘンゲルブロックはまちがいなくそのひとりです。

 そのヘンゲルブロックが、いよいよ「ロ短調」!
 CDの名演もありますが、1997年と10年以上前の録音でもあり、
 1年以上前から、昨夜を首を長くして待ち焦がれていたのでした。

 果たして、超のつく名演、だったと思います。

 まずは合唱のうまさ。上に書いた通り、ノン・ヴィヴラートを徹底し、器楽とひとつになったようなサウンドで、息をするようにふくらみ、そのうえピュアで輝かしい。
 録音よりいちだんと、ふくらみが増していました。

 その合唱団のひとりひとりがソリスト級なのですが、ソリストのパートも、古楽でよくやるように合唱団のなかから出すわけですが(コンチェルティスト方式)、ひとりを立てるのではなく、団員がかわるがわる出てきてソロをやるのです。
 まさに、スーパーソリスト合唱団。

 とはいえ、やはりよかったのはアリアや重唱より合唱曲でした。
 ことばもクリアで明晰に発せられ、サウンドの純正さをいっそう引き立てていました。
 
 とくに曲間のコントラストは素晴らしく、これもバロック的といえるでしょうか。
 
 最後の「ドナ・ノビス・パーチェム」では、まさに天上へ向かってどこまでも引き上げられていく心地を味わいました。

 実は、、HPを通して、マネージャー経由でインタビューを申し込んでいたのですが、やはり終演後の混乱で、「後でメールで」という話になってしまいました。まあ、しかたないことですが。
 とはいえ、会場になった聖トーマス教会の、聖歌隊席へ通じる階段で、下りてくるヘンゲルブロックと一瞬すれ違い、ヴィジュアルの魅力的なことにノックアウト。
 ブロンドの下の目が青いではありませんか・・・そのかっこよさ。
 これまで、個人的には、ヴィジュアルはラテン系のほうが好みだとおもっていたのですが、うーん、ゲルマン系もかっこいい・・・
  どきまぎしつつ話しかけたのですが、もちろん相手はこちらが誰か承知しているわけもなく、すぐに下りてていってしまったのでした。

 そういえば、演奏中も、私は彼の背中に見とれていました。
 かっこいい、とか(もあるかもしれませんが)より、「気の通っている」背中だなあ、と感じ、見ていて気持ちがよかったのです。
 一流の演奏家には、それぞれ「気」が通っているように思いますが、ヘンゲルブロックのそれは、しなやかだけれど芯のある、硬めのそれのように感じられました。
 たとえば鈴木雅明さんなんかも、背中を見ていて「気」を感じますが、もう少しやわらかいような印象を受けます。

 それ以来1週間、いまだにぼおっとしたままなのです・・・

 







最終更新日  June 29, 2009 05:10:08 PM
May 22, 2009
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 先日亡くなられた、評論家の上坂冬子さん。
 たまたま、購入した雑誌で、佐藤愛子さんとの対談を含めた、上坂さんの記事を読みました。

 すごいな、と思ったのは、ノンフィクションを書くのはお金がかかる。
 だから、新聞記者時代に節約に節約をして、アパート、そしてマンションを建てた。
 そこで「もうお金はいらない」と思い、勤めをやめてノンフクションに専念することにした、というくだりです。

 音楽もそうですが、本などをまとめようと思えば、費用はいくらでもかかります。
 ノンフィクションだって、考えてみれば同じ。調べることが必要なものは、お金がかかるのが当たり前、ですよね。
 さすが、現実をよくわきまえていたのだな、と感服してしまいました。
 こちらが、浮世離れしすぎているのでしょうが・・・
 上坂さんのご主張にはあまり賛同できないのですが、辛口の裏側には、ご自分への厳しさもあったのかもしれません。

 別の方ですが、頼近美津子さんが亡くなられたのもちょっとショックでした。
 もちろん、面識があったわけではありませんが、クラシックの司会業?に光を当てたという点で、画期的だったと思います。
 53歳という若さも、驚きでした。
 
 才女お2人のご冥福をお祈りいたします。 







最終更新日  May 22, 2009 07:43:44 AM
April 18, 2009
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 「カラヤン」取材で今日までご一緒していた脳科学者、お分かりの方もいらっしゃると思いますが、茂木健一郎さんです。

 お別れにあたり、ご著書にサインをいただきました。
 これがイラスト入りの、とても素敵なサインなのですが、ご披露できなくて残念です。

 一方で、旅行中にさしあげていた私のバッハの本に、サインを求めてくださった気遣いに、温かさを感じました。 

 ユーモアにくるまれたお人柄の魅力もですが、本質はなにかといつも考えている、その真摯さを近くで見せていただいて、とても勉強になりました。

 旅の間に、「芸術は、自由じゃなきゃいけない」と、編集者にお話されていたことがひっかかり、「何から自由でなければならないのでしょう?」とお尋ねしたら、
 「何からというより、何かを求める自由」
 という答えがかえってきたことも、印象的でした。

 大野和士さんと初めてお会いしたときも感じましたが、人生、ちょっと変わったかもしれません。
 
 茂木さん、ありがとうございました。カラヤンのご本、楽しみにしています!

 

 
 
 







最終更新日  April 26, 2009 06:38:13 PM
March 18, 2009
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 都内某所で、コンサート形式の「カルメン」のために来日中の世界的メッゾ、ヴェッセリーナ・カサロヴァさんに会うことができました。
20090318NBS.jpg
 舞台を下りたカサロヴァさんは、ごく自然体な感じの女性。
 メイクも控えめだし、身なりも派手ではありませんが、やはりオーラは感じます。

 今回はたいへん失礼ながら、どうしても日程があわずに「カルメン」は聴きそびれてしまったのですが、以前ザルツで聴いた「皇帝ティトの慈悲」や、チューリッヒで聴いた「ポッペアの戴冠」がすばらしかった、と言ったら、喜んでくれました。
 考えてみたら、両方ともアーノンクールの指揮。カサロヴァさん、アーノンクールと相性がいいのでしょうか。
 6月は新国で「チェネレントラ」のタイトルロールを歌う予定で、これは今からすごく楽しみなのです。

 自然体で、謙虚さの感じられる可愛らしさ。今は、(カラスのようでなく)こういうプリマの時代かも。
 個人的にはカラスより、こういうプリマのほうが、好きです。

 写真は、チューリッヒの「ポッペアの戴冠」です。







最終更新日  March 21, 2009 02:46:31 PM

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