|
カテゴリ:つぶやき♪
お気に入りの新聞のコラムを、切り取っていて、ときどき取りだして読むことがある。
クリスマスの頃にいつも読み返しているコラムが、<昭和61年12月25日・徳島新聞の夕刊>のものだ。 <ちょっと ええ話> クリスマス・プレゼントの赤い長靴が店頭に並ぶと、子どものころを思い出します。 それは終戦後しばらくして世の中が落ち着き始めた時です。 ”クリスマス”がブームを起こし、ジングルベルの曲が日本中に鳴り響き、家々でケーキを買いツリーを飾ることが大流行しました。 そして子供も大人もプレゼントに熱中し、子供はサンタクロースが煙突から訪れるのを待ちました。 四歳の弟は「うちの煙突は細いよ。サンタクロースが入れるの」と真剣に心配し、小さな胸を痛めていました。 だが、わが家にサンタクロースは来ませんでした。 軍需工場に勤めていた父は失業中。 母は、五人の子供を養うためゲタの内職をし、夜中まで働いておりました。 クリスマスより、明日のお米の方が大事だったのです。 しかし、弟は、それを理解できません。 二十四日の朝も二十五日の朝も、跳び起きて贈り物を探しました。 どこにもないのを知ると、正座し、寂しさをかみ殺して沈黙を続けました。 母も耐えていました。 翌日、私は学校の帰りに、大事な小遣いであの赤い長靴を買い、それに手紙を書いて入れました。 そして弟に「サンタに橋の上で会ったの。昨日は忙しくて行けなかったからご免ねって言ってたよ。姉さん、プレゼントを預かってきたの」 「サンタクロースってどんな格好してた」 「哲ちゃんが思っている通りだった」 「やっぱりお願い聞こえてたんだ」 母のひとみから大粒の涙が落ちるのを見ました。 この一通の手紙は、弟が県外の大学へ行くまで机の引き出しに入っていました。 あれから三十数年を経た今も、弟と母から個々にこの話を聞くのです。 (徳島・悦ちゃん) 読み返すたび「どうぞ、このお3人がお元気でいらっしゃいますように・・・」と願っています。 ♪ それでは、みなさまも良いイヴをお過ごしください ♪ ・・・って、わたし、仏教徒だけどね (^_-)-☆ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|