2005/02/06(日)09:11
佐野洋子さん
先日注文していた書籍が届き、手元に3冊読みたい本があるにも関わらず、こちらからスタートしてしまった。
佐野洋子さんの「あれも嫌いこれも好き」、「神も仏もありませぬ」、「わたしいる」
佐野洋子さんは絵本作家で名が知られているのではないだろうか。
「百万回生きた猫」
残念なことに私はまだ読んだことがない。読むのが少し怖い。衝撃を受ける事が分かりきっているからだ。
佐野さんは絵本の翻訳も数限りなくされていているに違いない。
我が家には、「ゆかいなゆうびんやさん」と「バイバイ ベイビー」2冊ある
どちらもジャネット&アラン・アランバーグによるもので佐野さんによって訳されている。
彼女の言葉は声に出して読んでとても読み易い。
韻を踏んでいるようにすらすらと流れ心地良い。翻訳に関して云えば英語のニュアンスが失われる事無く、日本の異文化の言葉になってもそれが自然でそして外国の匂いも残されて訳されている。佐野さんの訳でサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」なんて最高にぴったりだと思うし、佐野さんは青臭いそれをもひらりとやってしまえると思う。
佐野さんのエッセイに初めて出会ったのは大学生も終わりの頃
その時佐野さんは45歳ぐらいだったのだろうか
「わたしの猫たち許してほしい」を書かれた
佐野さんが大学生当時を振り返ってのドイツ留学の様子等が書かれていたと思う
アメリカに来る時に持ってきて時々読んでいたのだが見当たらない
「孤島に一冊持っていけるとしたら」私はこれだと思うくらい気に入っていたゆえショックだ
持ち歩いていたからいけなかったのだろう
佐野さんは留学先の下宿やのおばあさんに初めて会った時
「おまえのハートは私のハートと同じ色、黒い」と言わた
その箇所に捕われてしまって以来私は佐野さんと切っても切れない仲になったと思う。
佐野さんのエッセイは絵に例えて云えば
フランシスコ・ベーコンの肖像画
名前が確かではなかったためグーグルで調べて見たら彼は1992年に亡くなっていた
知らなかった
長女が産まれてバタバタしていた頃だもんなあ
とにかくこのフランシスコ・ベーコンの肖像画は見るものの胸がえぐられる
目をそむけたくなる像だ
顔の輪郭はあるのだが顔の真ん中辺りがダリの絵にある時計のようにドロ~と溶けているような肖像
しゃがみ込んで泣いてしまいたい衝動にかられる
それが私にとっての佐野洋子さん
あれから20年近くも過ぎていたが
佐野洋子さんは佐野洋子さんのままだった
以下は森鴎外の娘森茉莉の作品について書かれた箇所
”不思議に思うのだが、ナルシストを盛大にてんこ盛りにされた文章など、普通なら私はケッとはき出し、「ざけんじゃねえいよ、勝手にやれよ」と不愉快になり、おまけに私は特に女の文章の中にナルシストっぽいところがけしつぶ程にかくされていても、ピンセットでつつき出す才能が異常に発達しているのに、森茉莉だけは何度読んでも、ナルシストの風に出会っても嬉しいのである。’
(佐野洋子 「あれも嫌い これも好き」から)