私は、本を読んでいると、その本の中で、気にいった人になるという、いたこ現象が現れます。空想が現実になって、そのまま、現実へ移行しちゃうこともあります。高校の時、井上靖氏の「淀どの日記」を読んでいた時は、私には、淀どのが降りて参りました。淀君は三姉妹で、淀は「ちゃちゃ」と呼ばれていたような・・。(うすい記憶・・)と、あと、妹は「おごう」と「おはつ」だったと思う(?、とっても怪しいい、誰かご存じの方はお教えください。)。まあ、それはいいとして、わたしは淀になるのです。当時、バスで通学していた私は、友達二人をひきつれて、バスを待つのでした。そして「おはつ、おごう、籠は、まだ、こんのかのう?」すると、おはつになった、チエちゃんが「ちゃちゃさま、まだのようでございますねぇ」と答えるのだった。バスに乗っても、いたこのままです。揺れるバスに「おごう、これ、おごうや。のう、おごう、この籠はゆれるのう・・。ちゃちゃはくるしゅうて、たまらん」と、当然のように会話をしていたのだった。いたこ状態はその本を読み終わって余韻が残っている頃まで、続けられるのです。言葉使いから、身のこなしまで、思い付くままに・・。さすがに、横溝正史の描く、おばばとかにはなれなかったけど・・。Ψ( ̄∀ ̄)Ψケケケ・・・。蒼き狼の成吉思汗(チンギスカン)には、男女のワクを超えて、いたこしました。モンゴルの大地を、果てしなく続く平野を馬にまたがって、土埃をあげながら、走り抜けました。「我はチンギスカンなるぞおお~!!」と叫びながら・・。
余談:私はチンギスカンの幼少の時の名前、「テムジン」そして、彼の父、「エスガイ」母「ホエルン」とこの響きが大好きだ。大地から、生まれた音。彼の息子は(客人の意味で)ジュチである。あ~~~いいな~~。ロマンを感じるのだけど。もう一つおまけ、モンゴル族の歌をひとつ。
「上天より命(みこと)ありて生まれたる蒼き狼ありき。その妻なる惨白き(なまじろ)牝鹿ありき。大いなる湖を渡りて来ぬ。オノン河の源なるブルカン岳に移盤(いえい)して生まれたるバカチカンありき」
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