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2010.01.19
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カテゴリ:シンガポール生活
ニョニャ料理を食べて、ペラナカンハウスを見学するツアーのBaba House 編その2です!


さて、それではいよいよ中へ入ってみましょう。

****

あいにく写真を撮る事ができないので、詳細をお見せする事ができませんが、

一般的なペラナカンハウスは、まず玄関を入るとお客様を迎える為の大きな広間でした。
そこには中国式の黒檀の家具祭壇が置かれていました。(写真1枚目↓)
その中国式の黒檀の家具には、胡蝶貝をはめ込んだ美しい螺鈿細工が施されており、嫁入り道具として女性が持ってきたものだそうです。
床には石(タイル?)が張られているからかエアコンがないわりに涼しく、大理石で出来たテーブルや椅子はひんやり冷たくて驚きました。

ペラナカンが愛用した中国式の黒檀の家具や祭壇についての詳細は こちら ペラナカンミュージアム

BabahouseTour


そしてプラナカンの家には、通常2つの祭壇がありました。
この玄関を入ってすぐの広間に祀られていたのは家の守り神で、もう1つは祖先の祭壇です。
通常、祖先の祭壇は家の奥、家族が暮らすスペースに祀られていました。
Baba House の広間(ゲストルーム)にある祭壇は、金が施されて大変豪華な黒檀の祭壇で、ウィー一族が実際に使っていた物だそうです。

海外との交易が盛んになりヨーロッパの文化がより入ってくる様になり英語による教育を受けるようになると、キリスト教に改宗する家族もありました。
キリスト教と中国式の祭壇がミックスした様な祭壇も、この頃から見られる様になりました。

ルーツが中国だったペラナカンの人々は仏教や道教、儒教などの影響を受けていることから、数々のタブーやげんかつぎを信じていました。
富と繁栄を呼び込もうとして描かれた文様や装飾が、家の壁や家具、食器などあちこちにみられます。
それだけではありません、食べる物や衣服など、衣食住の至る所にそれらをみることができます。

***

このお客様を迎える広間の天井をよく観察してみると、一部分色が違う所を発見できるでしょう。
この板(2階の床板)は外せる様になっていて、滅多に外に出る事を許されず人前に出る事が殆どなかったペラナカンの女性達が階下の様子を覗き見ることができました。
気にいらない客人が来ると、2階から汚物を投げつけた・・・そうですが、本当なのでしょうか。


玄関を入ってすぐのこの広間の奥が、実際の居住スペースや使用人達の部屋、キッチンがありました。
2階へ通じる階段と吹き抜け(中庭兼リビングダイニング)も居住スペース側にありました。

お客様を迎える為のこの広間から先へ行くドアは、右は男性用、左が女性用ときちんと区別されていました。
ペラナカン文化においては、女性と男性の立ち位置が厳格に守られていたのです。(写真なども同様。時に間違いがある場合もありますが!)

この広間の奥は吹き抜け(中庭)になっているのですが、空気(風)と水が混ざりあい良い気を取り込む様に・・・という風水に基づいているのだそう。

窓も無く屋根も無く、雨が降ったら大丈夫?という感じなんですが、テラス風でなかなか素敵(でも衝撃的)でした。
そしてこの吹き抜けの奥にキッチンがあります。(現在はNUSの事務所が併設されているそうです。)


狭くて急な階段を上がると、家族の寝室があります。
ここにあるベッドやスツールは、実際にウィー一族が使用していた物だそうです。

一族の写真などと共にウィー氏の書斎机なども遺されており、当時を偲ばせます。
今回こちらではご紹介していませんが、素晴らしいコレクションが多数展示されており、一見の価値あり!です。

***

かつてのシンガポールにはこの様なペラナカンハウスが沢山ありましたが、この様に当時の様子をここまでコンディションの良い状態で(復元し)維持しているの物は珍しいと思います。
カトン地区にも美しいペラナカンハウスが残る地区がありますが、ここまで当時のままの様子を維持した家はもうないかもしれません。(注3)

是非一度見学に行かれる事をお薦めします。

見学は完全予約制で、日本語か英語のガイドか選ぶ事ができます。
ガイドは10名前後の人数限定制です。


(注3)Katong Antique House という、今も実際にそこに住んでいらっしゃるペラナカンの方のお宅(こちらも貴重なコレクションあり。こちらも必見です)を見せてくれるところがあります。
そういう意味では今も現存する当時のスタイルが残るペラナカンハウスと言えなくもないのですが、こちらとはまたまったく雰囲気が違います。


最後に・・・


このババハウスもまた、かつてここに暮らした人と同様に、数奇な運命を辿り今に至ります。

海運王と呼ばれ成功したWee Bin氏でしたが、一男一女をもうけた後45歳の若さで亡くなってしまいます。
彼が起こした船会社「Wee Bin and Co.」は彼の一人息子のWee Boon Teck氏が継ぎ、娘婿Lim Ho Puah氏と共にさらにビジネスを拡大、シンガポールでも有数の汽船会社となります。
この会社は後にマレーシア航空の前身となった「マラヤ航空」の礎を築いたといわれるそうですが、そのWee Boon Teck氏も38歳の若さで他界してしまいます。

Wee Boon Teck氏は父親の右腕として活躍、更に会社を大きくするだけでなく慈善事業にも積極的で、彼の遺産は20数年間に渡りTan Tock Seng Hospitalに寄付されていたそうです。
余談ですが、Boon Teck road は、彼の名前からきています。

そしてWee Boon Teck氏の一人息子、Wee Siang Tat氏もまた短命だったそうです。
説明では、確か事故で亡くなったとか言っていたかな・・・??

***

そしてその後、跡継ぎがいなくなってしまったこの家に、お妾さんとその息子が呼び戻されたのだそうです。
(誰のお妾さんかは説明ではよくわかりませんでした。Wee Bin氏だったのか、Wee Boon Teck氏だったのか、娘婿Lim Ho Puah氏だったのか・・・よくわかりませんでした)
そしてそのお妾さんとその息子さんが、この家で最後に暮らしたウィーファミリーだったそうです。

そのお妾さんは息子と共に呼ばれてこの家に入りましたが、可哀想な事に最後の最後まで一族の仲間に入る事を許される事無く、「△▽のお母さん」と呼ばれたまま生涯を閉じたそうです。

呼び戻された息子さんは、説明では確か・・・ウィー氏の孫?ひ孫?と言っていたかな?ということは、Wee Boon Teck氏(息子)か、 Wee Siang Tat氏(孫)か、娘婿Lim Ho Puah氏のお妾さん?
でもWee Siang Tat氏(孫)は確か独身のまま亡くなったと言っていた様な・・・?(誰か覚えている人教えて~!調べてみたけれど分かりませんでした)

Wee Boon Teck氏(息子)の一人息子、Wee Siang Tat氏(孫)が他界後、娘婿Lim Ho Puah氏が「Wee Bin and Co.」の後継者となりましたが、その彼が亡くなる前にウィー一族の最後の後継者(4男Lim Peng Siang氏)に引き継がれた・・・というから、きっとその4男が呼び戻されたそのお孫さんかもしれません。



最終的には「Wee Bin and Co.」は、Lim氏の4男Lim Peng Siang氏(前述の最後の後継者)に買収されましたが、とうとう1911年に清算されてしまいました。

「Wee Bin and Co.」無くなった後、残った一族は別の地へ移り住んだそうです。

主を失ったこの家は、一部の家具や家財道具がそのまま残されたまま、荒れ果ててしまっていました。
かつては一族の繁栄と共に美しく飾られ豪華絢爛で大変美しかったこの家も、訪れる人も無く、風が通る事も、明るい光が射しこむ事もなくなりました。

美しかったこの家が、雨風に晒され荒んでいくのを大変悲しみ惜しんだ人物がいました。

マレーシアとシンガポールの政財界の大物、Tun Tan Cheng Lock氏の娘さんのAgnes Tan 女史です。

このテラスハウスを残す為、彼女は多額の寄付金($4 million!)をNUSに贈り、ペラナカンの文化を歴史に埋もれさせない様、その文化について学び次の世代へ残す場となる様尽力しました。

Agnes Tan 女史の父親であるTun Tan Cheng Lock氏は、大富豪であり政治家(マレーシア華人協会の初代党首(Malaysian Chinese Association, MCAは、マレーシアの政党))でありまた、篤志家でもありました。
彼は女性教育にも大変熱心な方だったそうです。
2階の吹き抜けの横に、彼らの写真と共に功績を説明する展示もありました。

***

文化という物は時代と共に変化するものでありながら、こうして「失われる事がない様きちんと残し、後世に伝えたい」・・・という人に支えられている面もあります。

私はシンガポールに住んでいる外国人の視点から見ているからでしょうか、異文化へ興味から、こうしてシンガポールの歴史や文化についてちょこっと覗いているわけですが・・・


日本にもこうして忘れ去られそうになっている文化や習慣が沢山あり、私自身、日本人でありながら日本の文化について知らない事がまだまだ沢山あり、そしてそれらを顧みる(かえりみる)事無く無関心で過ごしてきたということに気付きました。



これではいけませんね・・・。
と、今更ながら反省です。


ペラナカンハウス巡り・・・場所を変え、まだまだ続きます。(続く)


ご紹介していない写真(李光耀 Lee Kuan Yew が子供の頃住んでいた家)やBaba Houseへの MAP など こちら





Baba House ババハウス 

見学は完全予約制で、日本語か英語のガイドか選ぶ事ができます。
ガイドは10名前後の人数限定制です。

※時間厳守!ツアー開始10分前には集合する事をお薦めします。お支払はお釣りのない様に!

Address:
157 Neil Road, Singapore 088883
Tour charges:
$10 per pax
$8 (55 yrs and above, NUS Alumnus)
$5 (18 yrs and below, NUS Staff)
$3 (NUS students)

For enquiries, please contact:(65) 6227 5731
e-mail: babahouse@nus.edu.sg




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最終更新日  2015.06.30 21:04:41
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