東白川村戦記編纂委員会編著『平和への礎』1993年
伯父を偲ぶ~『平和への礎』日本がポツダム宣言を受諾した8月14日。ふと、思い立って「平和への礎+東白川村」で検索してみると、本郷の古書店のECサイトで、▼東白川村戦記編纂委員会編著『平和への礎』1993年▲がヒット。送料込み6,880円だったので1日逡巡したのちにポチっとしちゃいました。この書籍は一般には頒布されなかったため、その存在を両親の住む家の本棚で見つけた時には、伯父も亡くなった後で既に入手不可能でした。なぜ、岐阜県の山村の記録に興味を持ったかというと、その村は母の出身地。そして、編纂委員会の事務局長が伯父で、発行所も伯父の居所、すなわち母の実家だったからです。両親はこの書籍の価値を見出していなかったのか、あるいは息子に伝えるほどのことでもないと思っていたのでしょうね、何も知らせてくれませんでした。内容は、西南戦争以降の全出征者の記録や村人たちの回顧録など。出征記録が秀逸で、すべての出征者の氏名を収録しているだけでなく、確認できたものはその軍歴も掲載。3000人足らずの村民とはいえ、よくこれだけの情報を収集したものだと感心するばかりです。事務局長の伯父が実質的な編集者だったようで、随所に寄稿しているのですが、巻頭言でのこの言葉を目にしたときには、これを小さな村に埋もれさせてはいけないと思ったものでした。「戦没の諸士には誠に申訳ありませんが、互いに危機に身を晒し共に苦労し乍らも万死に一生を得て無事帰還することのできた私達従軍した元軍人は、戦没諸士の代弁もし、悲愴で残忍であった戦争の実態を忠実に後世に伝え、軍備を否定し平和主義に徹すべきを世に強く訴える責務を果たせられているものと信じ、その機会は今を逃しては最早至難である事に思いを致し、平成二年八月有志者相集い「戦記」を編みこれに託して、些かも誤ることのない平和主義の道を歩む糧となすべきことに意見の一致をみたのであります。」(巻頭言より)そこで、国会図書館を確認してみたのですが、収蔵されておりませんでした。それ以来、どこかに残部はないものだろうか?と思っていたのですが、積極的に探すまでには至っていませんでした。ところが、冒頭に記したように見つけることができて購入。ただ、私自信も書籍は手許に残しておきたいし、既に叔父も亡くなった今となってはどうしようもないなあ……などと思って、なんとなく東白川村役場のサイトを見ていると、村長さんへメールを送ることができる送信フォームに遭遇。早速、関係者のお宅に残部があれば国会図書館に寄贈していただけないかという趣旨のメールを送ったところ、以下のような返事を村の参事さんからいただきました。「返信が遅くなり申し訳ありませんでした。本がありましたので、ご提案のように、本日、国会図書館へ送付するように進めています。こんごともよろしくお願いします。」国会図書館への納本が実現して、ようやく甥の責務を果たしたような気がしますこれで、大学の研究者なども利用しやすくなります。既に、この本がきっかけで、東海テレビは「村と戦争」(1995年)という番組を制作したそうです。書籍を入手してから色々と検索してみ気づきました。本当に立派な成果を遺した伯父だと、改めて実感しました。村と戦争 (1995年/71分)ナレーション:杉浦直樹 プロデューサー・ディレクター:阿武野勝彦日本民間放送連盟賞 優秀賞、ギャラクシー賞 優秀賞、放送文化基金賞優秀賞人口3,000人。小さな村の戦争とその傷痕。岐阜県東白川村。戦後50年という年に、村の古老たちが、各戸を回り、平和祈念館に収めるために戦争関連の遺品を収集していた。ハワイ真珠湾へ参加した雷撃隊員、満州開拓団、学徒出陣の兄と植物図鑑の好きな弟。半世紀たった山里で戦時品が語りだす。http://intro.ne.jp/contents/2011/02/16_1354.html伯父は背が高く姿勢のよい寡黙な人でした。しかし、眼鏡の奥に光る瞳には知性を感じさせる人で、幼いころから怖れと憧憬とが入り混じった感情を抱いていましたが、この本を読みながら幼い頃に抱いた直観的な印象に間違いはなかったと再確認できました。本書によれば、親族の軍歴は以下の通りでした。事務局長の伯父は次男で、長男がいました。長男は1942年召集。騎兵第三連隊に入営。南京から杭州湾敵前上陸作戦に参加し負傷。1943年に名古屋陸軍病院に入院するも、1946年に25歳で逝去。最終階級は陸軍軍曹。「南京入城記念」とメモのある三省堂の『国語辞典』が遺品として母の許にあります。次男である事務局長の伯父は1944年召集。騎兵第三連隊に入営。応山から北京を経て湘桂反転作戦に参加の後に上海日本租界警護へ。1946年復員。最終階級は陸軍伍長。その後郵便局員となり定年退職。国際連合教育科学文化機関憲章 (ユネスコ憲章)前文 この憲章の当事国政府は、その国民に代って次のとおり宣言する。 戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。 相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信をおこした共通の原因であり、この疑惑と不信のために、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。 ここに終りを告げた恐るべき大戦争は、人間の尊厳・平等・相互の尊重という民主主義の原理を否認し、これらの原理の代わりに、無知と偏見を通じて人間と人種の不平等という教義をひろめることによって可能にされた戦争であった。 文化の広い普及と正義・自由・平和のための人類の教育とは、人間の尊厳に欠くことのできないものであり、且つすべての国民が相互の援助及び相互の関心の精神をもって果さなければならない神聖な義務である。 政府の政治的及び経済的取極のみに基く平和は、世界の諸人民の、一致した、しかも永続する誠実な支持を確保できる平和ではない。よって平和は、失われないためには、人類の知的及び精神的連帯の上に築かなければならない。 これらの理由によって、この憲章の当事国は、すべての人に教育の充分で平等な機会が与えられ、客観的真理が拘束を受けずに探究され、且つ、思想と知識が自由に交換されるべきことを信じて、その国民の間における伝達の方法を発展させ及び増加させること並びに相互に理解し及び相互の生活を一層真実に一層完全に知るためにこの伝達の方法を用いることに一致し及び決意している。 その結果、当事国は、世界の諸人民の教育、科学及び文化上の関係を通じて、国際連合の設立の目的であり、且つその憲章が宣言している国際平和と人類の共通の福祉という目的を促進するために、ここに国際連合教育科学文化機関を創設する。 http://www.unesco.or.jp/meguro/unesco/charter-j.html国会図書館サーチhttp://iss.ndl.go.jp/