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テーマ:大学入試(222)
カテゴリ:勉強法
本日は、東大理系受験生向けに、国語について考えてみましょう。
東大以外では、関係ないかも知れません。 私は大学は理学部物理学科出身ですが、中学3年の頃から高校1年頃にかけて小説家を志していて、小説や難解な評論を片っ端から読みふけっておりました。 小説もどきを書きためながら、学校の勉強はそっちのけ、成績は下がる一方でした。 その頃、ノートになきなぐったものも、どこかに雲散霧消してしまって、無駄な時間をずいぶん使ったもんだと思います。 学校の古典漢文の授業は昼休み後の5時間目にあって、常に昼寝の時間でした。 古典漢文も当然、サッパリです。 高校1年の3学期に、学校の数学では「複素数」というのをやっていましたが、完全にちんぷんかんぷんで、中間試験は何もわからない、という状況にまで至りました。 当時、「生物」という科目が、ある事情があって非常に嫌いで、「生物」が1学期、2学期、赤点でありました。 私の学校では、2科目赤点をとると落第させられてしまうので、やむなく、数学の勉強を始めて、何とか高2に進級しました。 確か、中間試験が実質零点で、期末試験が90点くらいだったと思います。 数学の先生に、君はずいぶん波が激しいね、などと言われた覚えがあります。 高2になるときに、Z会の通信添削を始めました。 Z会も、受験科と基礎科しかなかった当時と、様変わりしてしまってちょっと寂しい気がしますね。 大学ごとにコース分けしないと、受験生が集まらないのでしょうか? Z会、英語と数学は、高2の夏休みに猛特訓するまで全くできませんでした。 ですが、国語は、それまで勉強したこともなかったのですが、現代文の方は何とか闘えるんだ、ということに気付いたのです。 ただ問題文を読んで、聞かれている問いに素直に答を書いているだけなのに、平均点を遙かに上回る点数が取れるので、自分でも不思議に思っていました。 今はどうやっているのか知りませんが、当時のZ会の国語は、問題用紙が巻物のように細長くて、現代文の問題文は、読むだけでも30分から1時間くらいかかるような長文でした。 小林秀雄という評論家の書いた文章が採り上げられた問題の講評に書いてあったと思うのですが、娘さんが、「この文章、何を言っているか全然わからない」と言って持ってきた文章を見て、小林秀雄さん、「これは、とんでもない悪文だ、こんな文章はわからなくていい」と言ったのだそうです。 ところが、娘さんが言うのには、「これ、お父さんの文章だよ。」 こういう著述家の文章ばかりが問題に採り上げられるので、Z会の答案を作るのも大変でした。 古典漢文は、全くわからないので、すべての単語を古語辞典で調べる、ということをやっていました。 というわけで、国語の一回分を仕上げるのに、数十時間を費やしていたと思います。 高3の一年36回分のうち、数学は全部答案を書いてZ会に送りましたが、国語の答案を出したのは10回くらいですね。 でも、制限時間の10倍も時間をかけてやるので、出したときはほとんど40分の1の成績優秀者に入っていて、しかもそのうち2回は、東大文系志望の諸氏を差し置いて第1位の栄誉に輝く、ということで、国語には自信を深めておりました。 一度、苦境に立たされ絶望的な状況を書いた文章が出題されたときに、この文章の作者の叫びを漢字一文字で表せ、という問題があって、私は、苦悩の中で生への指向を強く訴えている文章だと思って、素直に「生」と書いて答案を送ったのですが、まわりの友人が、自殺一歩手前の文章で「生きる」わけないだろ、「死」に決まっているじゃないか、みたいに、コケにされたことがありましたが、正解は「生」でした。 それと、Z会の冊子に投稿欄があり、当時、赤軍派の浅間山荘事件など、物騒な事件が頻繁に起こっていた頃で、こうした暴力集団は許せん、という、右翼的文章を載っけてもらっていました。 しかし、これが、左翼系に激しく批判されて、激しい罵声の応酬になったことがありました。 世の中にはバカなヤツがいるもんだと思っていましたが、不愉快なことに、私とやり合っていた連中も皆、東大に入ってきました。 ですが、東大で学費値上げ反対運動や自主ゼミ推進の活動したのは私の方で、やりあっていた連中は何か運動でもしていたのでしょうかね? 結局、国語は、Z会の答案を10回くらい送った以外は何もしませんでしたが、入試では、古典漢文は恐ろしく易しく、現代文も含めて、自分では完璧に書けたと思っています。 予備校の現代文の授業で、いろいろな記号をつけて読解していくテクニックなどをやっているように聞きますが、小説やオピニオン誌を読むときに、あんな風に、記号を入れて読んでいる人なんているんでしょうかね? 国語を技巧的に扱って点数を取ろうというのが私は間違いだと思いますね。 そんなことよりも、自分で評論とか小説とか書いてみればよいと思います。 できれば、対立する人と激しくやり合うと良いと思うのです。 世の中には種々雑多な価値観を持った人がいます。 そういう人たちに自分の主張を納得させるのには、どういう書き方をすればよいのかを必死に考えているうちに、「傍線部分と同じこと意味する部分を前段から抜き出せ」とか、「○○という言葉で作者が言おうとしていることをわかりやすく説明せよ」という問題に自然に答えられるようになるのです。 自分で文章を書いていると、説得力を強化するために、同じ内容を異なる観点からくり返し主張したくなります。 過去の失敗に学ぶべきだということを言わんとして「理系でも歴史を勉強すべきだ」と主張するときに、「第二次大戦に学んだからこそ、憲法9条を貫く日本の経済的繁栄がある」と、言うこともできるし、「いろいろな実験の失敗の教訓の中から新しい理論のアイデアが湧いてくる」と、言うこともできます。 このときに、入試問題は、傍線部分を同じ意味の部分を前段から抜き出せ、と、言ってくるのです。 また、文章を書いていると、長々と説明したことを別の部分で、また使いたくなることがあります。 そういうときに、同じことをまた長々と説明するのは面倒なので、簡単に一言で言い表してしまおう、ということをやりたくなります。 このときに、入試問題は、その一言を、わかりやすく説明せよ、と、言ってくるのです。 書き手の立場で考えれば極めて自然なことをそのまま答案に書けば点数が取れる、というのが国語です。 国語のテクニックをマスターしよう、などというヒマがあるのなら、新聞記事や新聞社説に対して意見を書いて、友人同士で読み合ったり、親や学校の先生に読んでもらって批判してもらう方が遙かに得点につながると私は思います。 本来、国語というのは、自分の主張を相手にわからせるための道具です。 そういう視点に立って、本来の勉強法を心がけて頂きたいと思います。 CFV21大学入試問題サイトへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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