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BANGKOK艶歌

BANGKOK艶歌

(第十一話~第十五話)

(第十一回) 「金の力」

 やっとのことで、トイから話を聞きだした加瀬は、一瞬の躊躇を余儀
なくされた。

---(『子宮筋腫」らしいんです。明日にでも入院して手術しなさいと言
  われました)

 以前、トイと『RCA』でゴーカートの勝負をした時、何度か下腹を押さ
え眉間に皺を作るトイのことを思い出した。医学用語である『子宮筋腫』
ということが、その場で理解できるはずも無かったのであるが、直感的
にその病名が頭の中を過ぎり自動変換のごとく理解できた。

---(トイ、タムヤンガイ ディー ヤ?)

 どうすれば良いのかという言葉の裏には、高額の手術代を支払えない
という意味があることは直ぐに分った。以前に、盲腸切除の手術代をジ
ョイから借りていることを聞いていた加瀬は、もう誰にも相談出来ずに
苦悩しているトイを不憫に思った。

---で、幾ら掛かるんだい?
---75000バーツくらい、です。

 タイ人にとってその金額がどれほどのものかは、加瀬にも分っていた
が、その金を自分が出してやらねばならないとすれば、加瀬とて躊躇せ
ざるを得ない額であった。

 夜の世界で働く女達が「病院ー手術」と口にすれば、それは日本人の
男から金を無心する常套手段だということを経験則が知らしめていた。
 しかし、トイに限ってそれは無いと、頭の中で打ち消すことは出来て
も、別の冷静な加瀬自身が、それを支払うことを拒絶させようとする。

---うむ。大した額だな。田舎の両親には知らせたのか?
---はい。ただ、おろおろ心配するだけでした。

「心配」の一部が経済的なことだということも、トイは言いたかったの
であろう。

---わかった。君は心配しなくていい。少し待ってくれ、俺が何とかする
  から。
---加瀬さん。。。
---今夜、店で。

 加瀬は、書棚から『専門用語ータイ語』をつまみ出し、トイが口にした
『筋腫』と思われる単語を、音から逆引きした。痛む部分から推察して
『子宮筋腫』であることは確かなようであった。
 加瀬にとって、その金をトイに渡してやることは、ATMを二日に渡って
使えば可能なだけのものであったが、ほんの少しだけにせよ、
(本当にそうなのか?)
という疑念が、釈然としないものを生んでいた。

 とりあえず、40,000バーツを引き出し、二つ折りにしてズボンのポケッ
トに押し込んだ。
 紙幣「80枚分」のボリュームはポケットを不細工に変形させたが、それ
よりも、その「重さ」を感じ、熱い心の思いを、少し冷やされた気がした。
 
 夜のラマ4通りを、プラカノン方面に車を走らせ、途中左折をしてトン
ローを目指して車を走らせていた。
 左右から「湧いて出てくる」ようにモータサイが行く手を何度か塞いだ。
しかし加瀬は、その男達の着ているオレンジ色のチョッキにぼんやりと視
線を合わせながら考えていた。

 同じようなシチュエーションが日本で有ったとしよう。果たしてこんな
「疑念」や気の重さを、感じるであろうか。
 相手が、夜の商売女であるということを条件とすれば、逆に日本では
100%近く、「馬鹿らしい金」として理解できたはずである。
 しかし、ここタイでは相手がそういう女だという条件が同じでも、その
経済的背景からして(本当に困っている)という場合が無いことも無いの
で、厄介なのであろう。
 もっとも、往々にしてそのように考えさえられてしまうから、
(騙されて)
 金を渡してしまうのであろうが。

---(あの子は、どう思ってくれるのだろう)
 
 加瀬は自分が使おうとしている金が、どうか「死金」にならないことだ
けを祈ることにした。そして、返してもらおうなどとは、考えていなかっ
たが、せめてその金の「意味」をあの娘が心底「有り難く」思ってくれる
ことを願うのであった。

 何とか、自分なりに「納得」出来たのを確かめ、『K』の駐車場に入っ
ていった。
ポケットの上から、それを確認し、エンジンを切った。
 その時、どこから飛んできたのであろうか、今まで一瞬とも考えたこと
がなかった「もの」が突如、現れた。

---(お前。。。その金で、あの娘を買おうと思っているんだろ?)

 ドアを開けようとする手が、止まった。
                       (第十一話 了)


    第十二回  「 条件 」

---(お前。。。その金で、あの娘を買おうと思っているんだろ?)

 それは、もう一人の自分が問いかけているのであろう。加瀬は素直に
その「タブー」を受け入れた。
 事実、この国で男が夜の仕事に就いている女に金を渡すことは「そう
いう」ことなのであるから。誰もそれを咎めることなど出来ないはずだ。

---(それを条件にあの女を抱くんだな?)

 冷静にもう一度問いかけてみた。おそらく、止む無く女は自分の軍門
に下ることになるだろう。目を瞑って、事が終わるまでじっと耐える女
を想像した。

---(それでお前は満足か?)

 雄という生き物が雌を征服したいという本能の過程に手立てなど関係
ない。
 それが対等の男と女に関係であるならば、二周り近く年の離れた女を
我が手の中で思いを遂げることなど、金の力無くして普通は有り得ない
話。
 案外簡単に、そんな風に自分を説得出来てしまった自分に摂理も糞も
無いと、苦笑いせずには居られなかった。

 思い詰めていたのか、トイの頬が鋭角に痩せて見えた。

---取り敢えず、4万ある。後は手術が終わるまでに渡すから。
---加瀬さん。タンマイ? タンマイ チャイディー ヤ。。。
---何も心配しないで早く手術するんだ。どこで手術受ける?
---後のこともあるので、ウボンに帰ろうと思います。
---バンコクじゃ駄目なのか。
---母親が、取り敢えず帰って来いって。。。ウボンにも優秀な病院があ
  りますから、大丈夫です。
---そうか、わかった。じゃ、残りはジョイに頼んで、送金してもらう様
  にするからお金のことは心配しなくていい。
---絶対、返しますから。何年掛かっても、絶対、お金返しますから。

(金を返す)という、女の覚悟が意味することが何なのか、加瀬は瞬時
に思考を巡らせた。
 つまり、金の力で自分は思い通りになる女ではないと言いたいのか。
 それとも取り敢えず、そう言ってみて男の「反応」を待つという姑息な
考えなのか。
 その場の情報だけでは判断が付き難かった。しかし、涙目で必至で感謝
の意を伝える女を目の前にして、それ以上の詮索は出来なかった。

---(何でだ?その金の意味をちゃんと伝えろ)
---(どうやって?)

 自分の頬にトイの涙で濡れた頬が重なり、胸が痛んだ。

---(言えない。。。)
---(ふっ、いいカッコしやがって。きっと後悔するぞ)

 加瀬はその時、初めて分った気がした。もし、その女を首尾よく我が物
にできたにせよ、きっとそれは後で「後悔」すると。

---(金は。。。呉れてやろう)

 手立ては違っても、金で女を我が物にしたことには変わりない。
きっと自分はその女を長く抱くことは出来ないであろう。
 女の体を愛撫する度に、湧き出てくる「疑念」が情欲を奪うことになる
だろうと思ったのである。
 自分が情念を込めて愛撫するその所作に女が反応したとしても、それを
本当に自分を受け入れ、心から「感じて」くれているのか、疑ってしまう
であろう。

 (何を青臭い色恋を望んでいるんだお前は。抱けないでいいのか、惚れ
  た女だぞ?いいのか、それで?)

 (抱きたい。抱きたいから、こうするんだ)

 ほんの数分間の間に、激しい葛藤が加瀬の中で暴れていた。

---お金は返さなくていい。そのことで、私はお前に何も望まないから。
  心配しないでいい。

 思いもかけない言葉を吐いている自分に驚いた。

(何も求めない)

 もしそれが本当であれば、自分はインポテンツかゲイではないのか。
 そんなセリフは、『理屈』に合っていない。
 女もきっと考えることであろう。

---(何も求めないって。。。どういうこと?)

 世の中の仕組みの少しは理解していたつもりなので、男が自分に提案す
るその「条件」があまりにも現実離れしていることに、反って猜疑心すら
覚えてしまう。

---(そんなに私って、抱く価値の無い女なの?)

---(それとも、その「鎖」で私をずっと繋ぎとめようとするつもり?)

 そんな風に考えても不思議では無かった。

 加瀬が出したその「条件」が、この先二人を、解すに解せない呪縛とな
って苦しませることになるのであった。

                     (第十二回 了)


   第十三回    「損得勘定 」

 加瀬とトイが『K』のラウンジの一角で話をしているその反対側で、
もう一組の男女が同じような話を繰り広げようとしていた。

---佐藤さん、お願いがあるの。
---何だい?
---怒らない?私を嫌いにならない?
---話、聞かなきゃわかんないよ。
---じゃ、止めとく。

 佐藤には薄々ではあるが、ジョイが自分に金の相談をしたいのだと
いうことを感じていた。そこで話を切れば「やっかい」を背負いこむ
ことも無いだろうということは分っていたが、これ以上の「進展」も
望めないであろうと考えたので、話に乗ってやることにした。

---分ったから、話してごらん。
---。。。
---さぁー、早く。

 ジョイは佐藤のグラスの汗を拭いながら、視線を合わすことなく話
し始めた。

---私、今ねチャトーチャックでお店を持っているんだけど、その開店
  の時の資金を、ある人から借りていたの。
---ああ、お店を持っていることは知っている。
---だけど。。。
---ん?
---その人ね、その人はジョイのことを気に入って呉れているようなん
  だけど、そのミヤノイに成れって言って来たの。そしたらお金
  返さなくていいからって。。。
---君は、それを分っていて、お金を借りたんだろ?
---返す自信があったの、一年待ってくれるっていう条件で借りたから。
---幾ら?
---30万バーツ。。。

 佐藤は、その出資した男が誰であるかを詮索する気も起きなかった。
何故ならここの店の客であることは誰しもが想像できることであり、
「核心」に触れたくないという思いであった。

---そんな大金、俺にはどうしようも出来ないよ。
---半分の15万バーツでいいの。私が今、10万は何とか出来るから取
  り敢えず25万バーツ返して、後は何とか話を着けるつもりだから。

 佐藤は、シラケテいく自分の胸の内が、ちょっと寂しく思えた。
 確かに日本円の45万円程度のことは佐藤にとっては貯金を下ろせば済
むことであり、大きな荷物を抱え込んだとは思い難かったが、何よりも
佐藤を落ち込ませたのは、そうも簡単に足して、引いての計算で自分の
懐勘定をされたことが、辛かったのだ。

---今月末が、約束の「期日」なの。。。でなきゃ私。。。
---ジョイ、君はそれを全部、自分で責任が取れると思ってやったんだろ?
---最初は、その人、何の条件も無しに貸してあげるって言ったの。
---馬鹿なっ。。。(どこにそんなお人よしが居るもんか)

 本当に何も知らず「好意」だと思って借りたのなら、まだ可愛げがある。
しかし佐藤がジョイを見る目が既に変わっていた。

---(そんな、甘ちゃんでもあるまい)

---本当はどうなんだい?
---本当って?
---もう抱かれたのか、ってことだ。

 ジョイの目にみるみるうちに、涙が溢れ一滴、それが佐藤の手の甲に落
ちた。

---そんなことだったら、佐藤さんにこんな話し出来るワケないじゃない。

 その時、ジョイはキッっと佐藤の目を見据えて言い放った。

---ゴメン、ちょっと言い過ぎた。
---確かに、私、本当のこと言えば、計算があったかもしれないわ。。。
  でもね、それは貴方に出会う前のことなの。
  佐藤さんだけは。。。 違うの。。。

---(どう違うんだい?)

 そう問いかけることは、その場でその女を捨てることになると思い、そ
れを飲み込んだ。

---ゴメンナサイ。もう言わないわ。全部、私が悪いんですものね。でも、
  もう会わないなんてことだけは言わないで。。。お願いだから。

---君がその男の物になっても、会い続けるなんて、出来っこないでしょ。

 その佐藤の言葉を聞いたジョイは、辺りを気にすることなく嗚咽を上げ
て泣き出した。
佐藤はソファーの角に身を押し込め、腕組みしたまま、次のリアクション
をどうすべきなのか考え込んでいる。

---(所詮、飲み屋の女はこんなもんか。金のためなら、どこでだって泣
  けるんだ。)

---(そうさ。今頃わかったのか。しかしその女は確実に別の男に抱かれ
  ることになる)

---(仕方ないだろ。自分の蒔いた種だ。。。)

---(俺は、思うが、お前のこと何ともない客なら、こんな嫌われる話しを
   わざわざするか?)

---(逆だな。何ともない客だから、駄目もとな話しなんだよ)

---(どっちにせよ、俺がその金を支払ったら、どうなるっていうんだ?)

 陰と陽の佐藤が「損得勘定」の押し問答を繰り返していた。


   *********************

---いつ帰るんだ?
---明日の夕方のバスで帰ります。
  着いた日に入院できるように、兄が手配してくれています。
---そうか。大丈夫か?
---母親も、親戚の叔母さんも居ますから。大丈夫です。

 トイは渡された金の束を両手で大事そうに包み込んだまま、加瀬の腕の中
で安堵を得た子供のように大きく肩で息をし、フーッと吐いた。
 加瀬は、その娘の頭を慈しむ思いで撫でながら思った。

---(たまには、損得勘定抜きなのも。。。有りだろ)



                       (第十三回 了)

 
   第十四回    「 憎悪  」

 結局、佐藤はジョイの申し入れを受け入れ、「貸す」ことを約束の上、15万バーツを用立ててやった。
 佐藤はその時、「貸す」のではなく、呉れてやることも考えた。いっそのこと、その金でジョイを抱けるのなら、それはそれで良いと思ったのだ。

---俺なら、どうなんだ?
---どういうこと?
---そのお金を出して上げる代わりに、俺のアパートに来るという条件だよ。

 一瞬、ジョイの顔に戸惑いと困惑の表情が浮かんだのを、佐藤は見逃さなかった。

---いいわよ。そうしても
---いいのか?本当に。嫌なら、「貸して」あげてもいい。

 佐藤は自分の馬鹿さ加減に言った後で、反吐が出る思いであった。
 案の定、ジョイに切り返された。

---どっちでもいいの?
---いや、そりゃ。。。
---わかったわ。きっとこのお金は返すわ。だから貸しておいて下さい。

 取り繕う間もなく、ジョイは佐藤に背を向けた。その背中が微かに嗚咽しているのを見て、ウィスキーの味すら分らなくなってしまった。

 ほどなく、ジョイはかき集めた金を肥田に返し、肥田からのオファーを正式に断った。

---わかったよジョイ。それに、もう残りの金は返さなくていい。
---えっ?
---その代わり。。。

 肥田はさしたるショックの表情を浮かべることも無く淡々とジョイに話し続けた。

---その代わり、俺がこの店に来て他の女の子を選ぶことを許してもらいたい。

 カラオケ勤めの女にとって、馴染みの客から女をチェンジされることが、どれだけ恥辱であるかということを肥田も心得ていた。

 ホステスが馴染みの客から他の女に「鞍替」されるということは、店の関係者からはそのホステスの落ち度を疑われるのが常である。普通、こういった場合、男の方もあえてその店に再び出入りするのを憚るものであるのであるが、そういう点で肥田の真意が分りかねた。

---嫌ですと言えない立場ですから。どうぞご自由に。けど、何で?。。。
---ちょっと気になる子が居てね。

 そう言ってグラスをいっきに空けると、チェックの意思表示をした。

 その時、ジョイには全く相手の女が誰なのか見当がつかなかった。
今まで、肥田がこの店に来て自分を傍らに抱き、その隙に他の女を値踏みしていたというのか?

 そう考えると、意味も無く腹が立ってきた。あの男に抱かれることから開放された喜びの自分がそこに居るはずなのに、現実は嫉妬に燃える一人の女となっていたのである。

---(誰。。。?)

 肥田が帰ったBOX席に一人残ったジョイは、辺りに居るホステス達の顔を見
渡した。
 そして無性に寂しさを覚え、トイレに駆け込み携帯を手にして、佐藤に繋ごうとして止めた。
先日の金のやり取りの席で、正直、ジョイは佐藤に失望していた。

 金の力で自分を物にしてもいい、それでも---お前が好きだから。という一
言があれば例え、夜の世界で働く女であっても、その一言で納得がいくのである。佐藤に好意を持っていたジョイは、抱かれたいと思っていたのである。

 しかし、(どっちでも。。。)と言われてまで抱かれたいとは思わない。

 それがせめてもの自分のプライドだと思った。

 佐藤へ繋ごうとした番号をキャンセルし、田舎に戻っているトイへ、電話しようとした。
 トイは既に手術も終わり、自宅で療養している頃だった。

 携帯電話のディスプレイにトイの名前が浮かんだ。

 その時、ジョイの目の前を薄黒いものが過ぎった。

---(まさか?・・・・)

 以前、加瀬と佐藤が肥田を接待するために、『K』を使った日---そうダブルブッキングのその日の数日後、肥田があれこれとトイのことを自分から聞き出していたことを思い出した。

---(何んであの子が。何んであの子ばかり。。。)

 確証も得ないまま、ジョイの頭の中はトイへの「憎悪」が渦巻いていた。


                      ( 第十四回 了)
第15回 「 争奪  」

 加瀬は、ウボンから戻ったトイが、一見して太ったことを感じていた。
入院前に最後に会った時からすれば、2~3キロは太っただろう。

---ちょっと、太ったな。
---食べては、寝てですから。あぁ、でもダイエットしなきゃ。
---それぐらいの方が愛嬌があっていいよ。
---ダメです。今日もドレスがキツクて、困ったんですから。

 加瀬は、トイに渡した75000バーツに関して、今後そのことは敢えて
口に出すつもりは無かったが、トイから領収書一枚の提示が無かったことが
残念であった。

---お金、足りたのかい?
---はい、有難うございました。

 今後のこともあるので、加瀬はトイを諭した。

---こんな時はね、普通、ちゃんと領収書を見せるもんなんだよ。
  それが  君の僕への誠意というもんだよ。
---。。。

 トイは一瞬戸惑ったが、すぐに謝罪の言葉を言った。

---ごめんなさい。

 こういう部分でタイ人と日本人の違いを見ることがよくあるのだが、それ
は飲み屋の女だからそうなのだとは思いたく無かったが、少し気をそがれた
加瀬であった。

---(マイペンライ)

 などと言って物分りの良い日本人には成り下がりたくなかったので、日本
人はそういう細かい部分を気にするんだということを付け加えてトイに話し
て聞かせた。

---母親と一緒に帰って来ました。どうしても私のことが心配みたいで。
---そうなのか。

 それは聞いて加瀬の中に居るもう一人の男が不満を露にしていた。

---(ということは、今後、俺はお前のアパートには出入り出来ないというこ
  とか?)

 金を出す前には、(何も求めはしない)と言っていたにも関わらず、釈然と
しない思いは加瀬の顔を不満にさせていた。

---(やはりこの女は、金を借りたという意識なのか)

 加瀬はそれをトイに悟られないように、グラスを空けるピッチを上げた。

 そんなこともあり、しばらく加瀬は店に足を運ぶのが嫌になった。
 ところがその間に、加瀬にとってはもっと「面白くない」ことが起こって
いたのである。

 肥田は部下を伴って、『K』にやって来た。かなり前の店で飲んでいたようで
上機嫌な顔つきでチーママと入り口で冗談を交わしてから、席に着くことなく
ホステスを選ぼうとした。

---肥田さん、ジョイちゃん、今、お客さんで。。。
---いや、いいんだ。新しい子選ぶから。

 チーママは瞬時に「何かあった」ことを悟ったが、そこはプロらしく、事も無
げにその場を裁くのであった。

---ジャオシュー(浮気者)だから、ジョイちゃんに嫌われたんですか?
---そんなとこだ。
 
 肥田は作り笑いもそこそこに、控え室に居る女の中にトイを探した。
そして迷うことなく、トイの胸の番号をチーママに告げた。
 一瞬であるが、女達の間に「どよめき」が走った。
 肥田は、ジョイの客であることは既に承知のことであり、こともあろうに従姉
妹のトイを選んだことが、ホステス達のそういう反応を引き起こしていたのだ。

 当のトイもあっけにとられていた。

---(何で、肥田さんが。。。)

 しかし、店で働く以上、お客の意思には逆らえない。

 席に着くや、トイは肥田に尋ねた。

---後で、ジョイと代わりますね。
---いや、いい。今後君を指名することにするから。
---でも、それって。。。
---心配しなくていい。ジョイには了解を取ってあるから。

 話の経緯が分らないトイはただ戸惑うばかりであったが、それを止めるかのよ
うに肥田は、トイの手を取って、握り締めた。
 身を引こうとするトイであったが、肥田の手の力がそれを拒んだ。

                      ( 第15回 了 )



      


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