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BANGKOK艶歌

BANGKOK艶歌

第二章 「過去」-5

 (第五話)

 まるで羽田がバンコクに帰って来るのを待ち構えていたように、雄二から電話が入った。
 ティックの件では、鈴木社長から「後始末」を任されていたが、横恋慕している自分にはちょっとば
かり後ろめたさがあった。

----羽田さん、どういうことよ。
----何がですか?
----ティックのことだよ。

 ほんの少しの間の後

----で?・・・
----どうせ親父(おやじ)の差し金だろうが、手出すのは止めて欲しいんですけどね。
----あの女(こ)は・・・駄目ですよ、雄二さん。
----駄目も何も、いい大人の俺が何しようが、あんたの指図は受けないよ。

 頭に血が昇り、目先のことしか見えないような今、何を言っても無駄だと思い

----わかりました。それは雄二さんのおっしゃる通りですので、以後口出しはしません。しかし・・・
----何ですか?
----いえ・・・別に。

 羽田は、真実を言うべきか迷ったが、いずれ知れるところになるであろうから、敢えて今、口にする
こともないと思った。
 自分がティックに手を出そうとしていることを咎められるのはいいが、鈴木雄二が身を持ち崩す危険
を知っていながら黙っていたとなると鈴木社長に対して申し開きが出来ない思いであった。

 本来、男と女の色事の結末なんぞ、それを当人が見てみなきゃわからないものであり、軌道修正し
てやろうなどという親心は、「親馬鹿」そのものだと思った。もちろん、鈴木社長とて、その辺りのことは
誰よりも分かっているはずであるが、そこは人の親---ということなのだろうか。
 病院に見舞った時も、雄二のことをさかんに気にしていたのを思い出していた。

 しかし、羽田には羽田の一分があった。

----(自分で見て、経験しなきゃ何にも得るもんなかない。色事だって、例外じゃない・・・)
 
 これから先、雄二がどこで生きていこうが、越えなきゃいけない障壁や挫折を味わうのであり、それら
全てに先回りをして杖を貸してやることなど、不可能なのだから。

 電話を切ってから、羽田は冷静に思考を巡らせた。

----(まだ、あの女は雄二を手玉に取っているのか?)

 その夜、羽田はティックをBookingした。

 雄二の件もあったが、ティックがどんな顔をして自分の前に現れるのかそれに興味があった。

----この間はごめんなさい。待っていたんですよ、本当に。
----じゃ、何故?
----私は、この仕事をしていて他のお客さんの事を、別の人に話すことはルール違反だと思っているの。
  けどね・・・この間の同伴の相手は、羽田さんもご存知の人だから、言うけど・・・。
----雄二君か・・・
----そう。何度も電話してきて・・・どうしても話しがあるからって。
----わかった、その先はもう言わなくてもいい。

 雄二のことであるから、半ばストーカーのようにティックを追いかけているに違いないと思った。
 手のひらの上でコロコロと転がされている男の姿が浮かんだ。

 汗をかいたウィスキーグラスにナプキンを巻きつけながらティックは、その先を続けた。

----でもね・・・あの夜、雄二さんに抱かれたわ。

 羽田は、一瞬ティックの言っていることの意味がわからなかった。
 指に挟んだ煙草の灰が、くの字に曲がって床にポトリと落ちた。
 そして、今自分がどんな立場に追い込まれているのかだけが、把握できた。

 両の足から血が逆流し冷たくなっていくのがわかる。
 そして・・・何かが喉元に詰まったように、言葉が出てこない。

----どうしたの?羽田さん・・・

 いつもと変わらぬ笑顔を纏い、何事もなかったような顔で羽田を見据える。

----惚れたのか?彼に。

 根っこまで燃え尽きた煙草を灰皿の底に押し付け視線を落としたまま尋ねた。

----違うわ、彼は私を連れて日本に戻って、結婚してくれるって約束してくれたの。
----君は、結婚してくれる日本人のオトコが望みなのか。
----私だって女よ。それに、もうオバサンだし・・・

 混乱した頭の中を整理できずにいた。少なくとも、羽田にはティックが結婚願望を抱いていたこと
自体が信じられなかった。

----ホントは今晩、雄二さんのことで私に会いに来たんでしょ?
----雄二君が電話してきたのか。
----きっと、羽田さんが今晩行くだろうって・・・そう言って笑ってたわ。

 羽田は、雄二ごとき小僧にコケにされたことが情けないほど悔しく思えた。
 しかし、それ以上に、そこまで真相を当の羽田に聞かせる、ティックという女の性根に、怖さを覚え
かつ目を背けたい思いであった。
 コロコロと転がっている自分の姿を見た。

 落ち着きを取り戻し、何とかこの場を裁かねばと思うほどに、どんどん出口のない部屋の隅に追い
込まれていく自分を感じていた。
 そして、つい口を突いて出てしまった。

----性悪女めっ・・・

 憎々しい言葉尻の日本語を吐き捨てたつもりであったが、すぐにそれはブーメランとなって自分の身
を傷つけた。

----そうよ、ワタシはショウワルオンナです。
---- ・・・・・・!?
 流暢な日本語のアクセントは、「商売用」のそれではないことがすぐに分かった。

----もう随分昔のことだけど、これでもタマサートの日本語学科出てるんですよ、ワタシ・・・
----ふっ・・・・全てお見通しってことか。
----そんな、メッソウモナイです。
 
 たたみ掛けるように日本語で応える目の前の女に、羽田は殺意に似た憤りを覚えた。
そして弱々しく肩を落としその女の視線の先を避け、空ろな視線を床に落としながら言った。

----完璧だな・・・勘弁して欲しいよ。
----そう?・・・じゃぁ、The End ?、Give up?
 
 床の絨毯の染みに視線を定め、荒ぶる呼吸を整えた。
 冷えてゆく頭の中のCPUが、徐々に正確な分析を呼び戻していた。
 その女が本当は日本語が堪能であったことに、ひどくアドバンテージを取られた思いであったが、それ
は不意打ちの効果はあったが、問題の「本線」とは関係の無い「トリック」だと考えれば、羽田の思考
に余裕が生まれだした。

 そして揺らぎかけていた確信と共有の念が呼び戻され、一層それは強くなった。

 羽田は目を見開き拳に力を込めて頭(かぶり)をあげた。

 
----いやっ・・・、やっと第一ステージが終わったとこだ。

 今度は、羽田が肩を震わせ笑った。
 危うく正真正銘のピエロにされるところであった。

 ゆっくりと確信のある声音で問いただす羽田。

----昔、どんな風に騙され弄ばれたんだ?日本人のオトコに・・・
  
 ティックのふくよかな頬の肉が一瞬引き吊った。

----何のことかしら?
----それを、いつか君の口から言わせてやるよ。ふふふっ・・・今は言わなくていい。
  だが俺は確信したよ、今。君は昔、日本人の男にこっぴどく騙され、ぼろぼろにされたんだ。

  違うか?

---- ・・・・

---- 日本人の雄二君とのSEXの味はどうだったかな?濡れて、燃えて、そして・・・イッタかぁ!?

----もう、よしてっ!

 羽田は、危うく自分の「確信」を疑うところであった。ティックという女が、結婚などという餌に食い付い
て、その見返りに抱かれるようなことをするような女ではない---そんな「馬鹿げた」取引をするような女で
あれば、ココ(タニヤ)の一流クラブで図太く生きて行けるはずがないのである。

----危うく・・・君を失うとこだったよ。俺もまだまだケツが蒼いな・・・ハッハハハッツ

 羽田は心の底から笑いこけた。

その羽田の姿を横目に、ティックは舌打一つ吐き捨てて言った。

----第一ステージ通過ね、ここまで来た人は居なかったわ。
----君には家族ごっこは似合わない・・・俺と同じくね。

 無表情を装うティックであるが、ほんの少し眉の角度を変えて息を吐いた。

----さっきから、スーツの内ポケットで携帯が光ってるわよ、出なくていいのかしら?

 マナーモードにしていても、呼び出しのサインは暗いラウンジの室内では視認できたのだろう。

----女房だなきっと。今夜辺りSEXしたいのかな?・・・

 そう応えて斜に視線をティックに送りつけた。

----早く、帰ってあげなきゃ。
----そうだな、そうするよ。

 羽田の背を見送りながら、ティックは燃え盛る情念の炎を鎮められずにいた。

                                                 (第五話 了)




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