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続きは、球場で。

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F41【episode 1】

F41



     episode 1

「では、このランプをお持ちになって、あなたの求める未来を思い描きながらこのガーデンクリスタルを照らして下さい」

 巨大な箱庭水晶を前に目を丸くしている相談者自身が選んだ香りのオイルを、無臭のオイルで希釈したものを注いだ真鍮のランプに火を灯し、足元のスイッチで部屋の灯りを消してから差し出す。
 ランプが相談者の手に渡った瞬間から、三景の占いが始まる。

 おっかなびっくりといった風情でランプを手に取った今日の相談者は、年の頃30代後半の女性だ。左手の薬指には、こびりついた油汚れで輝きの曇ったプラチナの指輪が嵌っている。

 掲げたランプの灯りが、水晶の中の箱庭に深い影を作る。
 その影をじっと見つめる三景。

 訓練プログラムを受けた職業占い師は、あらかじめ相談者からそれとなく情報を引き出す技術を身につけている。
 しかし三景はそれをしない。出来もしない。
 生来備わった心の目が、相談者の心の在り様を見抜くから必要ないのだ。

 緊張しているのか、相談者の女性の手は震え、それに伴ってランプの灯りも揺らぐ。
 それも判断材料のひとつなのだと三景は言う。

 この女性が描いた影から、三景はいくつかの情報を得た。

 まず、家族構成。三つの人影が浮かび上がる。ひとつは相談者本人のもの。
 残るふたつは、本人よりいくらか年上の夫と、難しい年頃の娘。中学生ぐらいだろうか。

 規則的に明滅する本人の影が、専業主婦ではないことを示している。
 何か食品関係の工場で単純作業のパートタイマーとして働いて、それなりに収入を得ているようだ。

 問題は、その収入の遣い道だった。
 独身の友人に誘われて行ったアマチュアミュージシャンのオムニバスライブで、友人のお目当てのミュージシャンの後に出演したバンドのギタリストに熱を上げ、それからは一人でライブにも行き、自主制作の音源は全て買い、グッズを作るという話を聞けば制作費のカンパに参加し、と収入の殆どをつぎ込んでしまっているのだ。

 更に問題点がいくつかあった。

 私が働いた金を何に遣おうと私の勝手、誰に指図される筋合いもない、と思う気持ちの強さで、夫に何も言わせず、結果夫にとってストレッサーになっている。
 時折本人の影が夫を表す影を押し流すように流れるのがその場面だ。

 また、女性誌か何かで斜め読みした記事の「女性は結婚していても常に新しい恋をしていなければいけない」といったような文章を額面通りに受け取ってしまったのだろうか。
 本人の影が水晶の中の箱庭からふらりと頼りなげに浮き上がる時、やや赤みを帯びるのは自分は恋をしているから綺麗なのだと自信過剰になっている証拠。

 妻の暴走に呆れてものも言えない、という状態に陥っている夫を、無趣味だから無気力で魅力がない、だから他の男に心を奪われても仕方ない、と思い込んでいる。

 このままだとこの人旦那さんに捨てられるし、熱を上げているミュージシャンには当然相手にされないし、人生において大事なものを色々と失うことになりそうだ、と三景は判断した。
 しかし、「恋は盲目」の言葉どおり、よほど言葉を選ばなければ耳をふさいでしまうであろうことも三景はわかっていた。

「失礼ですが、『二兎を追う者 一兎をも得ず』という言葉をご存じでしょうか?」

 選んだ結果がこれだった。
 占い師という“客商売”を、もう何年も続けている割に、三景はいまひとつ客あしらいが苦手だ。

 戸惑いながらうなずく相談者に、三景は自分の中で最大限に穏やかな口調で話し始める。

「二羽の兎とは、里中さんのご主人と、今里中さんが気に入っておられるギタリストのことです」
「え…何故私の名前を…」

 告げていない筈の自分の名を呼ばれ、相談者は驚いて聞き返す。
 その目の中には、知らない筈のことを知られている恐怖と、この占い師は本物かもしれないという期待とがないまぜになっている。

「クリスタルが教えてくれました。あなたが望むままに歩む道が、どんな世界に通じているのかも…」

 そこまで言って、三景は思わせぶりに相談者から目をそらす。
 相手が自らの意思で「続きを聞きたい」と思うように仕向けることが大事だ、という親会社の教育プログラムが、少しは生きている。

 案の定、相談者は身を乗り出すようにして続きを乞うた。

「あなたの望む道の果てに広がるのは荒野です。細い道をひとりぼっちで歩いて行く姿が映っています…」
 実際、大きな“箱庭”が入ったガーデンクリスタルであるのに、長く伸びた影の最後には相談者本人の影だけが頼りなげに揺れている。

 その傍らには誰もいない。それどころか家もない。職場らしきものも見あたらない。

「そんな…私はちゃんと働いているし、家事だって全部やってるのに…こんなに頑張っているのにどうして!?」

 二兎を追うものは…の喩えを出した意味に気づいていない。
 というより、喩えが悪かったのかも知れない。

 なぜなら、わずかな沈黙の後に相談者が辿り着いた結論が、「じゃあ夫を捨てて彼と一緒になりたい」だったからだ。

 相談者がそう言葉にした瞬間、本人の影がスッと細くなり、燃え尽きた線香の灰が崩れるように消えた。

「あ。」

 思わず素の表情で言ってしまった三景に、相談者がくってかかる。

 あ~、やっちゃった、と自分の客あしらいの悪さに自己嫌悪しつつ、やってしまったものは仕方ない、と開き直ってストレートに言ってしまう腹を括る。

「今、里中さんが家庭を捨てる気持ちになった瞬間、人生が燃え尽きるところが見えました。それは全てを失う選択肢ということです。
 ご本人が今ここにいないので、ご主人やギタリストの方の心の在り様ははっきりとは分かりませんが、あなたが家庭でも職場でも、ライブハウスでも孤独へ、孤独へと向かう選択肢を選び続けているのは間違いないようです」

 信じたくない、といった表情の相談者の影は、未だ消えたままだ。

 三景は、現在から少し過去までを示す影の中に、相談者に向かうひそやかな嘲笑を見出していた。
 それは具体的に言えば、同じ職場の若い女性たちから向けられた、「里中さんってイタいよね」という声だった。

 この人が本来歩むべき道に戻るのは難しいかも知れない、と思いながら部屋の灯りを再び点けて、相談者の手からオイルランプを受け取り、片付けた。
 そしてサードオニキスの勾玉に革紐を通してひと結びしたものを、新たに香りのオイルを温め始めたアロマポットの上に翳して、香りの蒸気を当てる。

 勾玉にアロマの力を込める間、まだ茫然自失の状態から帰って来られない相談者に、冷たいハーブティーを勧める。
 このハーブティーのブレンドは、三景の殆ど唯一と言っていいほどの親友の手によるもので、占いの結果に高揚した人も落ち込んだ人も、概ね落ち着きを取り戻すというスーパーアイテムだ。

 特に、客あしらいの下手な三景にとっては必要不可欠なものだ。

 やがてそのハーブティーが奏功したのか、相談者はいくらか穏やかな表情になった。
 この部屋に入ってきた時のような高揚感は失われたものの、安定感が見てとれる。

「この守り石をお持ち下さい」

 差し出されたサードオニキスの勾玉を、相談者は素直に受け取った。

「この勾玉は、あなたが最良の人生に向かう道へと導いてくれるようにカスタマイズされています。お守りではありますが、四六時中身につけている必要はありません。でも、旅行などで家から遠く離れる時には連れて行って下さいね」

 諦めにも似た穏やかな表情を取り戻し、小さな声で「ありがとう」と告げた相談者の顔は、今や完全に「優しいお母さん」のそれになっていた。
 これなら大丈夫みたいだ、と三景は思った。

 受付で見料を支払い、もう一度こちらに深々と頭を下げてから普通の生活へと帰って行く相談者の後姿を見送ってから、次の予約まで少し時間があることに気づいた三景は、件の親友の携帯へと「今夜行くから!」と一言だけメールを飛ばした。



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